ムウス砂漠:緑のオアシスへと変貌した中国の砂漠―中国メディア

人民網日本語版    2020年8月17日(月) 16時50分

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今から70年前、毛烏素(ムウス)砂漠は砂で覆いつくされていた。だが、現在、この土地を覆っているのは一面の緑となった。

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今から70年前、毛烏素(ムウス)砂漠は砂で覆いつくされていた。だが、現在、この土地を覆っているのは一面の緑となった。

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〇生きる

「家のドアが砂で開かなくなった。早く帰ってきて!」30年あまり前のある日、故郷を離れて臨時労働者として働いていた吉日嘎拉図さんは、泣きながら自分を訪ねて来た母親の言葉に驚愕した。

吉日嘎拉図さんの実家は、ムウス砂漠の内陸部にある。その日の前夜、大風が吹き荒れ、砂丘の砂が吹き寄せたため、吉日嘎拉図さんの家のドアが開かなくなった。仕方なく窓からはい出した両親は、家のドアの前に吹き寄せられた砂を塵取りで少しずつ取り除いた。

一家はそれまでも、大風や砂埃に長年苦しめられてきた。吉日嘎拉図さんは、「子供の頃、登校中に、風と砂埃の中でよく道に迷ったことを覚えている。また、食料の買い出しに街に出るにも、行ってから帰るまで4日かかった。感覚だけを頼りに行けるところまで歩いた。でもどこまで行っても一面砂地だった」と回想する。

その夜の大風と砂埃を経験して、一家はこのままではいけない、と思った。吉日嘎拉図さん夫妻は、砂地に沙蒿(ヨモギの一種)を植える決心をした。

現在、吉日嘎拉図さん宅の大きな窓の外には、草地と樹木が果てしなく広がっている。以前は十数頭の羊さえ飼育不可能だったというのに、今では百頭以上の羊や40-50頭の牛が草地で草をはみ、のんびりと歩き回っている。

人々は砂漠化を食い止め、植樹しながら生活を営み、同時に砂との付き合い方を学んできた。吉日嘎拉図さんは、「しっかり保護しなければ、この緑は失われる」と話す。

〇力を合わせる

1950-1960年代から、砂漠化防止・緑化を目的として、陝西省・内モンゴル自治区・寧夏回族自治区は、複数の国営林場や砂漠緑化ステーションを相次いで設置した。

1985年、寧夏回族自治区霊武市白芨灘防砂林場に、王有徳氏が新しい副場長としてやってきた。彼が就任後最初にやったことは、すぐに砂漠緑化に取り掛かることではなかった。

「砂漠緑化の前に、まずは貧困からの脱却を図る必要がある」。彼らは、れんが工場などを建設し、苗木花卉緑化サービスセンターを立ち上げ、緑化に力を注いだ。

従業員は豊かになり、砂漠は緑地に変わった。

統計データによると、三世代におよぶ白芨灘住民による砂漠緑化事業によって、累計4万2千ヘクタールの造林地が完成、約6万7千ヘクタールの流砂が制御され、森林率は41%に達した。ムウス砂漠の南への移動と西への拡大は有効に抑制され、黄河や銀川河東部の生態環境が保護され、同地は、三北(西北・華北・東北)プロジェクトにおける的を絞った科学的な砂漠緑化事業のモデルエリアとなった。

〇生態

陝西省楡林市の、かつては砂地だった場所に、高効率の果樹栽培拠点が建設され、ナツメを代表とする林業産業が経済成長の重要な支柱となった。広大な土地と豊富に生育する草という優位性を活かし、楡林市は、国内非放牧区のうち羊の飼育数がトップの都市となった。果樹資源を拠り所として、林業では精密加工の路線を取り、杏仁プロテインパウダー、杏仁ジュース、ナツメコーヒーなどが続々と市場に出回った。

陝西・内モンゴル・寧夏に跨るムウス砂漠の砂漠緑化によって恩恵を受けたのは、これらの地域にとどまらなかった。

「三北」の防護林建設、北京・天津の風砂対策、天然林資源の保護など、ムウス砂漠の緑化は、さまざまな国家林業重点プロジェクトに影響を及ぼし、黄河流域や北京市・天津市・河北省エリアなど広い地域の生態を結び付けた。

2019年、国家重点研究開発計画テーマ「半干ばつ砂漠エリアにおける防砂・砂漠化対策プロジェクト効果総合評価」において、ムウス砂漠の草地・林地・耕地・水域における各種生態系によるサービスの年間生産額は、1990年時点では893億7800万元だったが、2015年には1950億8900万元まで増加したと指摘している。

この研究は、2020年から2025年にかけてのムウス砂漠緑化プロジェクトの生態系サービス年間生産額は2000億元を上回り、引き続き顕著な増加傾向が続くと予想している。(提供/人民網日本語版・編集/KM)

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