日本は歴史の分岐点で過激主義に走った―中国メディア

Record China    2020年10月13日(火) 8時40分

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10日、第一財経は、中国の雑誌「財経」の主筆を務める馬国川(マー・グオチュアン)氏が、日本の近代史について論じた内容を紹介する記事を掲載した。写真は明治神宮。

2020年10月10日、第一財経は、中国の雑誌「財経」の主筆を務める馬国川(マー・グオチュアン)氏が、日本の近代史について論じた内容を紹介する記事を掲載した。

馬氏は、明治維新後の日本に帯びていた高揚感は明治末期になると影を潜めはじめ、軍国主義、民族主義、国粋主義といった思想がはびこり始めたと紹介。大正時代はデモクラシーの機運が高まったものの「軍隊が政府の制約を受けず、直接天皇の命に従うといった不適切な内容を含め、明治憲法の問題点を適切に調整するに至らなかった」ことで、その後の軍国主義を招く結果になったとしている。

また、昭和の時代に入ると青年将校らが「昭和維新」をスローガンに政治や社会の徹底的な改造を目指すようになり、国内の過激な思想や主張が絶えず生み出されるようになったと説明。「もし日本が近代的な政治文明建設を急ぎ、近代的な政治制度の推進を足早に進めていたなら、もっといい方向に進んでいたかもしれないが、残念ながら現実はそうはいかなかった」と論じた。

そして、昭和初期の日本は民族主義的な熱狂に包まれるとともに、社会問題が突出し、さらには世界恐慌の発生で経済的にも大打撃を受けたと紹介。この状況は当時の青年将校、青年軍人に非常に大きな刺激を与え、既存体制に対する恨みを充満させ、社会の再構築を目指すようになっていき、軍部の暴走を引き起こし、やがては第2次世界大戦の敗戦に至ったとしている。

馬氏は、ある国が歴史的な岐路に立った場合、「無数の若者を犠牲にして大きな災難を引き起こす」か、「あらゆる人による富の創造を激励し、制度の整備を通じて社会的な不公平を解決していく」という2つの道を選択することになるとした上で「残念ながら当時の日本の政治家には、歴史的な責任感も政治的な道徳や勇気も欠けており、最終的に完全な制御不能状態に陥ってしまった」との考えを示した。(翻訳・編集/川尻

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