旧日本軍による暴行・虐殺に、「日本人も心を痛めていた」―中国メディア

Record China    2014年1月14日(火) 22時10分

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13日、新華網によると、吉林省の資料館で整理された日本人が書いたとみられる手紙に、日本軍による婦女暴行や児童虐殺などの暴力行為を、日本人も見ていられなかったと書かれていたことが分かった。写真は抗日戦争記念館。

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2014年1月13日、新華網によると、先ごろ吉林省の資料館で整理された旧日本軍による侵略戦争の史料の中の日本人が書いたとみられる手紙に、日本軍による婦女暴行や児童虐殺などの暴力行為を、日本人も見ていられなかったと書かれていたことが分かった。

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1938年3月12日、日本軍華中荻州部隊の渡辺徳右衛門が新潟県の関原草苗に宛てた手紙には、「2月6日、私は警備中、付近には数万の負傷した敵がいる。かわいそうなのは現地の一般人。皆殺しの命令を受け、子どもたちに同情心を抱きつつも、涙を浮かべて多くを殺した」と記されていた。

1940年、牡丹江鉄道局の植田益夫が京都の古川次郎に宛てた手紙には、「労働者の死体がいたるところに散らばっている。干上がった小川の中で12、3の労働者の死体があったが、野良犬が残らずかじり尽くした」と書かれていた。

1938年6月8日、奉天工藤部隊の木村鎮雄が石川県の妻・木村美代子に宛てた手紙には、「国境方面は同僚が警戒に当たっていた。聞くところによると婦女暴行は日常茶飯事だそうだ。同僚は地理的位置および言葉から、暴行の対象はすべて満州人だとわかった。それは昼夜を問わず続き、多くの女性が数百人の日本軍に暴行された」と記されていた。

吉林省資料館の尹壊(イン・ホアイ)館長は、「これらの史料の翻訳・解読が進めば、さらに旧日本軍による暴行の証拠が出るだろう」としている。(翻訳・編集/北田

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