羽生結弦が表現したスポーツとしてのフィギュアスケートの美しさ―中国メディア

人民網日本語版    2022年2月12日(土) 9時30分

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北京冬季五輪フィギュアスケート男子シングル・フリーの会場は人々の注目の的となった。

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北京冬季五輪フィギュアスケート男子シングル・フリーの会場は人々の注目の的となった。

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先に行われたショートプログラムで8位と出遅れ、米国のネイサン・チェンに19点近くの差があった羽生結弦は、フリーの最初のジャンプとして前人未踏の4回転アクセル(4A)に挑んだ。

例え「4A」に成功したとしても金メダルに手は届かないことを、羽生は十分承知していた。なぜなら国際スケート連盟(ISU)の採点方法によると、「4A」の点数は最高ではあるものの、次に難易度が高い4回転ルッツよりも1点高いだけで、チェンとの19点差を埋めるには4Aの成功だけでは遠く及ばないからだ。

ジャンプが抜けてしまい、回転後に転倒してしまった羽生は最終的に4位に終わり、メダルには手が届かなかった。

観衆は思わずため息を禁じえなかった。なぜならもし羽生が4Aへの挑戦に執着せず、技の難易度を下げてフリーに臨んだなら、彼の輝かしく華やかで完璧なパフォーマンスによって、メダルを手にしていた可能性は高かったからだ。

多くの人は、羽生の見せる見事で完璧な演技を期待していた。なぜなら彼の芸術的表現力はまさに万人の心をとらえていたからだ。フィギュアスケートの美しさは、視覚と聴こえてくる音楽の優美さ、そしてパフォーマンスの美しさを総合させたものであり、1曲の演技の中で人々はその総合された美しさに酔いしれる。羽生はその演技を極限の高みまで持って行く力があり、万人の心を酔わせた。だが、彼は孤高の挑戦者となることを選び、フィギュアスケートの美しさの核心にあるスポーツ競技としての美しさを人々に表現したのだった。

王者であり続けることは、スポーツにおける唯一の意義ではない。ライバルに闘いを挑むことより重要なことは、自分自身への挑戦であり、自分を代表とした人類全体の極限に挑戦することだ。「より速く・より高く・より強く」は、金・銀・銅メダルという結果を超越する。挑戦に100%の成功はあり得ないが、しかしその足りなさというものも一種の美しさと言ってもいいのではないだろうか。それはまさにあらゆるアスリートが、ジャンプし、回転するたびに転倒しては立ち上がり続けるという、夢を追い求めて果敢に奮闘する姿が刻まれ続けてきた五輪の歴史でもある。(提供/人民網日本語版・編集/KM)

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