30年前に日本に来た時、大きなショックを受けた―中国小説家

Record China    2020年3月8日(日) 23時30分

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1日、中国紙・北京晩報は、日本で見られる細部にわたる配慮について紹介する、小説家・黒孩氏の文章を掲載した。写真は東京・恵比寿ガーデンプレイス。

2020年3月1日、中国紙・北京晩報は、日本で見られる細部にわたる配慮について紹介する、小説家・黒孩(ヘイハイ)氏の文章を掲載した。以下はその概要。

日本といえば、多くの人は「細部を非常に重視する国」との印象だろう。今回私が「細部」について取り上げるのは、日常生活にあふれている細部が文学にどのような影響を与え、特に私の作品にどんな影響を与えたかを語るためだ。

衣食住からその国の文化をうかがえるなら、日本の細部にわたる配慮はいたるところにあふれていると言える。例えば、芸術品のようなマンホールのふた、トイレには必ずベビーチェアとトイレットペーパーがあること、スーパーマーケットに無料の冷蔵ロッカーがあること、郵便局や病院のカウンターには度数の異なる老眼鏡があること、飲料缶には点字があることなど、このような例は枚挙に暇がない。

こうした細部にわたる配慮は、小説における伏線と余白のようなもので、読者に自分でその温かさや優雅さを感じてもらうものである。私が30年前に日本に来た時、上述の事柄は私に大きなショックを与えた。

ある時、上野へ花見に行き、お腹が空いたので店で刺し身を注文した。これが初めての刺し身で、値段は数千円ととても高かった。運ばれてきた木製の舟型盛付け皿には氷がたくさん並べてあり、その氷の上に4~5切れの赤や黄色の刺し身が盛り付けられていて、小さな傘までさしてあった。値段は高かったが損したとは思わなかった。なぜならあまりに美しかったからだ。これはお金を出して絵画を鑑賞するのと同じようなものなのである。

細部は真心の気持ちを伝える方法となっている。例えば日本の茶道では、器に取っ手がないことはよく知られている。なぜ取っ手がないのか。60度の日本茶が最もおいしいからだ。指や肌で器に触れてみて「少し熱いが持つことができる」という時、器の中の茶の温度はちょうど60度なのである。

細部から日本を理解することは、一つの方法なのかもしれない。日本の細部とは完璧な形態の文化であり、人の視覚を発展させ続けるものとなる。私は、良い小説は形式にとらわれる必要がないだけでなく、細部に注意を払っていることに気付いた。日本の小説を読んでいると、その多くが細部から展開していて、筋を基礎とはしていない。私は川端康成が好きだとよく言っているが、それは彼の作品は細部から話が展開するからである。

例えば、川端康成の「雪国」の書き出しは、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」だが、この細部において、心境と視覚、暗闇と明かり、狭さと広さを瞬間的に把握できる。細部とは孤立した存在ではなく、読者の審美体験の中に拡散するものである。生活における細部と作家の創作とは密接な関係にあるのだ。

日本にあふれる細部への配慮の影響を受け、私は作品を書くときにできるだけ筋を考慮しないようにしている。頼みとするのは自分の人生経験と感情で、経験と感情から出発して、生活の瞬間と細部を展開し続けていく。作者としての私は、小説の主人公と私の距離が非常に近く、ほぼ一体といっていい。私の作品は自伝だという人もいるが、私が書くのは一種の経験であって自伝ではなく、本当ともうそともつかないものだ。小説が表現しているのは、私の人生の憧れがいかに根元から引き抜かれ、いかに自分を癒しているかなのである。(翻訳・編集/山中)

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