<コラム>逃げろ!コロナに襲われる都市集中 2

石川希理    2020年7月12日(日) 15時50分

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コロナ禍で、自然を求めて地方移住をする人がいる。写真は東京。

それが半世紀で一変した。先に述べたが、高齢化・少子化、人口減少である。高度成長は終わった。

最早、倍々ゲームのように賃金が上がり、GDPは拡大しない。そうすると、地方農村に、役場や銀行、郵便局。マーケットに病院、学校は維持できない。

農村に点在する農家一軒一軒にまで、電気を引き、上下水道、簡易上下水道、ガス、プロパンの配送は不可能である。もちろん山の上の田んぼまでの農道舗装は出来ない。(以前、タヌキ道路で述べた。)

かくして、散らばった機能を真ん中に集めていくコンパクトシティが必要になった。

「コンパクトに集まる、つまり集中すると、フィジカル・ディスタンスも、ソーシャル・ディスタンスも難しいなりまんな」

「えらい! ワン! えらい!」

「なんや、そう、ほめられると、却って、おちょくられているような…」

「……ヒヒヒ…」

「かなわんなあ! ワワーン!」

コロナ禍で、自然を求めて地方移住をする人がいる。もちろん人それぞれに、立場も動機も決心も違うだろう。大自然に飛び込んで、心豊かに生きていく。テレビもネットもいらない、通販も利用しない。極端にいうと、ライフラインは要らないというような生活。或いはそれほど極端ではなくとも、飲食店もカラオケ、スポーツジムも、娯楽施設も、流行の服も要らない、グルメも不要、野菜は自分で作る…といった生活を考えている人もいるだろう。

しかし、多くは、「病気になれば診療所があり」「救急車が大都市ほどでなくとも近い大病院まで運んでくれ」「ネット通販や銀行が利用でき」「エアコンがきく」「電気かガスがある」「車を30分走らせればコンビニかスーパーがある」と言ったことを前提にしている。子どもがいれば、近くに学校がきちんとあるというのが前提だ。

「あきまへんな」

「そう、あかん」

吾輩はワンの頭を撫でた。短い毛の感触がする。確かに実在しているのだが、それは吾輩にとっての「実存の錯覚」なのかもしれない。なにせ、ワンは他人には見えないのだから。

コンパクトシティ政策は、我が国が最早、地方の隅々にまで公共サービスをする力がなくなってきたからである。道路の維持管理さえ、大都市内、都市間、高速道路の補修が喫緊の課題である。人がいなくなり、道路が崩壊した村の奥まで「宅配」はできない。ドローンだって、費用対効果を考えると、業者は維持できない。日本の都市集中は生き残るための必須の手段なのだ。無論、自然環境は保持するとしても、生活の場としての、田舎・農村の維持は難しい。

これは日本の現状だが、お隣の中国はどうか。これは、少し進んだ韓国などもそうだが、都市集中はもう後戻りできない。いうまでもなく、農村部にまで、ライフラインを整備し、都市にいても農村にいても同じ生活が出来る国造りが完成する前に、成長が鈍化してしまいそうであるからだ。

中国の都市戸籍と農村戸籍の差は有名だが、農村部はいまだに貧しい。ライフラインも不十分。なにより、ひと月15000円の収入レベルが、40%とも60%とも言われるのである。これを底上げする機会を目の前に、コロナに襲われ、「世界の工場」の力が、次第に失われつつある。国土も巨大、人間の数も巨大…。これを解決するのは「連邦制」などの、なにか特別な工夫が必要なのだが…。

韓国の都市、農村の格差も日本より遙かに大きい。もちろん韓国では「1970年代」に「新しい村」などの運動もあり改革に取り組んできた。しかし、工業製品の輸出による国家経済の枠組み、極端な学歴重視などが、それを阻んでいる。

「なんでも偏りはいけまへんなあ」

「そうだなあ。極端になって、それにこだわって、崩壊するのは歴史のパターンだけれどなあ」

「日本は何で、第二次大戦後、こないに平等になったんでっしゃろ」

「国民性というものもあるけれど、第二次大戦の結果が大きいだろうねぇ」

「どういうことでっか」

「輸出中心、韓国には現在もあるけれど、日本にもあった財閥中心、学歴重視、小作農や地主がいる農村の貧しさといったものは、第二次大戦の結果でリセットされたからね」

「戦争に負けて、韓国にあるようなサムスンロッテといった財閥がなくなったんですな」

「財閥解体だな。それから軍隊解体、そして農地解放。歴史で習っただろ?あ、ワンは犬か…」

「失礼な、習わなくとも我が知性で理解できま」

「こりゃ、ごめん。でまあ、それがスムーズな農業政策や、経済政策、ほら『田中角栄首相の日本列島改造論』なんかにつながるね。抵抗する既得権益層が破壊されている。経済の高度成長で、大学進学率は50%を超えたし、健康保険に、年金に、と、みんな豊かになった」

「中国や韓国は、これからそれをしなければならないんでんな」

「そう、その時にグローバル化が進み、先行した一時はよかったけれど、アジア諸国などが急速にその地位を奪いつつある。すると高度工業化して差別化を図らねばならない」

「あ、ワン、そうか! ワン」


ワンがニヤリと笑った。おおきな犬歯が見えた。

中型犬だが、この歯は怖い。

「ま、まあ。わかったな。中韓は、高度の工業化をし、内需を拡大し、と乗りだしたところでコロナや、ベトナム、タイといった競争相手の出現に出くわした」

「さらに、農村問題、格差社会がひろがり、少子化と高齢化が襲ってきたんでんな」

「そのとおり。日本並みの経済水準や農村に辿り着いていれば、いいが、そこに行く前に、いまの日本の持つような問題が同時に現れてきた」

「難しいでんな」

「うん、でも、そうかと言って日本も安心してはいられない。静かに潜行しつつ格差問題は大きくなり、昔の財閥ほどでは無いが、寡占の問題も生じ始め、官僚の劣化も噂されている」

「そして、少子化、高齢化でんな」

「なんだか、吾輩のような高齢者は生きづらいな」

「まあまあ、ご主人様、落ち込まんと」

「ありがとう」

「ワワーン! ワン」

でまあ、その中で、都市集中は避けられない。お金がなくなり少子高齢化なのに、田舎を保持できない。ソーシャル・ディスタンスを守りつつ、効率的に過密な都市集中を避ける必要がある。

考えられるのは中核都市を結ぶ「田園都市化」「情報都市化」である。こうすれば、少なくとも東京・大阪のような極めて過密な都市集中は抑えられる。昔から首都機能の移転などが言われてきたが、ほとんど成功してはいない。

経済性と効率性を優先すれば、一極都市集中はベストである。しかし、コロナで破綻した。それだけでなく、地震・火山・津波・豪雨・台風と日本は災害列島である。平和であった戦後も、きな臭い煙がたち始めていないこともない。

一旦、災害を被れば壊滅的なことになるのを避けるためにも、多極化した都市化・都市集中が必要であろう。リニア新幹線の拡大、航空路線の整備、情報基盤の確立と分散、高速道路網の整理と整備が急がれると思う。

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。

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