日本語教師になって知る、異文化コミュニケーションの複雑さ

大串 富史    2021年3月15日(月) 23時20分

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今後ますます中国の人々を含む外国の人々との「人間だからこそできる」異文化コミュニケーションが、日本でも中国でも必要とされていくだろう。資料写真。

機械翻訳の進歩が目覚ましい。最近の「同時通訳AI、専門家級に | 日本経済新聞」によれば、「人工知能(AI)を使ってリアルタイムの同時通訳を2025年に実現しようと研究が進む。音声認識は十分にできており、翻訳精度と速さの向上を目指す。」

「情報通信研究機構(NICT)の翻訳エンジンは市販の携帯翻訳機のほか、パナソニックやNTTドコモ、NECなどの音声翻訳サービスに使われている。NICTの隅田英一郎フェローは『英日の翻訳精度は英語能力テスト(TOEIC)換算ならば900点くらい』と胸を張る。」

では、英語以外の言語ではどうなのか。続けて記事は言う。

「英語や中国語、フランス語といった使用者の多い言語は、名詞の直後に動詞がくるタイプだ。世界の言語の約4割を占める。実は世界の言語の半分は日本語と同じで、動詞が後にくるタイプだ。同じタイプ同士は同時通訳をしやすい。異なるタイプをつなぐ同時通訳で優れた技術を開発できれば、9割の言語に応用できる可能性がある。」

これはそんなに簡単な話なのか。実を言えば、どうやらカラクリがある。

「機械翻訳の進化と異文化コミュニケーションの複雑さ|ワールド・ファミリー バイリンガル サイエンス研究所プレスリリース」という別の記事の、ワールド・ファミリー バイリンガル サイエンス研究所(IBS)による社会言語学を専門とする井上逸兵教授(慶應義塾大学)へのインタビューの中に、その答えらしきものがあった。

「『製品を多言語展開する大多数の企業は、(コスト低減を重視するため)取扱説明書やマニュアルなどをまず英語でつくり、それを機械翻訳しています』と井上教授。そのために『いかに機械翻訳しやすい英語を書くか』を考えるといい、こうした機械に適合させた英語は専門用語では『Global Text(グローバル・テキスト)』と表現します。」

つまり機械翻訳しやすい「機械に適合させた」英語その他の言語を使えば、「Google翻訳などに代表される機械翻訳」ですでに相応のことができる。

だから上述の「人工知能(AI)を使ってリアルタイムの同時通訳を2025年に実現」というのは、このGlobal Textの音声認識および翻訳に必要な「10秒の時差」を「同時通訳者並みの2、3秒」にしましょう、ということらしい。

ではなぜ「普通の」英語や「普通の」日本語ではダメなのか。

同記事には井上教授によるNPO法人地球ことば村総会記念講演「AI時代の英語力」(2020年7月)の内容が、一部次のように紹介されていた。

「『どうやって行けばいいでしょうか?』という日本語は、主語が「私」です。しかし英語で相手に何かを依頼するときには、模範的な英訳のように、Can you~?などと、相手が主語になる場合があります。そのため機械翻訳のHow do I~?でも意味は通じますが、ぶっきらぼうな印象を与えてしまう可能性があります。」

「英語の依頼表現には『相手の独立した意思を尊重する』というアングロサクソン的文化が表れており、対人的な配慮が必要な状況では英語的な発想を知らずに機械翻訳を使うと、伝えたいニュアンスが若干異なってしまうことがあ(ります)。」

「『どうやって行けるかを教えてくれませんか?』という日本語は、実際にはあまり使わない表現です。しかし上記の例のように、英語との言語的・文化的違いを意識して『英語っぽい日本語』を使うと、人間が翻訳した英語と機械で翻訳した英語がほぼ同じになることがわかります。」

「どうやって行けるかを教えてくれませんか?」-これは通じる日本語ではあるが、日本人が普段使う日本語ではない。ではなぜ使わないのか。アングロサクソンとは文化が違うからである。

