日本人の漢字コンプレックス、日本における独自の変化―中国紙

Record China    2014年3月6日(木) 17時48分

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3日、中国民航報は「日本人の漢字コンプレックス」と題した記事を掲載し、日本における漢字の独自の変化について伝えた。資料写真。

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2014年3月3日、中国民航報は「日本人の漢字コンプレックス」と題した記事を掲載し、日本における漢字の独自の変化について伝えた。

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漢字は中国から日本に伝わった後、日本語になかった書式の空白を埋め、長期間にわたって公式の文字として使用されてきた。「古事記」や「日本書紀」、「万葉集」など早期の日本の正式な書簡や文書、歴史や文化の書籍はすべて漢字によって記されている。

一方で、日本では漢字を使用するだけでなく、自らの必要性から日本独自の漢字を創造した。特に19世紀の明治時代には、西洋の古典文学が次々と日本に伝わり、日本語の中にない概念を翻訳するため、漢字の字体の原理を利用して大量の和製漢字を創りだした。その後、これらの新語は留学生などにより中国に持ち帰られて「漢字の逆輸入」が起こり、中国でも幅広く用いられるようになった。

同時に、明治維新を機として大量に取り込まれた西洋の文学や文化によって、日本は文字の不足を感じた。さらに、複雑な漢字が時代遅れとなった原因の1つであると反省し、文明社会のニーズに応じて漢字を排除しなければならないと認識した。こうした経緯もあって、かな派やローマ字派、アルファベット派など国語改革論争が巻き起こったが、最終的には福沢諭吉が提唱した、漢字の使用を3000字以内に制限するという折衷案がその後の基本路線となった。

第二次世界大戦後、占領軍司令部は日本の全面的な改革を実施するに当たり、日本にローマ字表記の採用を要求した。1946年11月、吉田茂内閣(当時)は漢字1850字による「当用漢字表」を制定し、漢字の使用を制限した。60年代以降は漢字の使用制限による社会への影響を憂慮し始め、81年には文部省(当時)が「当用漢字表」を基にした「常用漢字表」を告示し、現代の国語を書き表すための目安となる漢字として、漢字を1945字に増加させた。

その後、最終的に国語論争に終止符を打ったのは、コンピューターの文字処理システムの普及だった。世界で最も早く漢字に文字コードを割り当てたのは日本であり、コンピューターの漢字入力技術の変革が漢字に対する煩わしさ論の最後の障害を取り除き、ローマ字化を主張していた学者もその立場を変化させ、過去の主張を放棄した。(翻訳・編集/HA)

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