<コラム>日本語と中国語、難しいのはどっち?中国の日本語教師の視点

大串 富史    2020年12月17日(木) 9時20分

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「漢語八級試験」と題して中国のネット上で出題されている問題。中国語には日本語に匹敵するような、個々の漢字と漢字の組み合わせから生じる多くの意味がある。だが日本人にとって中国語は、比較的学びやすい。

前のコラムで僕は、「バベルの混乱」の故事ではないが、どの言語であれ、即聞き取って即理解し即話すなどという神業は、誰にとっても容易ではないと書いた。思うにどの言語であっても、とどのつまり難しさは大差ないのかもしれない。

また特に発音に関し、意外なこととして、日本語と中国語はどちらも習得しにくいという、中国語学習者また中国在住の日本語教師である僕自身の視点もご紹介させていただいた。

だから日本語と中国語、難しいのは実際どちらなのか?という問いの答えは、既に半分明らかである。

つまり前のコラムで既に述べたように、こと発音と聞き取りについて言えば、日本語と中国語はどちらも同じぐらい難しい。なぜなら、脳内に新たな言語領域(言語野)を形成することが関係しているからだ。

もちろん、個人差(能力差)や地域差(日本のような日本語オンリーな地域と多言語が普通という地域の差)や言語の組み合わせによる差(日本人がロシア語を学ぶ場合とウクライナ人がロシア語を学ぶ場合の差)、そして比較する言語の種類による差(日本人が韓国語とロシア語の難しさを比較する場合とウクライナ人が韓国語とロシア語の難しさを比較する場合の差)は確かにあろう。

だから拙稿が一貫して、ごく一般的な日本人が中国語を勉強する場合と、ごく一般的な中国人が日本語を勉強する場合についてのみ論じていることをご了承いただきたい。

ところで、読み書きはどうなのだろう。つまり、日本語と中国語、読み書きという点で難しいのは一体どちらなのか。

まず日本語の読み書きには、日本語独特の難しさがある。たとえば、日本語の用法と文法はどうか。

確かに、日本語の用法と文法を理解し、日本語の文章(特にエッセーや随筆等の文章)を正確に読み取り(というか、言いたいことを悟って)、正確な日本語の文章を書く(作文をする)のは、前のコラムでもご紹介したように、日本人とて時に容易ではない。

先日も中国は大連にある某日本語学校(正確にはネットスクール)にて、同僚の日本語教師の先生方とグループチャットで下記のようなやりとりをしたのだが、日本語の用法と文法の難しさを改めて痛感した。

日本語表現1:「ても」

日本語例文1:このスマホは、安くても、性能が結構いいんですよ。

日本語表現2:「けど」

日本語例文2:「ラーメン大きいね!」「大きいけど、まずいよ。」

課題:「ても」と「けど」の違いを、外国人(この場合は中国人)に日本語だけでどう説明するか。

一見しただけでは、どっちでもいいんじゃない?となりかねない。だがよくよく考えると、確かに違う。

ではこの日本語の違いを、中国人に一体どうやって説明したらいいのか。

ちなみに僕自身は単純に、(反則ではあるが中国語を交えて)下記のように説明していた。

このスマホは、安くても、性能が結構いいんですよ。

→普通のやりとり(場面的に店員はこう言う人が多いかもと説明)。

このスマホは、安いけど、性能が結構いいんですよ。

→若い人同士とか知り合いとかならOK(なんだかタメ口っぽいのでと説明)。

大きいけど、まずいよ。

→普通のやりとり(場面的に友人同士はこう言う場合が多いかもと説明)。

大きくても、まずいよ。

→やりとり的にはアリ(でも友人同士なら「けど」を使う方が多いかもと説明)。

日本語の文法に詳しい方であればすぐに分かると思うが、実を言えば上述のような説明は用法の説明に過ぎず、文法の説明になっていない。それで同僚の先生のフォローが入る。

「ても」:予想される結論に対する対比

「けど」:逆接

※例文は日本語初級者のためにわざと言い換え可能なものを選んでいるが、「ても」と「けど」とは意味は異なる。

このスマホは、安くても、性能が結構いいんですよ。

→通常安いスマホはどんな性能かを考えると、性能は良くない、という対比。

このスマホは、安いけど、性能は結構いいんですよ。

→通常安いスマホは性能は良くない、の逆説。

大きいけど、まずいよ。

→逆説なので問題なし。

大きくても、まずいよ。

→許容範囲の日本語ではあるが、「大きい」から導かれる帰結は、通常「高い」であって「おいしい」ではないので、対比になっていない。「大きくても、安いよ」であれば問題なし。

中国人の学生への説明:難しくなってしまうので、言い換え可能と述べるにとどめる。ただしいつでも可能ではないことも言い添える。

さらに別の先生方のフォローも入る。

「けど」:目上の人にあまり使わない(使いたくない);「が」と比べるとより口語的で、普通体と敬体どちらにも接続できるため、敬体(丁寧体・ですます調)と接続すると違和感が増し結果としてフランクに聞こえる

「ても」:対比ではあるものの「大きく(お得なように見え)ても、まずいよ」という意味が隠れているのでOK

それで先に紹介した、文法に詳しい先生が言う。

「ても」:予測・推測・条件・逆接の意味を持つ(忖度や空気を読む)日本文化を反映した言葉

自分でも気になって調べてみて、日本語の文法のみならず用法の奥深さに、再度驚かされる。

「ても」:現代になって「さても」が「ても」に変化した後は「ても」のみになった。「ても」はこのほか、「なんとしても」「どうしても」「とても」など、多くの慣用語をつくった。(「てもの意味 - goo国語辞書」)。