実は僕自身も、最近になって文化の違いによる翻訳の難しさを改めて知る機会があった。

中国は大連にある某ネットスクール(日本語学校)の同僚の中国人の先生と「抗疫」という中国語の訳語について(中国語で)グループチャットをした時のことだ(以下、日本語訳)。

中国人の先生A:「中国のニュースで中国語の『抗疫』の日本語訳がそのまま「抗疫(こうえき)」ってなってて変な感じ。別の言い方ってないのかな、たとえば『コロナ対策』とか?」

日本人の先生O(僕):「A先生、『感染症対策』はどうです?(出典:台北駐日経済文化代表処のサイトURL)」

A先生:「確かにNHKのニュースでもその言い方をよく目にするよね。『疫』って表現は重過ぎ。それそれ(笑)」

中国人のB先生:「それって実際の意味からして『感染症対策』って訳すのは間違いなくまんまなんだけど、自分がちょっとだけ思うに、中央(つまり中国政府)が『抗疫精神』を大いに発揚すると共に『中国の抗疫経験』というカードを世界に向け切っている(宣伝している)んだから、政府としては今後あるいは『抗疫』を専門用語化して意訳はしないのかも。今のところは少ないかもしれないけど、おしなべてそんな感じがある。ってなわけですO先生」

A先生:「だよねー。オフィシャルサイトの英訳を見たけど、英語に訳す時はepidemicを使ってる。この単語はまあ相応(に同じ意味)かな。日本語には漢字があるから(中国)政府としては元の言い方であえてそのまま訳してるわけだ。(日中翻訳された別の文章を示して)この中には『疫病』もあるけど『感染(症)』という遠回しな言い方も多い。(中略)語句の温度差とか守備範囲とか国の違いとかなんだろうけど、対外的にはまあ理解してもらえてかつ大体同じ意味でないと。そしてそんな『専門用語』には少なくとも注釈がないと(笑)」

簡単に言えば、英語のAnti epidemicと中国語の「抗疫」はほぼ同じだが、日本語の「感染症対策」と中国語の「抗疫」は違う。

つまり「伝染病控制(感染症対策の中国語訳)」(Google翻訳)という機械翻訳では中国人には伝わらず、「防疫(抗疫の日本語訳)」(百度翻訳)という機械翻訳では日本人に伝わらない。仮にこの機械翻訳のまま「人工知能(AI)を使ってリアルタイムの同時通訳」をしたところで、お互いにちんぷんかんぷんであろう。

先に引用した記事には結論として、「正しい単語や文法による英語での会話や読み書きは機械翻訳が補えても、グローバル化が進んだ今、それだけでは情報がうまく伝わらないことがわかってきました。異文化コミュニケーションにおいては、英語的な文化に合わせて英語を使うか、日本語的な文化を残して英語を使うか、という選択肢があります」とあった。

「どちらを選ぶかによって相手の理解が変わる、という複雑なコミュニケーションは、人間だからこそできる」わけだが、僕ら日本人の日本語教師としては、中国語的な文化に合わせて日本語を使えばいいのか、日本語的な文化を残して日本語を使った方がいいのか。

それは後者がいいに決まってる、「感染症対策」という正しい日本語をぜひ教えてあげてください!ということにはなろうが、日本語を使って単にコミュニケーションをするという場合はどうか。「抗疫(こうえき)」を使えば中国人にはストンと入る。というか「感染症対策」と「抗疫」は、語句の意味合いや背景がそもそも違う。

同時通訳AIが2025年に実現しても、日本語教師の悩みが尽きることは当分なさそうだ。むしろ機械翻訳の台頭により、今後ますます中国の人々を含む外国の人々との「人間だからこそできる」異文化コミュニケーションが、日本でも中国でも必要とされていくだろう。

■筆者プロフィール:大串 富史

本業はITなんでも屋なフリーライター。各種メディアでゴーストライターをするかたわら、中国・北京に8年間、中国・青島に3年間滞在。中国人の妻の助けと支えのもと新HSK6級を取得後は、共にネット留学を旨とする「長城中国語」にて中国語また日本語を教えつつ日中中日翻訳にもたずさわる。中国・中国人・中国語学習・中国ビジネスの真相を日本に紹介するコラムを執筆中。

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