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韓国経済に影響を与え続ける日本の「植民遺産」―中国メディア

配信日時:2020年11月21日(土) 12時20分
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19日、新浪財経は、韓国・サムスングループの李健熙会長が先月死去したことに関連し、日本の「植民遺産」と韓国経済の関係について論じた文章を掲載した。写真はサムスングループ本社。

2020年11月19日、新浪財経は、韓国サムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長が先月死去したことに関連し、日本の「植民遺産」と韓国経済の関係について論じた文章を掲載した。以下はその概要。

10月25日に李会長がソウルで78歳で死去した。2014年に心筋梗塞を発症して以降、会社経営は事実上長男が担っていたが、サムスン帝国2代目逝去の知らせは、やはり世界各国から注目を集めた。

この訃報は大手メディアによって大きく報道されたが、メディア以外で真っ先に反応したのは日本の早稲田大学であり、深い哀悼の意を示す声明を発表した。李氏は1965年に同大学第一商学部を卒業し、2010年には同大学から名誉博士の称号を授与されていた。韓国の財閥トップが日本で高等教育を受けたケースは他にも多くある。歴史的な理由も絡んで、李氏に代表される韓国経済界は日本と切っても切れない関係性を持っているのである。

日本の植民時代に栄えた朝鮮半島の大企業は、日本の敗戦によってその輝きを失ったが、戦後に韓国で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を支えたサムスン、現代、LGといった新財閥はみな植民時代に創業していたのだ。

李氏の父親で、サムスングループ創始者である李 秉●(イ・ビョンチョル、●は吉+吉)氏は1910年に慶尚南道の大地主の家に生まれた。1929年には早稲田大学政経科に入学して日本のマネジメント知識を学び、その後中退して朝鮮半島に戻り、馬山で精米所を立ち上げて実業家としてのキャリアを踏み出し始めた。当時は、朝鮮総督府の政令により設立された朝鮮殖産銀行から大きな金融支援を受けており、政府機関と良好な関係をつくったことも、会社を大きく成長させる大きな要因になった。

1938年には三星商会という商社を設立し、日本の植民者が朝鮮半島や中国東北部に建設した先進的なインフラを利用し、安定的な成長を実現した。そして日本による植民統治終了後の1948年に三星物産を創設、朝鮮戦争で大きな利益を得ると、1950年には日本を視察に訪れるとともに、日本企業と良好な関係をつくった。さらに、日本の戦前の財閥を参考に組織の再構築を進め、1960年以降は日本の各界との意思疎通や世界の市場動向把握のために毎年年末を東京で過ごすようになった。1965年に日韓の外交関係が復活すると、サムスンは日本の制度を一層学んでいったのである。

1980年代に入って韓国経済が発展の軌道に乗ると、韓国企業の対日依存は減少した。サムスンは半導体事業に参入し、日本企業とはライバル関係になった。そして日韓両国間で歴史問題を中心とした対立が起きるようになっていった。しかし、これによって韓国経済から日本の要素が完全に消えたと言えば、これは事実に反することになる。

李氏は父親と同じ早稲田大学に進学した。そして、たびたび公の場で日本から学びたいと語り、日本式のOJT(新人教育)を積極的に取り入れ、人材育成に努めた。また、今や主力産業となっている半導体分野は、原材料の90%近くを日本から輸入しており、これを完全にストップすることは不可能だ。

歴史が再び塗り替えれられることがない限り、日本の「植民遺産」は韓国経済に影響を残し続け、日韓両国の知恵比べや両国関係のバランス取りにおける永遠のテーマなのである。(翻訳・編集/川尻

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