オーストラリア人の目に映る中国「理解すればするほど中国が好きになる」―中国メディア

人民網日本語版    2020年12月16日(水) 16時50分

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中国で暮らしてすでに16年になるというジェリーさんは英国北中部出身で、ロンドンの警察で10年間務め、28歳の時に移民としてオーストラリアに移住した。

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初めてジェリー・グレイさんに会った時、彼は路地から足早に出てきた。中肉中背で、颯爽と歩くジェリーさんは、とても60代の男性には見えない。彼は歩きながら、中国語で近所の人にあいさつしていた。中国新聞社が伝えた。

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中国で暮らしてすでに16年になるというジェリーさんは英国北中部出身で、ロンドンの警察で10年間務め、28歳の時に移民としてオーストラリアに移住した。場所を変えていろいろな土地で暮らすのが好きな彼は2004年に、英語教師の求人広告を目にしたのをきっかけに、広東省中山市にやってきた。

「中国に来る前は、中国は発展していない国で、手に入りにくい生活用品もあると聞いていた。そのため、初めて中国に来た時は、スーツケースに、シャンプーの大きいボトル2本とたくさんの石鹸を詰め込んで来た。しかし、到着してから全くその必要はないことに気づいた。中国のスーパーには僕が持って来た全ての物が並んでいるし、値段が安く、質もいい。本当に想定外だった」とジェリーさん。

ジェリーさんは、「中国に来たばかりの時は生活になかなか馴染むことができなかった。言葉の壁があるため、今の中国人の妻・梁[金玉]華さんと出会うまでは学校以外の人とは交流ができなかった」とした。

「初めは中国に1年ぐらいだけ住む予定だった。16年も住むことになるとは予想もしていなかった」とするジェリーさんは今では中山市にしっかりと根を下ろし、「理解すればするほど中国が好きになる」と話す。

中国のスケールの大きい山河など自然が大好きなジェリーさんは、これまでにいろんな所に旅行へ行ったという。特に、ここ数年は、自転車で、南から北、北から南へと3回にわたる旅をして、厦門(アモイ)や福州、長沙武漢重慶など20都市以上を巡った。

そして旅の途中、ジェリーさんはオーストラリア人の観点から、中国で起きている変化を観察した。

ジェリーさんは、早くから中国の貧困者支援計画について耳にしていたものの、新聞やインターネットの報道を時々見るにすぎず、身近な問題なく、自分にとっては遥か遠くで起きていることだと思っていたという。彼が貧困者支援を身近に感じるようになったのは、昨年のことだ。

2019年、ジェリーさんは妻と一緒に、中国西北部の新疆ウイグル自治区ウルムチ市から自転車で5000キロ離れた中山市まで、約2カ月かけて帰った。

5年前の2014年、ジェリーさんは友人と、同じ道を通って、中山市とウルムチを往復した。その途中で甘粛省や寧夏回族自治区の貧困地区を通過したが、その道はガタガタで、自家用車はほとんど走っていなかったという。宿の環境も劣悪で、道沿いでは「窑洞」と呼ばれる洞穴式住居里に住んでいる人も見かけた。

しかし、2019年に再び同じ道を通って自転車旅行をした時、その状況が大きく変化していることに気づいた。

「昨年、再び寧夏回族自治区を通った時、道沿いに『窑洞』はまだあったものの、もう人は住んでいなかった。現地には学校や映画館、ショッピングセンター、レストラン、ホテルなどが建設され、道路もきれいに舗装されていた。わずか5年の間に、寧夏は雰囲気が大きく変わった」とジェリーさん。

新しい道ができたことやマンションが建ったことはもとより、ジェリーさんは、政府が鉄道を建設することでそれら貧困地区に市場を構築したという点を重要視している。中国でよく耳にする「生活を豊かにするためにはまず道路を通さなければならない」という言葉の意味を肌で感じたのだ。

「小さな街にも鉄道が通った。現地の人は列車を使って商品を中国の他の地域だけでなく、世界各地に送ることができる。また、人々は列車に乗って行きたい所にどこへでも行ける。鉄道が通ったことで、中国西部地区にはたくさんの観光客が訪れるようになったほか、多くの産業や資金も集まるようになった」とジェリーさん。

数日前、ジェリーさんはオンラインで新疆ウイグル自治区のナツメを購入した。2日ほどで、中国西部の新疆の農場で収穫されたナツメが中国東部の広東中山市に届いた。ネットショッピングにはもう慣れたものの、中国の宅配便の速度には今でも驚かされるという。

中国西部の変化は、「貧困脱却の難関攻略」の縮図の一つだ。広東省と広西チワン族自治区でも、ジェリーさんは同じような変化を目にしている。

2006年、貧困家庭をサポートするために、ジェリーさんは妻と共に、広西のある村を訪問した。村の道路はデコボコで、仕方なく村から8キロ離れた場所で車を降りて、歩いて進むしかなかった。その途中で、現地の人々はロバに荷物を載せて店まで運んでいるのを目にした。

それから10年が経ち、ロバの姿はなくなり、代わってトラックが走っていた。

中国には、「人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」ということわざがある。ジェリーさんによると、西洋にも、それと似た「If you give a man a fish,you feed it for a day.If you teach a man to fish,you feed him for life」ということわざがあるという。

ジェリーさんは、「それは、中国政府が貧困者支援で行っていることで、貧困地区に資金を提供するだけでなく、現地の人々のために相応の資源とスキルも提供している」と話す。

「僕は中国の制度が好き。豊かな都市が貧しい都市をサポートというのが社会主義なのだろう。資金を提供するだけでなく、教育を施し、工場を建設し、現地の人が産業発展の受益者になるようにしている」とジェリーさん。

例えば、「寧夏のワインは、とても印象深い」と言い、「自転車で寧夏を通った際、現地の農民がブドウを栽培し、ワインを作っているのを見た。そして、ワイン産業が形成され、一部の地域は海外からワインの専門家も招聘していた」と説明する。

「寧夏のワイン工場にはオーストラリア人もいた。現地の人のワイン造りをサポートするために、中国が招聘したワインの専門家だ」。

ここ数年、ジェリーさんは妻と一緒に、広東省河源市と韶関市の貧困家庭をサポートしており、それら2つの地域の発展と変化をその目で見つめてきた。そして、中国の企業家が現地に工場を建設して、現地の人々を雇い、商品を他の地域に販売している様子や現地政府が各世帯にヒヨコを100匹ずつ配布し、それを育てて売ることができるようにしているのを目にしてきた。

「以前、僕と妻は毎年、春節(旧正月)の時などには、子供の教科書や制服などを買うことができるようにと、いつも貧困家庭にお年玉を渡していた。しかし、今では、それら家庭も少しずつ豊かになり、なかには家を建てることができるほど豊かになった家庭まであり、その必要がなくなってきた」とジェリーさん。

中国の大きな変化の目撃証人となってきたジェリーさんは、「これは全国的な計画が必要であるため、中国政府の貧困者支援政策がなければ、こうした変化は起きていなかっただろう」とした。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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