「けど」:「けれど」「けれども」が使えるため、「けど」が相対的により口語表現になる(「日本語 文法 逆接:解説 | 東京外国語大学言語モジュール」)。

もちろん、中国語の読み書きにも、中国語独特の難しさがある。たとえば、漢字の意味の多重性また多様性についてはどうか。

前のコラムにご反響いただいた「山川異域風月同天」(「山川、域を異にすれども、風月、天を同じゅうす」、つまり「異なる場所にいても、心は互いに通じている」の意味)は、日本の天武天皇の孫である長屋王が遣唐使に託して中国に贈ったとされる1000着の袈裟に縫い付けられていた漢詩だが、それが中国人にも響くのは、「両国が同じ漢字文化圏」にあるからに他ならない。

だが「同じ漢字文化圏」ではあっても、中国語の漢字の意味の多重性また多様性は、日本語の比ではない。

簡単に言えば、中国語には日本語に匹敵するような、個々の漢字と漢字の組み合わせから生じる多くの意味がある。たとえば「漢語八級試験」と題して中国のネット上で出題されている、下記のような問題がある(中国語に堪能な読者は、どうぞチャレンジしていただきたい)。

客服小姐:你是要幾等座?

小明:你們一共有幾等?

客服小姐:特等,一等,二等,等等,二等要多等一等。

小明:我看下,等一等。

客服小姐:別等了,再等一等也沒了。

小明:那不等了就這個吧。

請問小明最終買了幾等座?

A.特等 B.一等 C.二等 D.等等 E.等一等 F.再等一等 G.別等 H.不等

うーん…日本語も中国語も、同じぐらい難しいのかも…

実を言えば、日本語と中国語はどちらが難しいのかというこの論争は、なかなか決着しそうにない。

たとえば2013年の中国人民網英語版の「Top 10 hardest languages to learn(難しい言語トップ10)」という記事によれば、国連(the United Nations Educational Scientific and Cultural Organization)が世界で一番難しい言語としたのは、中国語であった(日本語は5位)。

ところがごく最近になって、「中国語は世界で一番難しい言語ではない、一番は意外にも隣国のあの言語だって? | 百度」という記事の中で、米国務省の外務職員局(FSI)が世界で一番難しい言語としたのは、日本語であった(中国語は3位で広東語が4位)。

その記事が「統計調査にかかわったのは英語を母語とする人々で、偏りを免れない」としたのは、当を得ている。

つまり、米国人ではなく中国人にとって日本語がどれほど難しいのかを客観的に判断するには、現時点でまだ情報が不足しているように思える。

とはいえ、日本人にとって中国語がどれほど難しいのかについては、明るいニュースがある。

「日本人が習得しやすい外国語とは? 語学学習のプロに聞いた | ライフハッカー[日本版]」によれば、日本人にとって中国語はカテゴリーII、つまりスペイン語やベトナム語並みに学びやすいとのことだ。

「本当ですか?スペイン語なんかは聞いてすぐ復唱できたけど、中国語もそうなんでしょうか?」って?いや、そういう意味じゃないと思いますよ。発音と聞き取りは前の記事でも書きましたが、どうぞ「覚悟」をお決めになってくださいな。トータル的にスペイン語と同じぐらい楽、ということかと。

でも中国語の読み書きは、発音や聞き取りに比べれば相応に楽です。

友人が教えてくれたんですが、中国語ができる日本人が欧米に行くと、なんでもスーパーマンのようだと思われるそうです。欧米人の多くは中国語と格闘した末、ピンイン(ローマ字で書かれた中国語の発音記号)止まりな人が多いのに、日本人は漢字をそれなり読めて書けますから。

だから僕も日本語教師として、日本語を学ぶ中国人の学生たちに、漢字交じりの日本語の読み書きは中国人にとっても相応に楽ですよ(たぶん)!と励ますことが多い。たとえば、こんな感じである。

「だって何千年も昔、僕らは君らの兄弟姉妹だったじゃないですか。僕らは君らに属していたし、僕らが使う漢字も君らに属している。

「年月が流れて、漢字の読みが変わっただけなんです。だから日本語は(まあ強いて言えば、ですけど)中国語の一方言ぐらいに思ったらいい」。

日本語と中国語は実のところ膠着語と孤立語という全く別物の言語であるとか、英語圏の人たちが日本語の複雑さをして「クレイジー」と評していることだとか、そんなマイナス面を強調したところで、結局誰の益にもならない。

その一方で日本人の僕らは、外国人として「クレイジー」な日本語を学ばずに済んだことを素直に喜べる。

だから中国語を-少なくともその読み書きを-「漢文」の授業なんかの延長気分で勉強するのだって、全然大丈夫です(たぶん)!

どうぞ騙されたと思って、僕のように中国語と格闘しませんか?

■筆者プロフィール:大串 富史

本業はITなんでも屋なフリーライター。各種メディアでゴーストライターをするかたわら、中国・北京に8年間、中国・青島に3年間滞在。中国人の妻の助けと支えのもと新HSK6級を取得後は、共にネット留学を旨とする「長城中国語」にて中国語また日本語を教えつつ日中中日翻訳にもたずさわる。中国・中国人・中国語学習・中国ビジネスの真相を日本に紹介するコラムを執筆中。

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