映画「罪の手ざわり」ジャ・ジャンクー監督に聞く、中国社会に潜む暴力「正面から向き合うべきだ」

Record China    2014年5月28日(水) 19時9分

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28日、中国ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の新作映画「罪の手ざわり」が5月31日公開される。日本公開を前に来日した監督は「なぜ彼らは追い詰められたのか。暴力に正面から向き合わなければ、暴力はなくならない」と語った。

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2014年5月28日、中国ジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の新作映画「罪の手ざわり」が今月31日公開される。中国で実際に起きた四つの暴力事件を題材に、社会を揺さぶる急激な変化、人々の心にひそむ闇をあぶり出し、昨年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。日本公開を前に来日した監督は「なぜ彼らは追い詰められたのか。暴力に正面から向き合わなければ、暴力はなくならない」と語った。

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──暴力をテーマの中心にすえた理由は。

中国でここ数年、暴力事件が起きることが気になっていた。ツイッターなどインターネットを通じてニュースが次々入ってくる。まず考えたのは「昔から暴力事件はあったのに、新しいメディアのせいで増えたように感じるのだろうか」だった。考えこんでしまった。

中国の映画業界では、暴力を撮ることがあまり歓迎されない。暴力と社会は非常に密接に関係しているので、国は喜ばないんだ。ただ現状を前に、私は暴力に向き合い、思考してみたかった。

中国ではネットだけでなく新聞やテレビでももちろん暴力事件は報道される。ただ、マスメディアのニュースだけでは何かが足りない。事件については報道されるが、背景に何があり、個人がなぜ追い詰められ、こんなことが起きるに至ったのか。プライベートに関することは外されて報道されるのが普通だからだ。

私もほかの人々同様、暴力がなぜ起きるかはよく分かっていなかった。情報を集め、脚本を書き、撮影する過程を通じ、彼らが追い詰められた状況を想像する中で、リアルな理由に近づいていけたと思う。それが映画を撮る過程でもあった。暴力に正面から向き合わなければ、暴力はなくならないと思う。

──劇中登場するトラックに聖母マリア像が描かれていた。地方での宗教の現状について教えてほしい。

作品にはマリア像以外にも、いくつか宗教的なものを散りばめた。中国では政治的、歴史的な理由で信仰が中断され、断たれたと感じている。社会にある信仰に対する断絶感、欠落感を意識した。私自身は特定の宗教を信じていない。だがここ数年、宗教に注目してきた。信仰は「人間としてあるべき姿」を守ってくれている気がする。「人々は平等でなければならない」など、信仰で支えられているものは多いと思う。

──取り上げた事件を四つに決めた理由は。

(中国の現状を表す)四つの面がはっきり見えるものを選んだ。一つ目のエピソードは明らかに社会問題が理由の暴力。二つ目は田舎町で自我を実現できない困難と貧困。「この街にいても面白くない」という言葉が根底になった事件だ。それも暴力の一つの側面だと思った。

三つ目の女性の話は、他人に自分の尊厳を傷つけられ、はぎとられた人間が、どんな反応を起こすか。人間の尊厳がテーマ。最後は人が自滅する話。暴力の方向性がほかの三つと違う。目に見えず分かりにくい暴力だ。エピソードは北から南へつないでいった。都市に受け入れられず、機械化された人間。感情的に孤立する人間。中国のどこでも起きうる事件だと思う。

(劇中描かれた労働者の自殺について)一番印象的だったのは、彼らが流動していく姿だった。中国の工場で働く人たちは昔、国営企業で福利厚生も手厚く、退職金もきちんとあった。工場と人間がつながっていた。今は人は1日ごとに入れ替わり、いなくなればすぐ補充される。工場に働く若者が帰属感を持てない。彼らがさすらう、落ち着かない気持ちがよく分かった。

