長田浩一 2022年2月25日(金) 8時20分
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過去30年にわたる日本経済の停滞と、スポーツ界の躍進。この違いはどこから生まれてきたのだろうか。写真は中国国家体育場。
北京で開かれていた冬季オリンピック(以下、五輪)が閉幕した。外交ボイコット問題や、ロシアのフィギュアスケート選手のドーピング騒動など、いろいろ騒がしい大会だったが、1972年ミュンヘン五輪の銃撃事件のような特大の不祥事のないまま終了したことで、国際オリンピック委員会(IOC)や中国政府の関係者はほっとしているだろう。
◆東京、北京で最多メダル
この大会で日本は、金3、銀6、銅9の合計18個と、冬季五輪では史上最多のメダルを獲得。種目数が増えているので単純な比較はできないが、昭和の時代では1972年の札幌五輪の3個が最高だったこと、2006年のトリノ五輪でも荒川静香選手の金メダル1個だけだったことを思い起こせば、素晴らしい躍進と言えるだろう。
躍進は冬季五輪だけではない。2020東京五輪(実際の開催は21年だったが…)でも、日本は地元の利もあって金27、銀14、銅17の合計58個のメダルを獲得。メダル獲得数の最高記録を更新するとともに、国別では5位(金メダルの数では3位)の成績を収めたことは記憶に新しい。日本全体の競技力が向上している証といえよう。
◆サッカー、野球でも活躍
五輪が世界一を競う場ではないサッカー、野球でも、日本(日本人選手)の活躍は目覚ましい。世界的には五輪以上の人気を集めるサッカーワールドカップ(W杯)は、1980年代まで日本はことごとくアジア予選で敗れ、夢の舞台にすぎなかった。しかし98年以降、日本は6大会連続して出場し、うち3回決勝トーナメントに勝ち上がった。アジア、アフリカで過去に3回以上決勝トーナメントに進んだ国は日本とナイジェリアだけだ。
「野球の場合、国際試合の機会が限られているので他国との競技力の比較は難しいが、アメリカ大リーグに所属する選手の数が一つの目安になるだろう。1960年代に村上雅則投手がサンフランシスコ・ジャイアンツで活躍した後、長期にわたり日本人大リーガーは生まれていなかったが、95年にロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂英雄投手が事実上のパイオニアとなり、以後日本人選手が続々と太平洋を渡った。そして現在、大谷翔平選手を筆頭に多くの日本人プレイヤーが活躍しているのは周知のとおりだ。
◆低迷する経済との違いはどこから?
バブル崩壊後、日本経済は低迷し、それに比例する形で国際政治の舞台でも日本は存在感を失っていった。社会全体の活力も失われ、日本人自らが「失われた30年」という自虐的なフレーズを平気で口にする。なんとも情けない限りだが、そんな中でスポーツ選手の活躍は、ノーベル賞受賞者の増加(21世紀の自然科学部門の受賞者数は、米国に次ぐ2位)と並んで我々を元気づけてくれる。
それにしても、過去30年にわたる経済の停滞と、スポーツ界の躍進。この違いはどこから生まれてきたのだろうか。私はスポーツの専門家ではないし、エコノミストでもない。したがって、あくまで感覚的な言い方になってしまうのだが、「内向きか、外向きか」が明暗を分けた理由の一つのように思える。
サッカーを例にとってみると、1993年にサッカー強国には必須のプロリーグ(Jリーグ)が発足。各クラブは、地域密着を徹底するとともにトップチームに加えて育成年代のチームも保有し、サッカー界のグローバルスタンダードと言える体制を整えた。そしてそこで育った俊英たちは、Jリーグの枠に満足することなく、次々に欧州に渡った。現在、イングランドやドイツなど欧州各国のリーグには60人を超える日本人選手が所属し、欧州はもちろんアフリカや中南米など様々な国から来た野心あふれる若者たちとしのぎを削っている。こうした外向きの姿勢は、サッカーに限らず、競技力を上げている他の種目にも共通しているのではないだろうか。
◆「鎖国政策」は内向き姿勢の象徴
翻って経済界。日本のエンタメ産業が、国際市場で韓国に後れを取っている理由として、「日本は国内市場がある程度大きいので無理して海外に売り込むインセンティブがない。韓国は国内市場が小さいので、初めから国際市場を意識してコンテンツを作っている」と言われる。もちろん自動車など、国際市場で大きな存在感を放っている産業もあるが、バブル崩壊後、エンタメ同様に内向きになっている産業が少なくないように思える。
そして、社会全体でも内向きの傾向が強まっている。その象徴が、新型コロナウイルス対策として外国人の入国を厳しく制限した「鎖国政策」だ。感染拡大防止のために一定の規制は必要かもしれないが、「G7で最高の水際対策」と極端な鎖国姿勢に胸を張り、国内の感染が広がって水際対策の意味が薄れても維持しようとしたのはいかがなものか。ビジネス往来の抑制は企業の競争力を減殺するし、留学生の受け入れ停止は日本人学生を井の中の蛙にするとともに、潜在的な日本ファンを取り逃がす結果につながる。長い目で見ればマイナス面が大きい。
国力を長期的に上げていくには、外向き姿勢で積極的に海外と交流し、ライバルと競い合い、刺激を与え合うのがベストの方法。中学3年生でバンクーバー五輪に参加するなど、早くから海外勢と切磋琢磨してきたスピードスケート・高木美帆選手の金メダルの滑りを見ながら、そんなことを考えた。
■筆者プロフィール:長田浩一
1979年時事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任。現在は文章を寄稿したり、地元自治体の市民大学で講師を務めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中国との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外国の地は北京空港でした。
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