本格テキサスバーベキューを日本に招致した第一人者―林孫盛 JBFC株式会社会長

日本新華僑通信社    2021年4月26日(月) 14時50分

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新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった2020年、多くの飲食店が次々と閉店を余儀なくされる中、アメリカのバーベキューフランチャイズが売り上げを伸ばした。

新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった2020年、多くの飲食店が次々と閉店を余儀なくされる中、アメリカのバーベキューフランチャイズが売り上げを伸ばした。ディッキーズバーベキューピット(Dickey's Barbecue Pit)である。そのディッキーズバーベキューピットがゴールデンウィークに日本に上陸する。先ごろ、ディッキーズバーベキューピットを日本に招致したJBFC株式会社の林孫盛会長を取材した。日本で奮闘する中国の若者は、逆境の中で如何にして飲食業の旗を掲げたのであろうか。(文/人民日報海外版日本月刊編集長・蒋豊)

▼果敢な決断で道を開く

33歳の林孫盛は、福建省福清市の生まれである。2009年3月29日、彼は、努力の末に成功を手にした多くの閩南人と同じく、故郷を離れ日本の土を踏んだ。

「世界に目を向ける」ことが、多くの福建人の悔いなき選択である。林孫盛も懸命に努力し、毎日、日本語学校とアルバイト先を往復した。福建商人の特性が彼を駆り立てた。ところが、しばらくすると林孫盛は気付いた。ただ自己を消耗して他人の事業を成就させるのだけではなく、自身の人生企画もすべきではないかと。

そして、大学一年の時、彼は自身の最初の店となる「中華居酒屋」をオープンした。事業を始めた林孫盛は学業どころではなくなり、大学の先生は食事を名目に三度来店し、大学に戻るよう説得した。

しかし、「すべての道はローマに通ず」を信念とする彼は、自身の目標や信念を曲げることはなかった。ためらうことなく学業を断念し、飲食業界の「アマチュアプレーヤー」から「プロのマスター」に昇進した。

ところがほどなくして、社会はこの若者に試練を突き付けた。中華料理は料理人の腕に頼るところが大きい。当時の料理人が不当な要求を繰り返したため、解雇せざるを得なくなったのである。

手を下す暇もなく、それまでの味を知る客たちに、新しい料理人のスタイルが受け入れられることはなかった。客足は遠のき、「中華居酒屋」は閉店を余儀なくされた。

不撓不屈を信念とする林孫盛は、一店舗目の失敗を教訓に、飲食業の開発・管理の道に転向するとともに、新宿歌舞伎町一番街の和風居酒屋で経験を積んだ。

挑戦と試行を繰り返した後、林孫盛はビジネスパートナーと共に、新宿歌舞伎町一番街に和風居酒屋の一号店をオープンした。料理人の技量にとらわれることもなくなり、二号店、三号店と次々に店舗を拡張し、新宿の繁華街には常に忙しく動き回る林孫盛の姿があった。

そのままいけば、おそらく林孫盛は平凡な飲食業界の一員で終わっていたであろう。しかし、彼は必死に働きながら考えを巡らせた。彼は毎夜毎夜、明るく賑やかな「和風居酒屋」を見つめながら、「こんな店がいつまで続き、あと何店舗増やせるだろうか」と自問し続けた。

そして、社会の発展と情報拡散のスピード化に伴い、市場に出回る様々な製品も、中小のブランドはアップデートを続けなければやがて価格競争に巻き込まれ、独立ブランドでさえも価格競争に負け、変遷が激しい市場の犠牲品になってしまうのではないかと考えるようになった。

今の時代は「ブランド力」がものを言い、企業はそのブランド力によって熾烈な市場競争の中で影響力を強めている。ブランド力のない企業は業界の再編成の中で淘汰されてしまうであろう。

ブランド力をもたない中小企業はマーケティングが益々難しくなっていく。これからは間違いなくブランド競争の時代になる。ここで、林孫盛は再び新たな選択をした。







▼飲食業界においても重要な「天の時、地の利、人の和」

実践の中で思索を巡らし、岐路にあっては様々な道を選択してきた林孫盛は、自身の経験を踏まえて、周囲も驚くような飲食業の道を選んだ。中国人でありながら、日本でアメリカのバーベキュー文化のプロモーターになることを決めたのである。

林孫盛はずっと、「ブランド力」と「競争力」の両方を備えた飲食ブランドを探していた。

折よく友人の紹介で、アメリカのバーベキューフランチャイズであるディッキーズバーベキューピットを知った。肉を鉄板の上で焼く日本や韓国のバーベキュースタイルとは異なり、アメリカのバーベキューは独自の進化の過程をもつ。

スペインの探検家が初めて新大陸に上陸した時、彼らはカリブの原住民が生肉をはさんで煙で燻しているのを目にした。燻すことで虫が付かなくなるだけでなく、肉が熟成し保存がきくようになる。これがバーベキューの起源である。

ディッキーズバーベキューピットのバーベキューは、グリルが主体のクラシックなテキサスバーベキューである。林孫盛は、日本とアメリカのバーベキュー文化の衝突こそが、市場開発のポイントだと考えたのである。

林孫盛に野心はあったが行動は慎重であった。2020年1月4日、ディッキーズバーベキューピットのジェームス・パーキンス副総裁が東京を訪れ、会う機会に恵まれた。彼には、もはや迷いはなかった。その時のことは今も記憶に新しい。ジェームス氏の目の輝きにビジネスに対する情熱を感じ、その体躯にはファミリービジネスの風格が醸し出されていた。

林孫盛は、ディッキーズバーベキューピットと日本総代理店契約を結ぶことを決めた。彼はそれが最も正しい選択であり、今がその時であり、このブランドで異文化衝突による飲食業の道を必ず開いていけると確信した。

ところが、その後訪れた障害に彼は悩まされる。ディッキーズバーベキューピットを視察するため、林孫盛は従業員と共に意気揚々と駐日アメリカ大使館にビザの申請に赴いたが、予期せぬことに、彼一人にだけビザが下りなかったのである。

「あなたは日本でビジネスに成功しているのに、なぜアメリカを視察する必要があるのか」と言うのである。「不法移民」の嫌疑がかけられたのだ。これまで何度も挫折を乗り越えてきた林孫盛は、挫折に遭遇すると並外れた応戦力を発揮する。彼はドバイに向かい、ドバイに出店されたディッキーズバーベキューピットで視察を実現させた。

林孫盛は追撃の手を緩めない。ゴールデンウィークには、ディッキーズバーベキューピット東京目黒店をオープンさせる。林孫盛は記者に語った。「目黒店で使用するのはアメリカから輸入した特製のバーベキュースモーカーです。スモークチップにはヒッコリーを使い、アメリカ式に時間をかけてスモークします。毎日現場で燻製し、本格的な品質と風味を守りながら、ディッキーズバーベキューピットの伝説を綴っていきます」。

日本では新型コロナウイルス感染拡大の第四波が勢いを増し、飲食業界は依然として度重なる困難に直面している。しかし林孫盛は確信する。予測不能な未来において、ディッキーズバーベキューピットは必ずや人々の味覚に刺激をもたらし、状況にマッチした「クラウドキッチン」になると。

外食が減り、フードデリバリーやテイクアウトサービスが増加している。特製バーベキュースモーカーからテキサスのヒッコリーフレーバーが漂うその日が楽しみである。

▼取材後記

ひとりの福建人が、奮闘の末に日本で起業して飲食業界に参入し、日米の異なるバーベキュー文化を足がかりに、東京でマーケットを開拓し、今まさに旗上げしようとしている。(提供/人民日報海外版日本月刊)

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