〈新疆の世界遺産8〉北庭故城:唐代~高昌回鶻時代の都市遺跡

小島康誉    2022年3月26日(土) 16時40分

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北庭故城西大寺の仏像、荒廃が痛々しい(撮影:楊新才氏)

北庭故城は天山山脈の東部分北麓・ジュンガル盆地南辺のジムサール(吉木薩尓)県(中国の県は市より下の行政単位)中心から北約12kmの北庭鎮に所在している。北庭故城は後漢の金満城、車師後国、魏晋時代の于頼城、隋末唐初の可汗浮図城から発展し、唐代に庭州、北庭都護府、北庭節度使、回鶻時代に高昌回鶻王国の第二都市、元代には北庭都元帥府、ビシュバリク宣慰司が置かれた。14世紀中期より衰退し15世紀には放棄された。

西大寺を覆う博物館建設前の北庭故城西大寺(小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』日本僑報社より)

現存する北庭故城は主に唐代から回鶻時代の遺構で、北庭故城址と西大寺である。天山山脈の北麓に位置するところから北庭と称されたとか。1988年第3次「全国重点文物保護単位」に指定され、保護が行われている。北庭故城址は東西約850m、南北約1700m、面積約1.4平方キロメートル。外城と内城に2重の城壁が部分的に残存している。城内には仏塔遺構をふくむ12件の建築遺構の基礎部分が残っている。西大寺は「北庭高昌回鶻仏寺遺跡」とも称され、北庭故城址の西約700mに位置し、高昌回鶻時代(10世紀中期~13世紀中期)の王家の寺院である。南北約70m・東西約44m、高さ約14m。西大寺覆う博物館の館内には残存する仏像や壁画などの展示室もある。中国には「秦始皇帝兵馬俑博物館」など遺跡全体を覆う博物館があるが、「北庭高昌回鶻仏寺遺跡博物館」もそのひとつである。ウルムチから日帰り観光で訪れる人も多い。ご参考:小島ほか編『新疆世界文化遺産図鑑』

北庭故城西大寺を覆う博物館完成後、仏像の上半身は失われている(撮影:筆者)

付記:世界遺産はロマンチックに響く。しかし登録に至る道のりは険しい。保護・周辺整備など種々の準備、国内審査を経て、政府がユネスコへ推薦、ユネスコ世界遺産センターが諮問機関(文化遺産候補は国際記念物遺跡会議・自然遺産候補は国際自然保護連合)へ評価依頼、諮問機関が現地調査し評価を勧告、世界遺産委員会で審議し「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの決議を行い、「登録」と決議されると「世界遺産」となる。

それらの過程で民族・領土・歴史問題なども絡み、ロビー活動が展開される。例えば広島原爆ドームの審議でアメリカは棄権、今年2月日本が申請した「佐渡島の金山」では韓国が強制労働させられたと主張し早くも反対表明。ちなみにキジル千仏洞など新疆の6遺跡が世界文化遺産となった「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」の当初申請名は「シルクロードの始点-天山回廊の道路網」。世界遺産が増えすぎ、一国家は一年に文化遺産と自然遺産それぞれ一ヵ所しか申請できない。中国は2014年文化遺産では「京杭大運河」を申請のため、本項目はキルギス枠で申請し、中国が中心となって対応した。諮問機関派遣専門家による新疆内の現地調査は日本人研究者が担当した。

■筆者プロフィール:小島康誉


浄土宗僧侶・佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表・新疆ウイグル自治区政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種国際協力を実施中の日中理解実践家。
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