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<コラム>地震4 ぺっしゃんこ うちの家はどこや!

配信日時:2020年3月9日(月) 23時0分
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震災後、長田区に出かけた。番町地区は、古い木造が多い。全部、ぺっしゃんこである。資料写真。

東京まで明石・神戸から8時間。交通は半世紀前に戻る。

現在、大阪(新大阪)まで、明石から待ち時間を入れても1時間。そこから東京まで、新幹線で現在は2時間半程か。1995年当時はもう少しかかったかも知れない。

課長と、東京の厚生省(現在は厚生労働省)と文部科学省に行かねばならなくなった。2月だったかと思う。震災後1カ月は過ぎていた。

私鉄もJRも、そして国道も高速道路も、ズタズタだ。課長と話して、明石から一旦西に出て、北にあがり、和田山(前の地図で言うと「城崎」の南)に出て、福知山線に乗り換え、京都方面に向かい、南に下って大阪に出る。大阪に出るのに、通常1時間足らずが5時間かかった。

人の移動がこれだから、大震災の時は、物流がどうなるか心配だ。

厚生労働省に辿り着くと、担当の女性課長さんが「よく来られた」と感激の面持ちで対応して下さったことが印象に残っている。

さて、そのエピソード以外に、もう一つ想い出がある。震災後2カ月足らず、3月になって、神戸市長田区の避難所回りをすることになった。当時、私は、県の指導主事だった。様々な研修・講座などの、準備・実施をしていた。県職員の身分である。

県自体の震災への対応も大変だったが、直接関係のない事務的な部門の県職員も手分けして被災地の状況確認、要望確認をしろ、ということで、長田区に出かけた。電車が使えないので、バイクで出かけたことを覚えている。

長田区の北部は私の生まれ育った地である。巡回地は中部・中部以南。神戸市の番町地区。火災のあった新長田地域のまだ東である。警察署に到着して、パトカーに乗り込んだ。当時は全国各地の警察が応援に来ていて、私は神奈川県警のパトカーにお世話になった。

番町地区は、古い木造が多い。全部、ぺっしゃんこである。

「テレビがなあ2軒隣に飛んでもた」

「うちの家が何処なのかよくわからない」

重なり合ったガレキだから、何処までが自分の家か判然としない所も多くある。

それに、道路が、まずまず、ましだった明石に比べて、電柱が傾き、電線が垂れ下がり、塀が倒れ、側溝・擁壁が崩れ、看板が倒れ、しかもひび割れなどもある。パトカーも動きにくい。徒歩も多くなる。

新長田などは火災で多くの人が亡くなった。私のパトロール地区は圧死である。3日間、パトロールしたけれど、育った地のすぐ南・東で土地勘がある。前の姿を知っているだけに「まいった」。

ただ、直接の担当である神戸市職員の奮闘ぶりには頭が下がった。神奈川県警のパトカーとあわせ、ありがとうございました。

なお、私はこの年の4月から、明石市にある県立図書館に異動になった。そこも地震の後始末である。援助図書の段ボールの山。調査専門員という肩書きとは裏腹に、潰れた高校などの図書館への配送と、援助図書の山に埋もれて「図書館で肉体労働」をすることになるが、そのお話はまたの機会に。

■筆者プロフィール:石川希理
1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、仏教の勉強と瞑想を10年ほど。明石市と西脇市の文芸祭り選者。児童文学のアンソロジー単行本、小説の自家版文庫本など。

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