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新型肺炎に感染し治癒した医療従事者が続々と現場復帰している。
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彼らは患者であり、医師でもあり、普通の人であり、英雄でもある。「倒れても、また立ち上がればいい」という思いで新型コロナウイルスとの闘いの第一線に立ち、新型コロナウイルスに自分が感染し、入院してからは、「仕事に復帰することが他の患者にとって一番の励みになる」と自分に言い聞かせている。このようにウイルスとの闘いの場に立つ医療従事者の中には、感染してしまった人もいる。そして、治癒して退院すると、入院着から防護服に着替えて再び自分の持ち場に戻っている。人民日報が報じた。
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湖北省武漢市の華中科大同済病院(中法新城院区)の手術室から、緊急患者に1時間半にわたり救命措置を施した心臓血管内科の副医長の周寧医師が出てきた。周医師は2月10日に現場復帰し、新型コロナウイルス感染患者の治療に当たっている。第一線に戻ってきた理由について、周医師は、「医師として、できる限りのことをして一人でも多くの重篤患者を救いたい」と語る。
「正直言うと、新型コロナウイルスに感染してしまう第一陣の医療従事者になってしまうとは思ってもみなかった」と話す周医師は1月17日に、頻脈性不整脈の患者を受け入れたところ、後になってその患者が新型コロナウイルスに感染している可能性が非常に高いことが判明した。その患者と複数回にわたり濃厚接触した周医師は、4日後に発熱し、倦怠感などの症状が出て、自宅隔離に入った。
パニックすることなく、落ち着いて「患者」に徹することのできる医師というのはそう多くないかもしれない。自身の医学的知識を活用して、周医師は隔離期間中、薬物療法だけでなく、しっかりと休息をとることに徹した。すると体温は次第に正常に戻り、症状もほぼ収まった。そして、完全に治癒してから、自分の「自宅療法」をまとめて微信(WeChat)のモーメンツにアップした。「みんながバラバラにならずに、心を一つにして戦うことができれば、必ずウイルスとの闘いに勝つことができる」とメッセージを添えた。
隔離期間を終え、一片の迷いもなく持ち場に戻った周医師は、「僕の体がもたないのではと心配する同僚もいたが、当病院は重体患者を受け入れる感染症指定医療機関で、人手不足が深刻だった。患者を救うというのが医師として担うべき最も重要な責任だ」と振り返る。
2月21日、武漢市の華中科大協和東西湖病院の19階にある隔離病室から出てきた集中治療室(ICU)の主任である袁海涛医師(44)は、入院着から防護服に着替え、重症医学科に直行した。「自分の受けた治療の経験を、できるだけ早く現場に伝えたかった」と袁医師。
医師になって約20年の袁医師は1月14日、専門家グループのメンバーとして、新型コロナウイルス感染者の治療に当たった。1人の重篤患者に気管挿管を施し、ICUに運ぶ必要があった。しかし、気管内に挿管する時はウイルスが拡散し、感染してしまう危険が非常に高い。「でも、だからといってこの危険を冒さない訳にはいかない」と袁医師。
翌日、袁医師は体温が39度まで上がってしまい、3日後に入院して治療を受けるようになった。半月後、袁医師は武漢市肺科病院のICUに移され、妻が「インフォームド・コンセント」に悲痛な思いでサインした。それを聞いた、友人や同病院のICUの主任・胡明医師らは涙を流し、その様子はメディアのカメラにも収められ、多くのネットユーザーが心を痛めた。
しかし、幸いにも、袁医師の体温は少しずつ下がった。容態が好転すると、居ても立っても居られなくなった袁医師は、自身が担当するICUに入院している患者の「遠隔治療」をすぐに始めた。同僚に、「自分が挿管した患者の容態はどうなっているか?」と何度も尋ね、検査結果を見せてもらって、ICU内から治療に参加した。「やっぱり自分の患者を放っておくことはできない」と話す袁医師は自分が治療を受けている間も、自分の病状を参考にしながら、どのように治療ガイドラインを改善できるかずっと考えていた。
幸いにも袁医師がずっと気にかけていた重症患者は、抜管して人工呼吸器から離脱した。その患者が誕生日を迎えた日、袁医師は、その患者がビデオ通話を利用して家族と誕生日を祝えるよう手配した。
隔離病棟の一室で、新型コロナウイルス感染の病状について説明している武漢大学人民病院呼吸・危重症医学科の主治医・鄒進晶医師は非常に元気そうで、しばらく前は同じく感染者の一人であったとは全く分からないほどだ。
鄒医師は1月17日に、発熱や咳などの症状が出て、感染が確認され、入院した。その知らせに、母親が涙を流しながら電話をかけてきたという。また、10歳の娘を心配させることがないようにと、病情が好転してから、ビデオ通話をして感染を伝えたという。
2月1日、鄒医師はPCR検査の結果が「陰性」になり、CT画像も病情が好転していることを示していた。そして、半月後、隔離観察が終わるとすぐに病院に復帰を申請した。そして2月24日には午前に回診をして、午後にはオンラインによる遠隔診察を行うという生活に戻った。
「病気になったら休み、治ったら仕事に復帰するという決定は当たり前のことで決して英雄的な行為というわけではない」と話す鄒医師は、現場復帰したことで精神的にも持ち直し、「仕事が私を必要としているのではなく、私が仕事を必要としているのだから」とした。(編集KN)