日中の仲間が“ワンチーム”で達成した偉業―新疆で発見された「五星の錦」

Record China    2022年8月27日(土) 16時0分

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「五星の錦」は1995年10月に新疆ウイグル自治区ホータン地区のニヤ遺跡の墓から出土した。写真は小島康誉氏。

中国の習近平国家主席(中国共産党総書記)は新疆ウイグル自治区を視察中だった7月13日、ウルムチ市内の新疆ウイグル自治区博物館に足を運んだ。習主席は「五星出東方利中国」(五つの星が東方に出現し、中国に利する)の文字を織り込んだ錦の布(以下、「五星の錦」)を特に感慨深げに眺め、説明に熱心に耳を傾けた。

「五星出東方利中国」というと、「中華人民共和国のゆかりの品か」と“早とちり”してしまう人がいるかもしれない。無理もない。中国国旗が「五星紅旗」と呼ばれるように、「五星」とは中国共産党を中心に労働者や農民など中国の各階級が団結することを示す、国を象徴するデザインあるいは言葉の一つだ。

「五星出東方利中国」錦

しかし「五星出東方利中国」は後漢(25-220年)時代に製作されたと見られている。この場合の「五星」とは、望遠鏡のない時代も肉眼で観測できた水星、火星、木星、金星、土星の5惑星を指す。位置関係が変わらない恒星の間を縫うように移動するこの5惑星は古い時代から占星術で重視された。古代中国で、5惑星がそろって東の空に出現することは吉兆と考えられたという。

「五星の錦」は1995年10月に新疆ウイグル自治区ホータン地区のニヤ遺跡の墓から出土した。発見したのは日中共同ニヤ遺跡学術調査隊だ。同調査隊の日本側チームを率いたのは、小島康誉氏だ。小島氏は1942年に名古屋市で生まれた。1966年に宝石専門店を起業し、その会社を上場企業に育てた。1996年には退任したが、まだ経営者だった1982年から新疆ウイグル自治区に何度も足を運び、現地文化遺産の保護や研究、人材の育成などの協力活動を続けてきた。

1986年に訪れたキジル千仏洞に訪れた際には「人類共通の文化遺産だ」と直感し、保護のために日本で浄財1億円を集めるなど、全力で協力した。それらの功績が認められ、1988年には中国政府内で文化財の管理を担当する国家文物局からニヤ遺跡の調査開始を認められた。発掘許可証が出されたのは1994年だった。中国政府が外国人に発掘許可証を発給したのは初めてだったという。

王族墓地発掘現場。中央が小島康誉氏。

■「五星の錦」はユーラシア大陸の長い歴史と文化の歩みを示す全人類にとっての至宝

「五星の錦」は弓を射る際に使う「肘あて」だ。大きさは18.5×12.5センチで、ひもが6本ついている。最も長いひもは約21センチだ。また、同時に出土した「討南羌」の文字のある錦と、当初はつながっていたと考えられている。

この「五星の錦」は、当時の東西交流を示す中国考古学史上でも最大級の発見とされ、「1995年中国十大考古新発見」、「20世紀中国考古大発見100」、「中国考古学百年百大発見」などに選出された。また、中国本土外への持ち出しができない最重要文化財である「禁止出境展覧文物」にも指定された。

なお、現地で発見された文字は漢字だけではない。現在のインド北西部などで紀元前3世紀ごろに使われていたカローシュティー文字が書かれた木簡やイラン語系のソグド文字が書かれた紙片も発見された。新疆は昔も今も、さまざまな文化の往来する土地だ。ニヤ遺跡の地で栄えたのは西城36国のひとつの「精絶国」という、東西南北の文化や経済が交流した都市国家だった。世界最大の木造都市遺構でもあり、インド洋あるいは地中海産と思われるサンゴ製品も多数出土している。まさに「一帯一路」の歴史的実例都市だ。

