壮麗なる崑崙山はなぜ「中華文明の原点」と言えるのか―専門家が神話とその精神を解説

中国新聞社    2022年7月12日(火) 5時0分

拡大

中国西部を南北に縦断する崑崙山脈(写真)は、関連する神話が極めて多く存在することで「中華文明の原点」とも言われる土地だ。

(1 / 4 枚)

中国西部を南北に縦断する崑崙山脈は、関連する神話が極めて多く存在することで「中華文明の原点」とも言われる山々だ。青海省社会科学院民族と宗教研究所の鄂崇榮所長はこのほど、中国メディアである中国新聞社の取材に応じて、「崑崙神話」あるいは「崑崙文化」の特徴と、現代における意義を紹介した。以下は鄂所長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

その他の写真

■神話には人類に共通する価値観が込められている

崑崙山脈は平均標高が極めて高く、面積は極めて広い。神々が住むとされるギリシャのオリンポス山と中国の崑崙山は、いずれも多くの神話が存在することで、それぞれ東西文明の源流を形成した場所と言える。

崑崙山にまつわる神話は中国だけでなく、アジアの他の地域にも伝わった。例えば西王母は崑崙山中の揺池に住む神女とされるが、漢代(紀元前202年-紀元220年)には現在のイラン高原北東部に存在していたパルティア王国に伝わり、古代バビロニアの伝説にある月の女神と融合して、現在も中央アジアや東南アジアの民衆に崇拝されている。

それ以外にも、「盤古による天地創造」、「女媧による天地の補修」、「夸父(こほ)の太陽追跡」、「月に昇った嫦娥」など、崑崙山にまつわる神話伝説は極めて多い。

崑崙山に関連する神話の一つが鯀(こん)と禹の父子による黄河治水だ。父親の鯀は黄河をふさいで洪水を防ごうとしたが失敗した。禹は黄河の流れをよくすることで治水に成功した。この神話は、中国人は古くから更新や改善によって状況を変化させられると考えていたことを示す。

中国の治水神話にも、人々のために神々の火を盗んだことで罰せられたギリシャ神話のプロメテウスの物語にも、人々に対する哀れみや自己犠牲の精神が示されている。洋の東西を問わず、人類が長い歳月のなかで経験してきた人生の紆余曲折や生命を重んずる意識、人間性の美しさは共通している。

多くの研究者は、中国に伝わる神話は崑崙系、蓬莱系、楚辞系の三大系統に分類できると考えている。研究者によっては、蓬莱系と楚辞系の神話は崑崙系の神話の影響を受けていると指摘している。だとすれば、歴史上のチャン族の移動と関係しているかもしれない。

現在のチャン族は甘粛省や青海省一帯に分布している。しかし研究によれば、チャン族は秦代から漢代にかけて次々に中原に入って中華文明と融合した。春秋時代(紀元前771年-同453年)に整理された「国語」には、斉、許、申、呂の国の人の祖先はすべてチャン族だと記されている。秦が強大になると、チャン族の一部はより遠く離れた現在の新疆や中国西南地区への移動を余儀なくされた。

中国には現在、56の民族があるが、研究によると漢族を含む3分の1の民族の起源は古代チャン族と密接な関係がある。崑崙神話はチャン族の移動を通じて、中国の各民族に伝わったのかもしれない。崑崙山発祥の文化は、極めて古い時代から「多民族による大家庭」と言える中国の各民族に伝わった。

■神話中の人物像は絶えず変化してきた

神話は、文学芸術の原型でもある。そして神話中の人物像は絶えず進化する。古い書物である「山海経」では、西王母が「体は人のようでいてヒョウのような尻尾、虎のような歯があってほえる」と紹介されていた。しかし漢が滅びた後に道教が発達すると、西王母は最高神の玉皇大帝の妻である神女であり、仙女を統率する存在になった。

近代以降も崑崙神話は多くの作家にインスピレーションを与えてきた。作家が注目したのは、長く伝えられてきた困難を恐れず夢を追い求める精神や公のために尽くす無私の精神だ。代表的な作品には郭沫若の「女神」、魯迅の「補天」、「奔月」などがある。これらの作品は、民族が危機的状態にあった時代にあって、民の知恵を啓発し、抗争の精神を刺激しようとしたものだ。

崑崙文化には多くの民族の移動や交流、相互作用の影響により、包容力や拡散力に富むようになり、絶えず発展してきた一方で、断片化という現象も発生した。伝承全体が体系的ではなくなってしまったわけだ。従って、現在では一種の文化のイメージとして、あるいは素材の宝庫としての役割りを果たしている。

■現代における神話の存在意義とは

ここ数年来は多くの文学作品やアニメ、映画などで崑崙神話に触発された作品が発表されている。中国国内だけでなく、海外に対する崑崙文化の影響も強まった。神話が持つ中核的な精神は放棄しないという前提はあるが、現代的手法と結合させた柔軟な形で、崑崙神話に関連する再創造を進めていくべきだ。

「今とは常に過去の手のひらの中にある」という言い方がある。どの時代においても、新しい文化を発展させるには、伝統文化の中の精神的価値を見出す必要がある。神話は民族文化の「根」であり、中華文化の血脈や中華民族の遺伝子に組み込まれて何千年も受け継がれてきた文化だ。

中華文化は5000年も続いてきた。様々な変遷や発展はあったが、中華民族の性格の中の一部の原始的で素朴な品性は退化し、失われる可能性もある。

われわれはすでに、原点から遠く離れた位置にある。しかし「はるかに遠い場所に行っても、なぜ出発したかを忘れるな」という言い方もある。現代社会で生活しているわれわれは、神話を捨てたり軽視すべきでないと考える。敬意をもって神話を理解し、神話に含まれる深い内容を考察し、物語が持つ詩の要素や霊性を感じ取るべきだ。人と自然が切り離されていない神話の世界に触れ、人が持つ原初的なロマンと崇高さを感じ取ってこそ、今の現実の生活についても、よりよい心構えを持てるはずだ。

一つの民族とは、自らが主体的であることと文化意識を保持せねばならない。そうでなければ、自己を失ってしまう。「中華民族の偉大なる復活」が叫ばれているが、適時適時に原点を見つめなおさねばならない。最も原始的で、最も中核的で、最も長い歴史のある文化に触れることで未来の文化が持つべき価値と意義を発掘せねばならない。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携