国家戦略「日本叩きのツール」か、それとも一個人の願望か?中国が南京大虐殺追悼日を正式な国家記念日に

Record China    2014年3月7日(金) 12時39分

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中国の全国人民代表大会常務委員会は2月27日、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とする法案を決定した。写真は南京大虐殺記念館。

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中国の全国人民代表大会常務委員会は2月27日、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、12月13日を「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」とする法案を決定した。中国政府全体が日本批判の動きを一気に強化したのではないか…と一見思われるが、冷静に見ると実はある個人が強力にプッシュした産物であり、その影響も限定的だと透けてみえる。

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■名ばかり記念日

まず抗日戦争勝利記念日および南京大虐殺犠牲者国家追悼日は国家の「記念日」および「公祭日」である。

これだけ読むと、中国はこの2つの日を国民の祝日として定めたかのように思われるが、実はそうではない。中国には「全国年節及紀念日放仮弁法」という行政規則がある。この第2条によれば、仕事などが休みとなる日は新年、春節、清明節、労働節、端午節、中秋節国慶節のみだ。

そして「抗日戦争勝利記念日」および「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」の法案は全国年節及紀念日放仮弁法を改正するためのものではない。記念日ではあるが、休みになる祝日扱いではないわけだ。記念日扱いされている日は多いが、休みになるなどの実益がなければほとんどの人は記憶することはないだろう。つまり「抗日戦争勝利記念日」および「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」は名ばかりの記念日でしかない。

■鄒建平の活動

ただし南京大虐殺犠牲者国家追悼日はある程度の重みを持っている。というのも今回、追悼日として立法される前から毎年追悼式典が開かれてきたからだ。実質的には以前から記念日になっていたと言えるだろう。

この12月13日の南京大虐殺記念日を正式な国家の公祭日にしようとの提案が初めて登場したのは2005年、江蘇省政治協商会議でのことだった。ただしこの時は否決されている。7年後の2012年、南京芸術学院の鄒建平(ゾウ・ジエンピン)教授が全国的な公祭日にしようと両会(全国人民代表大会、中国人民政治協商会議)に提案した。

あるいは鄒建平という名に覚えがある方もいるかもしれない。鄒教授は2012年に日本でも話題となった「南京大虐殺否定罪」の発案者だ。南京大虐殺否定罪も南京大虐殺犠牲者追悼日も同一人物による発案なのである。

ある種、南京は鄒教授の持ちネタであり、メディアに取り上げられる鉄板ネタなのだ。

■政治的意図より個人的希望?

日本メディアは「国家レベルの記念日とすることで、安倍晋三首相の靖国神社参拝や歴史認識問題を国を挙げて批判していく意思を明確に示すとともに、安倍政権の歴史認識の問題点を国際社会に広く訴えかける狙いがあるとみられる」と報じている。

もちろんこのタイミングで法案が成立した以上、そうした意図は否定できないだろう。ただしその裏側には、鄒建平という人物が一人で作り上げた伏線が存在する。彼の個人的願望が存在しなければ法案が通ることもなかったのではないか。

中国が国際世論に働きかけるべくすべてを計画した…のではなく、日本叩きのツールとしてある個人の主張が使えそうだったから採用してみたというのが実情に近いのかもしれない。

◆筆者プロフィール:高橋孝治(たかはし・こうじ)

日本文化大学卒業。法政大学大学院・放送大学大学院修了。中国法の魅力に取り憑かれ、都内社労士事務所を退職し渡中。現在、中国政法大学 刑事司法学院 博士課程在学中。特定社会保険労務士有資格者、行政書士有資格者、法律諮詢師、民事執行師。※法律諮詢師(和訳は「法律コンサル士」)、民事執行師は中国政府認定の法律家(試験事務局いわく初の外国人合格とのこと)。『Whenever北京《城市漫歩》北京日文版増刊』にて「理論から見る中国ビジネス法」連載中。

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