<コラム>蘇州郊外で必見、同里の思本橋と呉江の東廟橋

工藤 和直    2020年6月22日(月) 23時40分

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蘇州郊外に行くと大きな改修がなく宋時代のままが残っている古橋がある。そのいくつかを紹介したい。

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蘇州にある橋は宋時代に木造から石橋に架け替えられたが、宋代当時のままの石橋はない。明・清時代に改修されたものが、往時を偲ばせるに過ぎない。郊外に行くと大きな改修がなく宋時代のままが残っている古橋がある(国家一級文化財として登録)。そのいくつかを紹介したい。

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一つは同里にある「思本橋」である。同里はその昔は「富士」と言われ、40座の橋が記録されている。呉江から同里へ行く際、通るのが迎燕路であるが、その南に思本路がある。その西端の工場地帯にある汚い運河を跨ぐのが、「思本橋」である。南宋宝祐年間(西暦1253~1258年)に創建、760年前の雄姿を見る事ができるアーチ橋である。横から見るに、橋上部の梁部に彩雲の模様がうっすらと残っている(写真1)。

もうひとつが、呉江七都にある「東廟橋」(梁橋)である(写真2)。230号線から呉越路に南下した東廟橋村にあり、橋梁は武康石(浙江省徳清県産で紫色に輝く凝灰岩)からなる。欄干は花崗岩作りである。南宋紹定年間(西暦1228~1233年)に創建、同里の思本橋に先立つ25年前の橋である。この二つを見ないと蘇州の古橋を語る資格がない。七都付近には八都もあり、調査するに西暦909年には、1から29都まであったようだ。これらの橋の共通点は“何でこんな田舎”と思う点である。それが故に時代から取り残され現在まで残ったのだ。これらの橋の周囲に明・清時代の古橋も見られるが、共通して今でも生活のために使われている点だ。二つの橋はふんだんに“武康石”が使われ、800年の歴史の中で最高の“紫色”を呈している。まさに国宝級である。蘇州市南部の呉江地方には260余の古橋が記録されている。

同里まで行く時間がない方々にとって、蘇州城に近く明・清時代に改築されて宋・元時代の面影を持つのが、城内東南角にある「滅渡橋」と寒山寺内にある「楓橋」(封橋)だ。唐代創建の楓橋は古来水上交通の関所(鉄嶺関)たるべき重要な橋であったがため、西暦1860年の太平天国の乱で破壊され再建された花崗岩単孔アーチ橋である。また寒山寺門前にあるのが「江村橋」であるが、同じく唐時代に創建され清代西暦1706年改修の花崗岩単孔アーチ橋である(古呉軒出版社「蘇州古橋文化」)。

■筆者プロフィール:工藤 和直 1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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