「舞踏」は現代日本文化の成功事例、ただし五輪には不向きだった―中国人専門家

Record China    2021年7月26日(月) 22時0分

拡大

東京タワー レッドライトアップ実行委員会や日本華文教育協会会長を務める顔安氏が、東京五輪の開会式についての感想を発表した。

東京塔点亮中国紅実行委員会(東京タワー レッドライトアップ実行委員会)委員長や日本華文教育協会会長を務める顔安氏が、東京五輪の開会式についての感想を発表した。そこでご本人の許諾を得て、その一部を翻訳・紹介することにした。顔安氏は四川省宜賓市の出身。中国の解放軍総政歌舞団に所属して、中国の全国舞踏コンクールで1位になった経歴もある。顔氏は1988年に来日して、東京学芸大学大学院で学び修士号を取得している。

東京五輪の開会式から2日間、多くの人が私に「五輪大会のあの踊りは何だったのか?」と尋ねた。中国の圧倒的多数の観衆、場合によっては踊りを学ぶ人も日本の「舞踏」についてよく知らない。「舞踏」とは日本の現代文化の中でも、最も成功した事例だ。国際的に最も影響力がある現代パフォーマンス芸術の形式でもある。五輪に関連して舞踏が用いられることは必然だった。

私は1988年に来日して、1990年と91年には前衛舞踏の巨匠だった大野一雄氏(1906-2010年)のグループに参加して学んだことがある。日本の「舞踏」は現代舞踊の形式の一つだ。大野一雄氏や土方巽氏(1928-1986年)が第二次世界大戦後に創作したもので、演技や動作、肢体についての西洋風の伝統的な美学観を打破して、精神と肉体の純粋な解放と自由を追求することを意図した。

日本の「舞踏」において、演者は通常、裸の肉体に白い粉をまぶす。演技には叫び、体をゆがめること、匍匐、がに股の足づかい、痙攣(けいれん)などの要素が含まれることが多い。日本の「舞踏」は1980年代以降に次第に、欧米の舞踊界から高い評価を受けるようになった。国際的なさまざまなダンスフェスティバルで、「舞踏」は毎回のように上演されるようになった。

現在に至り、日本の「舞踏」はドイツの現代舞踊家のピナ・バウシュ(1940-2009年)による「タンツ・テアター」および米国のポスト・モダンダンスと並んで、世界の三大新ダンス流派の一つとされている。私は2007年12月に、日中の著名な舞踊家の共演による「中日三傑舞薈萃(中日三大舞踊家集結)」と名づけた公演を上海と北京で手がけたことがある。中でも上演時間が20分である日本の舞踏作品の「Nocturne(訳注:ノクターン。夜想曲または夜景画の意)は中国の観客を驚かせ不思議がらせ、また中国の舞踊専門家を驚喜させた。

東京五輪の開会式は、日本の緊急事態宣言中に、多くの日本国民の強烈な反対の声の中で開催された。そのため、祝賀の表現はできなかった。そして1000年間も伝承されてきた美学、すなわち「もの悲しさ」、「幽玄」、「わび・さび」という日本独特の文化の様式に基づき展開された。しかし、そのような美を理解する眼を持ち合わせる人はごく少数だ。世界最大のスポーツの祭典というオリンピックの性質を考えれば、あるいはあまり適していなかったのかもしれない。

五輪大会では、どの国も世界に向けて自国の国際的地位や世界文化に対する態度を伝達する。五輪大会開会式についてはどの国も政治、文化、芸術、ビジネス、科学技術など各分野の精鋭が熟考を重ねた上で慎重に決定する。演出にあたっては、その一部が「舞踏」であったり「舞踏」の要素があってもよいのはもちろんだが、東京五輪開会式での「舞踏」の内容は、あまりにも「個人化」されていた。(翻訳・編集/如月隼人

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携