宗教に支配された歴史のない中国は特殊な国―専門家が外来宗教の「作戦」含めて解説

中国新聞社    2022年5月2日(月) 11時30分

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西洋中世社会ではキリスト教が強い力を持っていた。しかし中国で、そのような状況は出現しなかった。写真は天に祈りを捧げる儀式の主宰者である皇帝が住んだ紫禁城(現・故宮博物院)

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西洋中世社会では、キリスト教が強い力を持っていた。世俗的な王権が教会に屈服したこともあった。しかし中国で、そのような状況は出現しなかった。国際儒学連合会の副会長なども務める中国人民大学の張践教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国史における政治と宗教の関係を解説した。以下は張教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■中国で、宗教指導者が政治指導者になる状況は発生しなかった

中国の政治と宗教の関係は長い歴史を通して「政主教従」、つまり政治が主体で宗教が従う状態だった。ただし、政治と宗教の関係が近代国家のような政教分離だったわけではない。

世界の多くの地方で、歴史の早い時期に多く存在した国の形態は「神権政治」だった。つまり政治の指導者が宗教の指導者を兼任した。エジプトのように、国王が神の化身と考えられた国もあった。その国の宗教は、その国の唯一のイデオロギーだった。その意味で「教主政従」だったと言える。

次の形態として、中世欧州で出現したのが「国教統治」だ。政治権力と宗教組織は分離されていたが、各国君主は政権の正統性を獲得するために、法王や司教が王冠を授ける形式の戴冠式を行った。キリスト教は欧州全域で、社会の是非を判断する究極の基準であり、宗教法廷は最高の司法機関だった。国王と教会が対立して、国王側が屈服したこともあった。

西洋ではその次の段階として「政教分離」型の国家が登場した。政権の正統性は宗教などには関係なく、人民が支持することと考えるわけだ。政権担当者は国を統治する一方で、統治される側の国民の監督を受けねばならない。「ユダヤ・キリスト宗教」思想は依然として西洋近代国家の政治的合法性の深層文化遺伝子であり続けたが、宗教が政治に直接関与することはなくなった。

儒教が他の思想を吸収融合することで「中華イデオロギー」が成立

世界の国の圧倒的多数で、中世期までは政治が宗教の強い影響下に置かれた。中国は数少ない例外の一つだ。孔子は「天」の存在を否定せず、宗教上の祭事を重視したが、儒教の主張は完全に現実社会に重点を置いた。儒家は当初、法家など他の学派と対立したが、漢の武帝(在位:紀元前141年-同87年)時代の大儒者だった董仲舒は陰陽家の主張を媒介物として、法家、道家、墨家などの政治思想を儒家の体系に融合させた。このことで帝政時代の中国の社会政治のイデオロギーが完成した。

中国の宗教は公権力と結びつき、「天を祭る」「祖先を祭る」「社稷を祭る」などの宗教儀式が盛んに行われた。しかし独立した宗教組織はなく、宗教勢力が政治権力に対抗することもなかった。

漢代以降に外国から伝来した宗教が政治権力と結びつくことや、国家の政治イデオロギーになることもなかった。中国ではいかなる宗教も、政治の付属的な地位に置かれた。宗教が政治に影響を与えたとしても、文化の側面から政治を支える役割に限定された。

中国では宗教結社が王朝に抵抗したこともあったが、いずれも現政権に容赦なく叩かれた。

■外来宗教は「郷に入っては郷に従え」で中国に定着

中国の固有の宗教感覚は一方で、強い影響力を保ち続けた。例としては「三綱五常」がある。「三綱」とは社会や政治の運営の原則である「子は父に従う、臣下は君主に従う、妻は夫に従う」で、「五常」とは倫理の基本である「仁・義・礼・智・信」を指す。

外来宗教は、自らの教えが「三綱五常」に合致していることを明示せねばならなかった。例えば宋代の高僧である契嵩(1007-1072年)は、仏教の「五戒」で儒家の「五常」を解釈し、仏教の立場から「三綱五常」の倫理を論証した。

中国には遅くとも唐代(618-907年)にはイスラム教が伝来していたが、明代(1368-1644年)になると「回儒」と呼ばれるイスラム教信者である儒者が多く出現した。代表的な回儒である王岱舆(1570年ごろ-1660年ごろ)は、「人生における三つの重要な正しい事とは、主(神)に従順であり、君主に従順であり、親に従順であることだ」と論じた。また王岱舆は、「コーランを読んで主を忘れないことは『仁』、貧乏人にアラーの恵みを施すのは『義』、アラーと君主を拝するのは『礼』、自己を戒めるのは『智』、メッカを巡礼するのは『信』」とも主張した。つまりイスラム教を中国の伝統的宗教感や社会制度に適合させた。

明代にカトリックの布教をしたマテオ・リッチ(1552-1610年)はキリスト教の解説書である「天主実義」の序文に「賢聖は人に忠を勧める。忠は無二なるものである」と書いた。リッチは同序文で、儒教が尊ぶ倫理関係である五倫(君臣、父子、夫婦、長幼、朋友)の用語や「三綱五常」と同じ言い回しも使っている。中国社会の上層部の多くの人、そして皇帝までもが「天主実義」を支持したのは、マテオ・リッチが中国社会を深く理解しており、中国人が肯定しやすい書き方をしたことが大きく関係している。

中国では政治が主導し、宗教や思想が積極的に補助するモデルが確立された。この歴史を通しての経験は、現代社会を運営するためにも何らかの参考になるように思われる。(構成 / 如月隼人

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