中国古典詩の命は永遠―97歳の重鎮専門家は若い世代にバトン渡すこと望む

中国新聞社    2022年3月17日(木) 0時10分

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米国などの外国で長年にわたり中国の古典詩を教えて来た葉嘉瑩氏は、現在97歳だ。近年になって、中国国内で古典詩の講義を担当するようになった。写真は唐代の張継による「楓橋夜泊」の詩で有名な蘇州・寒山寺。

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日本でも李白杜甫の作品など、いわゆる「漢詩」に大きな魅力を感じる人は多い。では中国の専門家は自国の古典詩の素晴らしさを、どのように考えているのだろうか。現在97歳で、中国の古典詩を研究し教えつづけてきた葉嘉瑩氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応えて、中国の古典詩の価値について語った。以下は葉氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

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■苦難多い人生を歩んだ私は、古典詩によって救われた

中国の詩の美しさとは何だろうか。まず個別の文字による押韻や声調(イントネーション)で、独特の音の美しさを作り出した。もちろんそれだけではない。詩には詩人の心の中にあるぎりぎりの感情や生命を言葉にしたものだ。中国の詩はこれらにより独特の美を生み出した。

中国の古典詩では「内なる情動に形を与えて言葉にする」が求められる。自らの外界にあるものに心から感動して、それの心を詩の形にして表出するわけだ。中国の古典詩は独特の理念、趣向、気品、風格を持つ。まさに中華民族の血脈だ。感受性があり、豊かな感情を持ち、修養がある人ならば、詩が持つ誠実で感動に満ちた、尽きることのない生命を感じ取ることができるだろう。

私が古典詩の研究を愛するのは、そもそも学問上の知識を追求するためではなかった。古典詩が持つ一種の命が私を感動させ、目覚めさせてくれるからだった。私の一生には苦難や不幸も多かったが、古典詩のおかげで悲観的にならず平静でいられた。

■若い世代や外国人に、中国古典詩の「心」を伝えたい

今の中国の一部の若者は文化の蓄積が不十分で、詩歌の内容を理解できない。よい詩を見分けられず、どこがよいのかも分からない。詩が人の心と品格の向上にどのように役立つのか理解できない。中国は豊かな文化の宝を守ってきたのに、無知であることは残念だ。

この状況を変えることが、私のこの数年来の大きな願いだった。帰国して教師をすることを選んだ理由でもある。講義の際には、詩の中の感情の役割に特に重視している。私自身の学問能力の不足は自覚している。労多くして功は少ないかもしれない。ただ、自分の知っていることを若者に伝えないので、は古人に対しても未来の世代とっても申し訳ない。

詩を翻訳した場合には、感覚や情緒が全く違うものになるかもしれない。しかし中国古典詩の英訳でも、とても素晴らしい事例がある。翻訳者自身に詩人の情緒と才能があったからだ。そのようなレベルに達するのはとても難しい。

私は英語の基礎がしっかりしていない。発音もよくないし、すぐに詩を上手く英訳することもできない。だから英語で授業する時には、詩に対する私の理解を話す。中国語話者や中国人学生に対するのと同様に、詩人が持つ素晴らしさの本質を伝えるのだ。

外国人の学生は興味を持ってくれる。とても積極的だ。この方法が、私個人の詩に対する心からの感動と理解を伝えることになるのだろう。私が教室で詩を中国語で朗読すれば、学生らは中国文化に陶酔する。

中国の詩には、さらに古い時代の文の引用も多い。詩人は引用に心を砕いた。つまり、詩の背後には膨大な古典文化の積み重ねがある。外国人研究者にとって、非常に困難な状況だ。

しかし、真の中国学者ならば、中国の詩をとてもまじめに研究する。コロンビア大学のジェリー・D・シュミット氏は、私が退職した後に中国の古典詩の講義を引き継いだ。彼の中国の古典に対する知識は膨大かつ詳細だ。蔵書にびっしりと書き込みをしている。このような学問に対する真摯(しんし)で謹厳な態度によって、彼は中国の古典詩をさらによく理解できるようになったのだ。

■ラテン文学より長い中国文学史、古典詩は決して滅びない

私がハーバード大学東アジア学科主任を務めたハイタワー先生と出会ったのは1966年の夏で、それから数十年にわたり協力しあった。私は、中華文化を外国に伝えるのは国際的な協力が重要と痛感した。

ハイタワー先生は、「世界文学における中国文学の意義」と題する文章で、「中国の古典文学はラテン文学よりもさらに長い歴史を持つ。しかも、古代の文語文は現代文が登場した後も重要な文学言語であり、両者は併存している。ラテン文学系のように過去と現在で大きな違いがあるのではない」と紹介した。

中国の古典詩を学ぶ効用とは、優れた感覚を持ち、想像力が豊富になり、活発で開放的になれることだと思う。文学のこのような効用は、西洋の美学でも論じられた。美学の立場からすれば、作者の役割とは、読者が発掘するに値する潜在性を作品に与えることだ。読者は原作者の意図を離れた理解をする場合もあるが、それも含めて「読む」という作業は創造の過程だ。

「中国の古典詩が滅びることはないのか」と問いかける人もいる。私は、滅びることはあり得ないと考える。私は、宇宙には一種の「霊性」があると信じる。人生は短いが、詩の命はいつまでも絶えることがない。(構成 / 如月隼人

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