アジアの空を渡る“ツバメ家族”との、ひと夏の共存=「親子の絆」「礼儀正しさ」に感動

アジアの窓    2022年1月29日(土) 9時30分

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あの別れの朝のツバメ一家の行動は何度思い返しても感涙ものだった。私はツバメと過ごしたこのひと月の体験からすっかりツバメの大ファンになった。

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昨年5月に母の三回忌の準備で空き家同然の若狭の実家に帰郷していた。一周忌もそうだったがコロナ禍での法事の準備は普段以上に細かな神経を使う。遠回しに参列を遠慮する親戚も出てくる。喪主としても無理強いはできない。

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本番は7月なのだが6月に一旦所用で帰京することになった。若狭の5月は気候も良く大変爽やかだ。古民家風の実家は空き家にしていたこともあり、毎朝起床するや窓という窓、戸という戸は全開し新鮮な空気を思いっきり取り入れ、家具や柱や畳に新鮮な外気を吸わせるのを日課としていた。

この事が仇?になりいつの間にかツバメのペアが我が家に出入りしあれよあれよという間に泥や枯れ草を口に咥え玄関の土間の上に巣を完成させ、程なく抱卵を始めた。

一週間ほどの留守だが、はてツバメの出入り口をどうするか、はたと困った。ツバメをシャットアウトするのはあまりにも残酷。と言っても、いくら過疎の田舎でも玄関の戸を開けっぱなしにして帰るわけにはいかない。迷った挙句、玄関脇のトイレの窓をツバメが通過できる幅一尺ほど開けっぱなしにして、ツバメ専用口カラス・ヘビ・ネコ進入禁止と張り紙していったん帰京した。

写真は「ツバメ専用口、カラス・ヘビ・ネコ進入禁止」張り紙

ツバメはこれら三大天敵対策として人間をガードマンとして使う生活の知恵を身につけ、わざわざ人間が頻繁に出入りする賑やかな場所に巣を作るようになったようだ。私は知らぬ間にツバメ一家に雇われた優秀?なガードマンになっていたのだ。青大将が柱をつたいスルスルと巣に近づきヒナを襲いそうになったら直ちに蛇をツマミ出せるようにホームセンターで長い火箸(トング)も購入し巣の近くに備え付けた。

心配しながら一週間後に戻ると幸いヒナ4羽は天敵に襲われず順調に育っているようだった。親は巣の左右にハの字になってヒナを見守っている。よく観察するとツバメのペアは抱卵時には2羽が巣に張り付きともに夜を過ごすが、ヒナになると親鳥二羽は日中は餌の運搬に徹し夜は河川敷で集団で寝ているようだ。しばし親子別居だ。そのかわり親鳥は朝4時頃から夕方7時頃までひっきりなしに餌を運んでくる。ヒナの食欲は旺盛で黄ばんだフンもベタベタ下に落とす。巣の近辺の廊下に古新聞をガムテープでぴったり貼り付け、巣の真下には大きめのダンボール箱でフンの受け皿を作った。それでも法事で帰省していた弟から、「汚いよ!兄貴なんとかせい」と文句を言われた。

3〜4週間経つとヒナも羽根をバタバタして巣立ちの練習に余念がない。親鳥は横で監視している。ヒナは時には墜ちそうになりながら我が家の中をヨタヨタ飛び交い時には何と我が家の神棚で羽根を休めていた。例の燕尾服と神棚の屋根のカーブが相似形になりなんとも言えない幾何学模様になる。

そうこうしているうちに、ある朝突然ヒナ四羽は無事巣立ち巣も空っぽになり我が家は静寂を取り戻した。

ツバメは20g程のあの小さな体で種の保存のためアジアの海岸線を何千キロにも渡る。厳しい飛行や天敵のためヒナの生存率は13%とも言われている。

太古の昔から彼ら一族はただひたすら渡を繰り返してきた。始皇帝の時代にも聖徳太子の時代にも懸命にアジアの空を渡り種の保存を計ってきた。アヘン戦争でも日清戦争でも大東亜戦争でもベトナム戦争でもツバメは戦火をかいくぐり必死の生活を送ったのであろう。専制国家であろうと民主国家であろうと、仏教国であろうとイスラム教国であろうと、人為的な国境など全く問題にせず空を飛び昆虫を啄む。コスモポリタン、トランスアジアの鳥、それがツバメだ。

◆「嗚呼 鴻鵠 安んぞ 燕雀 の『礼』を知らんや」

私はツバメと過ごしたこのひと月の体験からすっかりツバメの大ファンになり、彼等を愛しく思うようになった。プロ野球は関西圏という事から阪神タイガース、隣町の中学出身者が入団した中日ドラゴンズ、仕事と関係していたソフトバンクホークス等のファンであったがこれを機会にヤクルト「スワローズ」のファンにもなった。なんと不思議な事に昨秋はヤクルトが20年ぶりに日本シリーズを制しMVPは福井県出身の中村悠平捕手が獲得した。

あの別れの朝のツバメ一家の行動は何度思い返しても感涙ものだった。上の電線に親鳥二羽が大きく左右に止まり下の電線にはヒナ四羽が両親には挟まれるように止まってじっと我が家を見ていた。ツバメは日本の夏の間に子育てして冬が来る前に台湾、フイリピン、マレー半島、シャム、ベトナム、インドネシアとアジアの海岸線を伝って渡り、翌年の夏には再び日本に飛来し元の巣で子育てするそうだ。そのために前の巣をしっかりと覚えるらしい。記憶に留めるためか一家でじっとこっちを見ている。そして程なく一家全員で飛び立ち我が家の周りを飛行し始めた。御礼!の飛行だ。

史記には「嗚呼 燕雀 安んぞ 鴻鵠 の『志』を知らんや」と有名な陳勝の言葉があるが私はこう言いたい。「嗚呼 鴻鵠 安んぞ 燕雀 の『礼』を知らんや」と。

今年もまた初夏が訪れる。あの礼儀正しいツバメ一家は我が家に帰って来るだろう。そうだ!今年も初夏に帰郷しよう。戸という戸を、窓という窓を全開して、私は喜んでツバメのALSOKになろう。

中川謙三■筆者プロフィール:「アジアの窓」顧問

1946年福井県生まれ。福島県立藤島高校から東大法学部卒。経済企画庁大臣秘書官を経て2016年まで東京MXテレビ社長。

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