■本来は困難な相互理解が成立して日中関係者による「ワンチーム」が出現

日中共同ニヤ遺跡学術調査集合写真。旗を持っているのが小島康誉氏。

小島氏には、当時の共同調査の状況についても尋ねてみた。まず「日中共同ニヤ遺跡学術調査」では五大精神である「友好・共同・安全・高質・節約」を定めたという。うち「安全」は、砂漠での調査は危険が伴うために重視した。「高質」は、世界的に見ても重要な文化財を調査するだけに、それにふさわしい高水準の調査研究が必要と考えたからだ。調査分野が広いこともあり単独の大学や研究機関の研究者陣容ではカバーしきれず、日中双方とも多くの研究機関と連絡を取りトップクラスの研究者の参加を要請した。

中国側からは複数の民族に属する専門家が参加した。小島氏によると、民族の違いによる発想の違いはあったが、大きなトラブルは発生しなかったという。中国は多民族国家なので、民族によって発想や習慣が違うことはある。そんな場合でも、互いにうまくいく方法を探してトラブルを避けるのが普通だ。日中共同調査隊でも、これまでに蓄積された「多民族の知恵」が上手く生かされたようだ。

食事のひととき

観光客として新疆を訪れれば、ラクダの背に取り付けられた椅子に揺られて、ほんのひと時のシルクロード気分を楽しむこともできる。しかし小島氏によれば、荷物を括り付けた駱駝に3日も騎乗するのは苦痛そのものだ。現地では1日の気温差が40度もある中で調査作業を3週間も続ける。食事も単調で毎日同じだ。トイレも風呂もない。世界的文化財を研究保護するという使命感を持ち、調査とは困難なものと割り切って、無理にでも楽しむ精神が大切という。人間関係は極めて大切だ。そのためには、冗談をも交えた交流が必要だ。調査後半ではビールやサッカーボール、トランプも持ちこんだ。散髪も互いにした。日中双方の隊員による「ワンチーム」が出現した。

なお、小島氏は佛教大学を卒業した僧侶でもある。一人だけではあるが朝夕に読経したこともあり、穏やかな心を保つことができたという。

小島康誉氏

小島氏は、新疆における文化財の保護と調査だけでなく、日中関係についても常々思いを馳せている。基本的な認識は、日本と中国は隣国ではあるが、国交正常化の際の50年前の共同声明にも記されたように「社会制度の相違がある」隣国であることだ。つまり体制や民族、歴史、国益、思想などが異なる外国であり、相互理解は容易でない。しかし、容易でないからこそ相互理解に努めねばならない。小島氏はまた、さらに進めて共同活動の実践が重要と考えている。ニヤ遺跡調査はその実践例でもある。

■苦しい調査活動を通じての深い友情、双方の心は今も結ばれ続ける

日中共同ニヤ遺跡学術調査旗

ウルムチ市内の自治区博物館で、習近平主席に「五星の錦」などを説明した于志勇館長は、「日中共同ニヤ遺跡学術調査」に7回参加した中国側の第2代学術隊長でもある。同じ使命感に突き動かされて苦しい調査の日々を共に経験した二人は深い友情で結ばれている。

于館長は習主席に説明をした心境について「仲間たちと1995年、和田地区民豊県ニヤ遺跡で共同発掘した歴史文物を27年後に習近平総書記に説明できるとは夢にも思わなかった」などと語った。「仲間たち」とは、日本側隊長だった小島氏を含む日中双方の隊員を指す。

小島氏の言い方を借りるならば、日本側と中国側の相互理解は容易ではない。しかし双方がその気になれば、同じ目標を目指して共同作業をすることができる。新疆における調査研究は共同作業の成功事例だ。日中双方は調査研究といった共同作業を通じて仲間になることもできる。「日中の仲間」が達成した極上の成果の一つが「五星の錦」の発見だった。習近平主席が感慨深げに見つめた「五星の錦」は、まさに「日中の仲間」が力を合わせて達成した偉大な成果だった。(インタビュアー/RR、編集/如月隼人

インタビューに応える小島康誉氏

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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