工場は高度に自動化、分業化されている。労働者はすべての製造過程を知らなくてもいい。中国にはかつて「工人」という言葉があった。技術者に近いニュアンスだったが、今ではアルバイトに近い感覚。「労働者」とも異なる気がする。

──監督は「20代以降の若い世代が繊細で、過敏になっている」と感じるそうだが、彼らが社会の中心的存在になった時、中国はどう変わると思うか。

私より若い世代が社会の中心になった時、非常に重要な変化が起きていると信じたい。若者は今、自我と状況のギャップに苦しんでいる。自分の置かれた状況を自覚できるかどうか。彼らが客観的に自我と状況を見られるようになった時、中国の社会ももっと自由になると思う。

もちろん自由でありたいのなら、自我が独立することが重要だ。それは若い世代に限らず、中国全体にいえることだ。中国を文化として見ることが必要だ。

──変化は急激に訪れると思うか。

ゆっくりだと思う。今の若い子の中には、中年よりずっと保守的な子、ずっと頑固な子もいる。そう早くは変わらないだろう。「文化大革命の時代が良かった。貧富の差もなく、今よりいいじゃないか」という子もいる。ちょっと短絡的かもしれないね。

──中国国内では上映禁止になったと聞いた。中国の検閲制度が、表現の自由、映画芸術に歩み寄る兆しはあるか。作る側が検閲を切り抜ける技術を会得しているのか。

作り手として不可解に感じる部分もあるけれど、もの作りに対する当局の姿勢は前進したと思う。作り手には当局と交渉する技術はない。経験を積めばうまくなるものでもない。

国家からみれば、私たち個人は非常に小さな存在だ。比較にならない。ものを作る自由を私は尊重したいし、創作の自由を意識の中から捨てたくない。意志力といおうか。それだけだ。ほかの方法はない。

この問題については、言葉で説明するのが最善と思えない。一番望ましいのは、自分の作品の中に、自分の欲する自由を反映させること。作り続ければ市民も国も見てくれる。それで私の主張が伝わると思う。

──(新人俳優の)ルオ・ランシャンの起用の理由と、キャリアの浅い俳優を演出する際に注意していることは。

初めて会った時、彼は長沙の大学で演技を勉強していた。彼がどう演技するかより、私が彼を観察することが大事だと思った。彼の中から若者が持つ自我を引き出せればいいな、と思って起用した。彼を緊張させず、自然にせりふを言ってもらうよう気を付けた。

昔、溝口健二監督が俳優にこう言ったと聞いた。「あなたが相手に対して“反射”して下さい」と。「反射」という単語を聞いた時、「自分のことは忘れて、相手のことを聞け」と言っているんだな、と思った。相手があっての反応だ。一人芝居ではない。それを彼に言うことで、演技がうまくなるような気がした。

──特定の宗教は信じていないというが、原題の「天注定」の「天」は何だと理解しているか。

中国語で「天注定」は微妙なニュアンスを持つ。一つは宿命。悲観的、消極的な意味だ。もう一つは「天に与えられたもの」。その言葉のもとに、自分の尊厳のため戦ったり、権力者に立ち向かったり、正義のために前進したり。そういう人たちのための言葉でもある。「水滸伝」の中にもそんな話が出てくる。

天は万物の神、大自然と言おうか。私はいつも言う。暴力で暴力を制するのはいけない。それは分かっている。ただ「天に与えられたもの」として、暴力ではあるかもしれないが、人が抗おうとする行為は尊重したい。私にとっての「抗い」は、映画を撮ることだ。(文/遠海安) 

「罪の手ざわり」(2013年、中国)

監督:ジャ・ジャンクー(賈樟柯)

出演:出演:チャオ・タオ(趙濤)、チァン・ウー(姜武)、ワン・バオチャン(王宝強)、ルオ・ランシャン(羅藍山)

2014年5月31日(土)、Bunkamura ル・シネマほかで全国順次公開。

作品写真:(C)2013 BANDAI VISUAL,BITTERS END,OFFICE KITANO

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