台湾で快進撃の映画「KANO」、馬志翔監督・魏徳聖氏に聞く「野球の夢追う姿、民族を超える」

Record China    2014年3月18日(火) 15時6分

拡大

17日、台湾で大ヒット中の野球映画「KANO」のマー・ジーシアン監督、プロデューサーのウェイ・ダーション氏がこのほど来日し、「民族の違いを超え、少年が野球の夢を追う姿を描きたかった」と語った。

(1 / 5 枚)

2014年3月17日、台湾で大ヒット中の野球映画「KANO」。16日に閉幕した第9回大阪アジアン映画祭で観客賞を受賞し、感動は日本にも伝わった。同映画祭のため来日し、合同インタビューに応えたマー・ジーシアン(馬志翔)監督、プロデューサーのウェイ・ダーション(魏徳聖)氏は「民族の違いを超え、少年が野球の夢を追う姿を描きたかった」と語った。

その他の写真

舞台は1931年、台湾中部の嘉義。弱小チームの「嘉義農林学校(嘉農=かのう)」野球部が、名将・近藤兵太郎監督に鍛えられ、夏の甲子園で準優勝するまでを描く。2月末に公開された台湾では、3週間足らずで興行収入2億台湾ドル(約6億7000万円)を超す快進撃を続けている。日本では2015年公開予定だ。

主なやりとりは次の通り。

──(ウェイ氏に)自分で撮らなかったのはなぜですか。資金集めはうまくいきましたか。

ウェイ氏:(製作に回ったのは)特殊な物語だから。野球の映画だが、私は試合の詳細をよく分かっていない。たとえばグラウンドで選手たちがどう動くか。バッテリーの連携はどうするか。監督と選手のかかわりはどう表現すればいいか。野球の経験がないので、グラウンドでの撮り方が感覚的によく分からず、自分では撮れないと思った。

(監督を任せた)マー監督の短編作品はすべて観て、長編を撮れる力は十分ある、と思っていた。彼は野球の経験者で、スポーツにとても詳しい。俳優として経験も積んでおり、任せても何の心配もないと考えた。撮影スタッフには(自作の)「海角七号 君想う、国境の南」(08)、「セデック・バレ」(11)で培ったチーム力がある。彼らが監督を助けられると思った。

「セデック・バレ」でも資金面で問題はあったが、撮影を中断しなかった。今回も大変だったが撮り続けられた。過去の作品でお金をどう工面するかを把握できていた。経験の勝利かもしれない。総予算の3分の1が出資で賄われ、3分の2は借り入れ金。「セデック・バレ」には経費が相当かかり、興行で成功してもトントンにしかならなかった。今回もゼロからのスタートだ。

──「セデック・バレ」で美術を担当した種田陽平さんが「ウェイ監督は撮ると言ったら必ず撮る。『台湾の黒澤明だ』」と言っていましたよ。

ウェイ氏:本当に?借金の黒澤明だね(笑)。

──日本統治時代の負の面を描かなかった理由を教えて下さい。日本の観客にはこの作品をどう観てほしいですか。

マー監督:時代は1930年代。日本の統治時代には、いいことも悪いこともたくさんあった。さまざまなことがある中で、この作品が語るのは異なる民族が力を合わせ、共通の夢に向かって走ること。当時、日本に対する反感や政治的な問題はあったが、野球少年が一緒に夢を追ったのはまぎれもない歴史の真実だ。

私たちは原点に帰り、当時の野球を描いた。少年が夢に向かって突き進む姿を描きたかった。なんといってもこれは野球映画だから。人間にはいい面、悪い面、裏表もある。善人にも欠点があり、悪人にも長所はある。誰かを愛していても、どこかに憎しみもある。人生は矛盾に満ちているからこそ、素晴らしいと思いませんか。

作品のテーマは「野球の物語」であることに尽きる。背景には日本の統治があったが、ウェイさんが言う通り、当時の日本を美化しているわけではない。ただ悪く描いていないだけだ。

台湾での公開後、多くの日本人が台湾まで観に来てくれている。上映後は涙を流してくれている。「感動した」と握手を求められる。「KANO」は台湾人の視点で描いた野球映画であり、日本統治の時代を描いているが、日本人も同じ記憶を持っているのだろう。

民族の違いにかかわらず、映画を観て自分を発見することがあると思う。自信をなくしている人は元気を出してもらえるのでは。夢をあきらめず、粘り強く進んでいく素晴らしさを、日本の皆さんも感じてもらえればうれしい。

──資料収集には6年ほどかかったと聞きました。全体の何割が史実で、何割が創作なのでしょう。

ウェイ氏:少しずつ断片的に6年かけて資料を集めた。割合でいうのは難しいが、物語の根幹にある部分は事実。歴史として記録が残っているものは100%事実。残っていないものは創作だ。嘉義農林が甲子園出場したことは史実。そこへたどりつくまでの流れは創作。人物の性格付けなどは創作した部分が多い。

マー監督:歴史は記録に残らない部分に真実があることもある。たとえば(嘉義農林の一員として甲子園に出た)蘇正生さんは08年に亡くなったが、魏氏が存命中に取材した。そこで本人から聞いたことは事実だ。

ウェイ氏:(大沢たかおが演じた日本人技師の)八田与一氏は実在の人物だが、出てくるエピソードは創作だ。野球のみに焦点を当てると単純になってしまうため、八田氏と少年たちをからませた。実際に八田氏と嘉義農林に関係があったかは分からない。記録に残っていない。

(八田氏を登場させることで)嘉義の土地柄を表現した。(八田氏が指揮した台湾南西部の大規模水利事業の)「嘉南大[土川](かなんだいしゅう)」は、(台湾南西部の)嘉南平原を再生させた。素晴らしい大プロジェクトで、あれがなければ嘉南の農業はうまくいかなかった。農業と嘉義農林の関係性を表すため、八田氏を登場させた。

──今回の来日では甲子園を訪れましたね。いかがでしたか。

マー監督:甲子園に行くのは2度目だが、映画を撮り終え、今回は特別な気持ちだった。ちょうど雪が降ってきて、とても感動した。生まれて初めて雪を見たんだ。「ここで野球の先輩たちが奮闘したんだな」と、胸にこみ上げるものがあった。(文・写真/遠海安)

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携