<コラム>蘇州城内を東西に走る運河に架かる小橋を紹介したい

工藤 和直    2020年4月10日(金) 23時10分

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第一横河は、閶門の水関橋を東行して2014年泰伯廟改築に伴って改修した至徳(泰伯廟)橋を通り、皋橋で一直河にぶつかる。皋橋の北に張広橋と言う橋があるが、この周辺は生活にマッチした市場だった。

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第一横河は、閶門の水関橋を東行して2014年泰伯廟改築に伴って改修した至徳(泰伯廟)橋を通り、皋(Gao)橋で一直河にぶつかる。皋橋の北に張広橋と言う橋があるが、この周辺は生活にマッチした市場だった。崇真宮橋(平江図では宮橋)は1982年改修の平橋だが歴史を感じる。

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水関橋から北行して尚義橋(花崗岩平橋西暦1747年改修)、板橋(花崗岩折橋)を東行して第二直河日輝橋(平江図では北過軍橋、花崗岩平橋1987年改修)、そこから北行すれば平門に至る。単家橋を東行すれば、地下鉄工事で改修された香花橋に遭遇する。香花橋は人民路を渡る当時のメイン橋で、人通りの多い橋であったので公開処刑場ともなった。その後北塔寺を見ながら東行、この第一横河は桃塢河と呼ばれる。臨頓橋で第三直河(臨頓河)に合流、北行すれば斉門に至り、東行すれば拙政園と見ながら華陽橋を通過し婁門に至るが、その直前婁門バス停の南にある城東橋と張香橋は必見に値する(写真1)。

この張香橋の南にある徐鯉魚橋(平江図では麒麟橋)は1944年に顧・兪両氏が改修、百の鯉が来た由来あり。拙政園の前に拙政園橋(園林橋)があるが、そこから東方向に見えるのが周通橋である(写真2)。平江図にも記載があり清時代・民国時代に改修された。今は南の駐車場からしか行くことができない。拙政園は明代、近くの忠王府(太平天国時に置かれた)は清代なので、文化財としての価値は、宋代“周通橋”の方が上である。

第二横河は干将河といわれ、現在地下鉄1号線の上にあり、西は渡子橋とその北の昇平橋から東に流れるが、昇平橋の北西から城外への支流もある。渡子橋の東にかつて状元橋があったが地下鉄工事でなくなった(写真3)。渡子橋は第一直河と重なるが、その第一直河と並行して「学士街」が南北に走る。そこに明代大学士“王鏊”(西暦1450~1524年)が住んで居た。

かつて干将河には17座があったと記録されたが、現在は19座となっている。歴史のある河ではあるが、今は市内のメイン道路となり橋はいずれも新しい。東行するに蘇州城内一番の繁華街であった楽橋に至る。現在地下鉄1号線工事で大きく変化し、橋の下を道が走りその下に地下鉄がある。三国呉の時代から存在した歴史ある橋である。(写真4)は人民路を北に見た1950年代のもの、鶏が二羽の風情が実に面白い。またここは北の香花橋と同じく公開処刑場でもあった。

この楽橋の東に言(Yan)橋があり、その北が宮巷になる。言橋(平江図では閻橋)は、春秋時代に創建し清代に改名し1954年に改修した。近くに孔子の弟子「言子」の廟がある。更に東行すると第三直河と交わる馬津橋、そして呉の夫差の離宮があった苑橋で第四直河と交わる。干将河であえて昔日を思い出させるのは昇龍橋(平江図では万寿寺東橋、1981年改修花崗岩アーチ橋)であろう。宋代創建、明代に現名となる。

■筆者プロフィール:工藤 和直 1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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