「ジェノサイド」は恐ろしい言葉=犯罪捜査、再発防止に意義―赤阪清隆 元国連事務次長

赤阪清隆    2022年6月1日(水) 7時20分

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「ジェノサイド」、すなわち集団殺害というのは、恐ろしい言葉である。軽々に口にすべき言葉ではない。写真は国際刑事裁判所(ICC)。

「ジェノサイド」、すなわち集団殺害というのは、恐ろしい言葉である。軽々に口にすべき言葉ではない。なぜなら、その言葉の意味するところが恐ろしいだけでなく、ジェノサイドの加害者と非難された側に、極度の感情的な反発を招くからだ。しかし今、ウクライナ危機に絡んで、プーチンロシア大統領、ゼレンスキー・ウクライナ大統領、ボリス・ジョンソン英首相やバイデン米大統領などの口から、いともたやすくその言葉が発せられている。プーチン大統領は、ウクライナのドンバス地方でロシア系住民に対するジェノサイドが行われているとの主張を侵攻の言い訳のひとつにしたし、ゼレンスキー大統領らは、ウクライナ東部および首都近郊におけるロシア兵による民間人殺害をジェノサイドと呼んだ。

ジェノサイドという言葉をめぐっては、よく知られたとおり、トルコとアルメニアの間に有名な「ジェノサイド論争」がある。19世紀末から20世紀初頭のオスマントルコ帝国によるアルメニア人大量殺害事件に関してのものである。アルメニアが「あれはジェノサイドだった」と主張するのに対し、トルコは、事件の計画性や組織性を認めず、ジェノサイドと称することを頑なに拒んでいる。

しかし、バチカン、ドイツ連邦議会のほか、フランス、ロシア、カナダ、ブラジルなど、20以上の国々と欧州議会が、この事件をジェノサイドと認めるに至っている。アメリカも、2021年4月、就任間もないバイデン大統領が正式にジェノサイドと認める声明を出したが、トルコ外務省は早速声明を出し、これをきわめて強い言葉で拒否し、糾弾すると反発した。

ジェノサイドという言葉は、もともと、このアルメニア事件に関心を持ったポーランド系ユダヤ人弁護士のラファエル・レムキン(1900~1959)が、1940年代前半に人類とか部族、家族などを意味するギリシャ語の「ジェノス」と、殺人を意味するラテン語の「サイド」を組み合わせて創った言葉である。ドイツのニュルンベルクで行われたナチス幹部を裁く国際軍事裁判所では、ジェノサイドという言葉は起訴状に含まれたが、法律用語としてではなく、説明的なものであった。

レムキンらの努力が実って、1948年12月、国連総会でジェノサイド犯罪の防止と処罰に関する条約が採択され、ジェノサイドは国際犯罪と認められるにいたった。この条約では、ジェノサイドとは、国民的、人種的、民族的または宗教的集団を全部または一部破壊する意図をもって行われた、殺人、重大な肉体的または精神的な危害、生活条件の強要などを意味するとされている。締約国は、ジェノサイドを防止し、処罰することを約束している。

罪を問われた者は、その行為が行われた国の裁判所または国際刑事裁判所により裁判を受けることになる。この条約は、2019年の時点で、ロシアおよびウクライナを含む世界152カ国が締約国だが、G7先進国では、日本だけが、扇動や共同謀議などについての国内法の整備が整っていないことを理由に批准していない。今回のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、与野党の議員から、「日本も早く批准を」という声が上がっている。

国際刑事裁判所(ICC)については、その基本条約(ローマ規程)を、ロシア、ウクライナとも批准していない。しかし、ウクライナは、2014年に同裁判所の管轄権を受け入れる決定をしており、ICCの検察官は、ウクライナで起きた事件を捜査できる。今回のロシア侵攻については、日本を含む41カ国が、2月末から3月にかけて、戦争犯罪などを捜査するようICCに付託した。この付託を受けて捜査の開始を認めたICCの判事団の中には、日本の赤根智子判事が含まれている。ICCのカーン主任検察官が出した声明では、戦争犯罪および人道に対する罪が行われたと信じるに理由があり捜査に着手する(ジェノサイドについては言及なし)とし、3月中旬には現地捜査を開始した。

