伝統文化の継承を支え続けた文房四宝—専門家が歴史過程と現状を解説

中国新聞社    2022年4月19日(火) 23時20分

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「文房四宝」とは、筆・墨・紙・硯(すずり)のことだ。この4種の道具は長い歴史を通じて、中国の書画文化の支え手であり続けた。文房四宝を理解する上では、何が大切なのか。現代社会での位置付けはどうなのか。

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「文房四宝」とは、筆・墨・紙・硯(すずり)のことだ。この4種の道具は、長い歴史を通じて中国の書画文化の支え手であり続けた。文房四宝を理解する上では、何が大切なのか。現代社会での位置付けはどうなのか。中国科学院科学伝播研究センター主任で、中国文房四宝協会副会長なども務める湯書昆教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて「文房四宝」について詳しく説明した。以下は王教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■外国の古い硬筆は姿を消したが、中国人は毛筆を手放せなかった

古代エジプトの葦(あし)ペンや西洋の羽ペンは硬筆に分類される。中国の毛筆は軟筆だ。硬筆の場合には万年筆やボールペンなどが新たに登場した。これらは旧式の硬筆よりも便利で耐久性があった。だから葦ペンや西洋の羽ペン歴史の舞台から退いた。中国の筆は今も盛んに使われている。

2000年以上の歴史を持つ毛筆は、中国人の筆記用具であり続けた。東洋の書画で求められる効果を出すには、硬筆では代替できないからだ。20世紀後半からは日常生活における毛筆の重要性が低下したが、現在でも毛筆による書道は中国の特色が濃厚な文化だ。

中国では極めて早くから紙が一般的に使われていた。欧州では長期にわたり羊皮紙が使われ、エジプトではパピルスが使われていた。インドではヤシ科のコウリバヤシの葉に文字などを記録した。日本では木簡や布が使われた。

パピルスを作るために適した草はナイル川周囲の湿地帯でしか採れなかった。従って生産場所に制約が大きく、生産量も増やせなかった。また、パピルスは草の茎の薄片を重ねてたたいて作る。「パルプ」という中間生成物を経ていないので、書き心地はよくない。羊皮紙や絹布は高価すぎて、大衆への普及には不向きだった。

■世界を変えた中国の大発明「紙」は、どれだけスゴかったのか

紙は後漢時代の蔡倫(50?―121?年)という人物が発明した。蔡倫は原始的な製紙法を総括して、樹皮やぼろ布を水に漬けてたたくことで繊維をばらばらにして、それを漉(す)くことで植物繊維がからみあった紙を作り出した。

751年に、現在のキルギス領内のタラスで、唐軍とイスラム帝国アッバース朝軍が激突した。唐軍は大敗した。アッバース朝軍の捕虜になった唐軍兵士の中に紙職人がいた。アッバース朝はサマルカンドに紙づくりの工房を作り、中国人職人に紙を作らせた。

13世紀ごろには、製紙技術がイタリアにも伝わった。18世紀末にはフランスで、中国の製紙技術を基礎として西洋の機械技術を利用する新たな製紙法が開発された。世界は近代的な機械製紙の時代に入った。「紙のある時代」が到来したことで、知識の共有が飛躍的に増加した。

世界各地で、原材料や製法の違いにより、さまざまな性質の紙が登場することになった。中国の書画で使われる紙の代表は、現在の安徽省宣城市ケイ県(「ケイ」はさんずいに、つくり部分は上から「一」、「巛」、「工」)、宣州と呼ばれた地で開発された宣紙だ。

宣紙はケイ県一帯に多く自生する青檀 (セイタン)の樹皮と現地の砂質の田で栽培される稲のわらを主原料にする。この稲わらには、一般的なわらよりもよい繊維が多く、腐敗しにくく、自然漂白をしやすい長所がある。宣紙づくりには主要な作業だけでも18の工程があり、完成するまでに1年間を要する。出来上がった宣紙は、柔らかい一方でしっかりとしており、墨の発色に素晴らしい変化をつけることができる。

中国では元代(1279-1368年)に、墨色の潤沢さを重視する「東方水墨」と呼ばれる絵画の様式が盛んになった。宣紙は墨色の変化で朦朧(もうろう)とした雰囲気を出す東方水墨にもうってつけの紙だった。

清朝末期の光緒年間(1875-1908年)には、日本の製紙専門家が中国で詳細に調査研究して宣紙を再現しようとしたが、技術はあっても原材料が特殊であるために日本での再現は困難で、最終的には放棄せざるをえなかった。

■文房四宝は中華文明の伝統を支えてきた、中国人は将来も手放さない

文房四宝は中華文明の安定と伝承に重要な役割りを果たしてきた。中国の歴史では、少数民族が樹立した王朝も珍しくない。代表的な王朝はモンゴル族が樹立した元朝や女真族による清朝だが、それ以外にも北魏、遼、西夏、金など多くの少数民族政権があった。中国の古典文化を大切にした支配者は多く、清朝の康熙帝(在位:1661-1722年)、雍正帝(同:1722-1735年)、乾隆帝(同:1735-1796年)のように、自らが書をよくした皇帝もいた。

これらは、どの時代においても思想概念や審美眼が受け継がれてきたことや、文房四宝を用いた表現が共感されたことを示している。文房四宝は小さな道具だが、それを用いる人の古典文化への帰属意識を強め、文化活動に積極的に参加し体験することを促してきた。日本人や中国人も歴史を通じて、文房四宝を用いて中国文化を体験してきた。

現在では小学校における書道教育にも力が入れられている。理系の中国科技大学でも学部学生や大学院生、外国人留学生を対象にする「文房四宝を用いたカリキュラム」が始まった。高度に完成された古典的な道具と表現方式は新たな時代にも受け継がれている。文房四宝は若い世代の中国人にとって、自民族の文化を理解する「窓口」だ。

過去20-30年において、高級な文房四宝に対する需要は徐々に回復してきた。歴史上の最高水準に匹敵する文房四宝の傑作も多く生まれている。この現象は中国の経済社会の発展レベルの向上に伴うものもあり、高級な文房四宝に対する需要は、今後さらに高まるだろう。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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