中国版・渋沢栄一の張謇、その精神が現代人に教えるものとは―農村振興の研究者が解説

中国新聞社    2022年6月19日(日) 23時0分

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清末から中華民国期にかけて、自国が強く豊かになり人々が幸せになることを願って事業を進めた張謇という中国人がいた。いわば中国版の渋沢栄一だ。写真は江蘇省南通市にある張謇紀念館。

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清朝末期から中華民国期にかけて多くの企業や学校を創立した張謇という人物がいる。その特徴は、儒教などの伝統的な倫理観と、母国を強く豊かにするという使命感を抱いて事業に励んだことだ。ということで、どうしても日本の渋沢栄一を連想してしまう人物だ。日本と中国の国情が大きく異なることもあり、両者の発想や方法は同一ではない。しかし、西洋の資本家とは異なる東洋の伝統思想が発想の原点にあった点は同じだ。山東省にある斉南大学農村振興学院で首席研究員を務める温鉄軍氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、張謇が手掛けたことや、その精神や手法が現代人に教えてくれるものを解説した。以下は温首席研究員の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■資本投入の目的は個人的利益でなく社会を発展させること

張謇は1853年に、現在の江蘇省南通市内で生まれた。そして科挙の試験にも合格し、最終的には最上位の状元になった。つまり彼は儒教の考え方をしっかりと身に付けていた。これが後に実業の道を歩み始めてから、いわゆる「儒者ビジネスマン」なった最大の要因だ。

張に転機をもたらしたのは、1882年に朝鮮で反乱が発生した際に、清の北洋海軍の応援として、朝鮮に派遣されたことだった。彼は日本の動きから、帝国主義の侵略性を知った。1894年の日清戦争に中国側が敗北すると張は大きな衝撃を受け官職を辞し、帰郷して「大生集団」を設立して、繊維工業を興した。

張の特徴は、資本の投入の目的は投資家の個人的利益ではなく、社会全体を発展させることという信念を持っていたことだった。


写真は江蘇省南通市にある張謇紀念館

■西洋的資本主義でなく中国の国情に合致した方式を推進

張の発想は、当時の中国の国情にも適合していた。清朝末期に始まった「洋務運動」の担い手は地方当局であり、富国強兵を目的に西洋の技術を導入して事業を興した。しかし日清戦争の敗北により、事業は官民の共同出資の方式になった。

このことは民間側の投資家が、西洋のような純粋な営利目的の事業展開をできなくなったことを意味する。張が設立した「大生集団」にも、官側の資本が入っていた。

清朝は封建体制の国だった。清朝末期に出現した近代的企業家は、新興ブルジョワ階級に属する。従って、より自由に経済活動を営める新しい体制を求める。つまり、当時としては革命的な性格を持っていた。ここまではフランス革命などの状況と同じだ。しかし当時の中国では、「企業家は私的利益の最大化を追求する」という、“教科書的な資本主義”を追求することができなかった。

張の重要な思想の一つに「村落主義」がある。これは、地域の経済的な自立をめざすものだ。地場産業を発展させ経済を活性化することを社会事業と考えるわけだ。

張が事業を展開した故郷の南通市は当時、南通県と言った。清朝末期から中華民国初期にかけての南通県の発展はめざましかった。教育や医療、困窮者支援、男女平等、女性教育、科学技術が向上し、さらにはスポーツ施設や公園、博物館、図書館、劇場などの建設と運営といった社会文化事業も推進された。


写真は江蘇省南通市にある張謇紀念館

■農民から搾取するのではなく利益を還元した

「大生集団」は、工業企業として農民を抑圧搾取したわけでない。農会という農民の組織と密接に連携した。農家はまず綿花を生産する。綿花は工場に運ばれる。工場で生産された綿糸を使って、今度は農家の女性が布を織る。

この方法ならば、農家側もまとまった収入を得られる。また、「男が耕し、女が布を織る」という伝統的な構造も残っているので、農民も納得しやすい。

張が残した最も貴重な精神的遺産は「大公無私」、つまり公を至上のものとし私利を求めないことだ。張は企業経営で得た利益を自分のものにしなかった。私を含め張の研究者は、「投資によるリターンを1銭も手にしなかった資本家」と表現している。張は経済活動によって得た収益を、すべて公益事業に回した。公益事業として学校なども多く設立した。張は裕福になるどころか、公益事業の推進のために多額の借金をした。

張は、現地化された経済循環の中で機能する工場を建設するだけでは、産業全体は発展しないことをよく理解していた。そのため、さまざまな加工業を興すと同時に、埠頭(ふとう)や倉庫などの物流業の創設に着手した。さらに金融業や保険業の設立も進められた。

このような産業チェーンの形成は、産業全体のコストを軽減させる。そうなれば競争力が強化される。張の方法は、今日的な目で見ても、決して遜色がない。張の経験は現代を生きる我々に、地場産業チェーンの強化が必要であることと、その方法を教えてくれる。

張の経験は、文化教育などの社会事業を発展させることの重要性も教えてくれる。大生集団の労働者の資質は他の地方や他の産業より高かった。障害を持つ労働者もきちんと教育を受けていた。社会の総合的発展と産業の総合的発展は良好な補完関係を形成し、同時に安定と団結が社会の総合的発展に貢献した。

中国では現在、まずは国内での良好な経済循環を出現させ、それを世界全体の大循環に接続する経済構造づくりが進められている。そんな状況にあって、張がめざした「地場経済の確立」は、大いに参考になる。(構成 / 如月隼人


写真は江蘇省南通市にある張謇紀念館


写真は江蘇省南通市にある張謇紀念館

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