国際刑事裁判所(ICC)と紛らわしいものに国際司法裁判所(ICJ)がある。国際連盟時代に沿革を持つ国際司法裁判所(ICJ)は、国家間の紛争を解決する老舗の主要国連機関のひとつであるが、2002年に出来たばかりの国際刑事裁判所(ICC)は、戦争犯罪やジェノサイドなどの重要犯罪を犯した個人を裁くところだ。ウクライナは、ICJに対して、ロシアはウクライナ東部でのジェノサイドという虚偽の主張でウクライナに軍事行動を行っているとして、ロシアを提訴した。3月16日、ICJは、ウクライナ東部においてジェノサイドが行われているとのロシアの主張を裏付ける証拠は見当たらないとして、ロシアの軍事作戦の停止を命じる暫定措置命令を発した。ロシアは、このICJの命令を無視して軍事侵攻を続けている。

これまでのところ、国際刑事裁判所(ICC)によってジェノサイドが認定された事件はまだ一つもない。しかし、国連安保理の決議に基づく特別の国際刑事裁判所でジェノサイドが認定されたのが2件、国連の協力を得た特別の国内法廷でジェノサイドが認定されたのが1件ある。前者は、1994年におよそ50万から100万人が虐殺されたと推測されるルワンダの虐殺に関するルワンダ国際刑事裁判所の判決、および、1995年ボスニアヘルツェゴビナのスレブレニツァで起きた約8千人の虐殺に対する旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の判決だ。国連の協力を得ての国内の特別法廷の例は、1970年代後半にクメールルージュがおよそ100万から200万人を虐殺した事件に関するカンボジアの国内特別法廷の判決だ。このカンボジアの特別法廷に関しては、日本が国連総会決議の成立や、人的、資金的な面で、多大な貢献を行った。

ジェノサイドではないかと疑われているものの、まだ国際裁判や国連で正式に認定されていないものに、前述の19世紀末から20世紀初頭にかけてオスマン帝国内で起きたアルメニア人大量殺害事件、200年代半ばから後半にかけてスーダンのダルフール地方で起きた大量殺人、現在も論争が続く中国政府による新疆ウイグル人弾圧がある。新疆ウイグル人の弾圧については、イギリスおよびフランスの議会の下院がジェノサイドと認めて、それぞれの政府に必要な外交措置を求める決議を採択している(イギリスは昨年4月、フランスは今年1月)。また、米国では、ポンペイオ前国務長官およびブリンケン現国務長官が、中国政府による新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒少数民族の弾圧を、ジェノサイドと認定する旨の発言を行っている。

はたして、ウクライナで現在起きていることが、ICCでジェノサイドと認定されるだろうか?「ハードルは高い」と、前ICC判事の尾崎久仁子さんは メディアに話している。「集団を殲滅する意図」を立証することが困難だからだ。また、犯罪人(プーチン?)を逮捕しないと裁判が始められない。しかし、尾崎さんが言うように、捜査をきちんとやって犯罪として調べておいて、将来機会があれば処罰できるようにしておくのは意義があろう。

さらに、ICCによる犯罪捜査を行うことは、ジェノサイドの再発を防止する上でも、意味があると思われる。ジェノサイドだと非難されたどの国も猛烈に反発するのは、ジェノサイドという恐ろしい罪の汚名を被りたくないからであろう。ウクライナによるジェノサイドを止めるという口実で侵攻したロシアが、ジェノサイド犯罪で非難、追求され続けたら、少しはその残虐な戦争行為を自制することになるのを期待したい。いずれにせよ、一日も早くこのロシアの非道な軍事侵攻が止むことを願うばかりである。

■筆者プロフィール:赤阪清隆 元国連事務次長

京都大学、ケンブリッジ大学卒。外務省国際社会協力部審議官ほか。経済協力開発機構(OECD)事務次長、国連事務次長、フォーリン・プレスセンター理事長等を歴任。

■筆者プロフィール:赤阪清隆

公益財団法人ニッポンドットコム理事長。京都大学、ケンブリッジ大学卒。外務省国際社会協力部審議官ほか。経済協力開発機構(OECD)事務次長、国連事務次長、フォーリン・プレスセンター理事長等を歴任。2022年6月から現職。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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