<「尖閣」巡る日中攻防(下)>双方が「棚上げ」合意=戦略的互恵関係推進で「平和の海」に

八牧浩行    2022年3月20日(日) 6時0分

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人類の歴史上領土が原因の戦争は何回もある。というより、ほとんどの戦争が領土をめぐる諍いが発端だ。日本と中国両国政府による「尖閣諸島領土の棚上げ論」は歴史の節目に度々登場する。写真は日本記者クラブ。

日本と中国両国政府による「尖閣諸島領土の棚上げ論」は歴史の節目に度々登場する。最初に出てきたのが1972年9月下旬の田中角栄首相と周恩来首相による日中国交正常化交渉だ。

中国側は「中日の指導者は大局に立って島の帰属問題を一時棚上げし、子孫に残して解決させることで合意した」としている。周恩来が棚上げを提案に対し、田中首相も「小異を捨てて大同につくという周総理の提案に同調する」と答え、棚上げ論に同調している。

これから6年後の1978年8月10日。北京での日中平和友好条約交渉時における園田外相とトウ小平副総理との会談でもっと突っ込んだやり取りがあった。トウ氏はこの会談で、「このような(尖閣・釣魚島)問題については今詰めないほうがよい。“平和条約の精神”で何年か脇に置いても構わない。何十年たっても、この問題が解決されなければ友好的につきあいができないということはないだろうし、友好条約が執行できないわけでもないだろう。この問題を脇に置いたまま、我々の世代は問題の解決策を見つけていないが、我々の次の世代、また次の世代は必ず解決方法を見つけるはずである」と語った。

この時、園田直外相も「棚上げ」を前提として会談に臨み、トウ氏が棚上げを確認したことに対し、ほっとしたと次のように述壊している。「(トウ小平氏が今まで通り棚上げしようと言ったことは)言葉を返せば、日本が実効支配しているのだから、そのままにしておけばいいというのです。それを淡々と言うからもう堪りかねてトウさんの両肩をぐっと押さえて、『閣下もうそれ以上言わんで下さい』。人が見ていなければトウさんにありがとうと言いたいところでした」(園田直「世界日本愛」第三政経研究会)。

園田外相がこの時「ほっとした」のは望んでいた「棚上げ」継続で合意できることが分かったからだ。日中どちらの領有か蒸し返されずに済んで思わず「ありがとう」といいたいところだった、と本音を率直に披歴しているのである。

◆「棚上げ」を再三確認

日中政府はその後も再三再四、「棚上げ」論を確認し合っている。トウ小平氏が日中平和友好条約批准のため1978年10月に来日した際、福田赳夫首相との会談でも「棚上げ」を確認した。滞日中の10月25日にトウ小平が東京内幸町の日本記者クラブで次のように発言している。「国交正常化の際(72年)、双方はこれ(尖閣問題)に触れないと約束した。今回平和条約交渉の際(78年)も同じくこの問題に触れないことで一致した。両国はこの問題を避けるのがいい。こういう問題は一時棚上げして構わない」。

 

この半年前の78年4月、100隻以上の中国漁船が尖閣近海で操業し、領有をアピールしたが、10月の記者会見でトウ小平副首相は、漁船の操業は偶発事故であり、今後このような事態にならないようにしたい」と遺憾の意を表明。このあと「われわれの世代には知恵がない。次の世代がこれを解決するだろう」との発言が飛び出したのである。

日本側はこの中国の提案を事実上受け入れた。日本が尖閣諸島を実効支配しており、これに対し異議を唱え現状の変更を要求しているのは中国であり、その中国の「決着を後世に先送りする」との提案に乗るのは得策と考えたようだ。実際、次の世代に知恵を出させるまでは、日本側は尖閣諸島に対し現状を変えないように配慮することを意味し、「現状維持」「棚上げ」について暗黙の了解が成立したと見ることができる。

政府・外務省は「棚上げは中国からの一方的な提案であり、合意ではない」と否定してきたが、日中国交回復交渉時に外務大臣だった大平正芳元首相の追悼集の中にこれを覆すくだりが明記されていた。田中角栄首相と周恩来首相によるトップ会談の席上、周首相が「これ(島の帰属)」を言い出したら日中首脳会議はいつまで経っても終わりません。今回は触れないでおきましょう」と切り出したのに対し、田中首相が「それはそうだ。じゃあ触れないでおきましょう。では別の機会に」と答えたというのだ。当時の橋本恕中国課長の記述である。「棚上げ」という言葉はつかわれていないが、中国側が「棚上げ」を提案し、日本側は受け入れている。

◆重たい「暗黙の了解」

日本側が公式文書から削除したのは、「実効支配しており領土問題は存在しない」との主張を通すための思惑があったからであろう。国交回復時に障害となった領土問題を「棚上げ」した。双方とも小さな島にこだわるより国交正常化の方がはるかに重要課題であり、明らかに賢明な判断だったが、問題は日本政府がその事実を丁寧に国民に説明していないことである。

棚上げは日本の実効支配を強めることであり、中国に有利な解決手段ではない。かつ中国側は実力で日本の実効支配を変更しないことを確認したことを意味するのだ。日本にとって有利なこの「棚上げ」の事実を歴代政府・外務省が隠してきたことのツケは大きい。

このことこそが、今日の紛争に影を落としていると言えよう。                                                                                                                                                                                                                                                  

その後、現状を維持するとの「暗黙の了解」をベースにしながらも、その後、時の流れに時々大きく揺さぶられた。中国は東西冷戦の終結など国際関係の変化と中国自身の経済大国化に伴って尖閣諸島に関する政策を変化させてきた。その端緒になるのが、中国が1992年2月、「領海法」を制定したこと。「台湾およびその釣魚島を含む付属諸島は中国に属する島嶼である」と明文化したのだ。これは中国の尖閣諸島領有の立場を一歩顕在化したものと言える。中国は一九八九年の天安門事件で改革派の趙紫陽が失脚した後、保守派の江沢民が総書記となり、「愛国主義」全面に押し出した。ソ連崩壊の直後で、共産党独裁の正統性が問われる中、「愛国」で統治を図ろうとしたわけだが、この思想は「反日」とも直結する。「日本の歴史問題」を国民の目をそらすための材料として使い、対日批判を繰り返し、対日強硬路線に舵を切った。その一環として制定したのが「領海法」だ。

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