<コラム>新型コロナウイルス発生下の香港

茶妹小丸子    2020年2月25日(火) 22時30分

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2月10日から14日まで香港に行った。香港旅行は昨年10月に決め、チケットもその月に予約しておいた。ところが、この新型肺炎の騒ぎになった。

2月10日から14日まで香港に行った。香港旅行は昨年10月に決め、チケットもその月に予約しておいた。ところが、この新型肺炎の騒ぎになった。香港の友人3人からそれぞれ事情や実情を聞いた上で今回やはり行くことに決めた。

香港に行くにあたり、香港人の友人2人からマスクを頼まれたので、マスクを買いに奔走した。日本でこんなにマスク探しに奔走するとは思わなかった。幸いにも私はこの騒ぎが過熱する前に12箱買うことができたのと、我が家には一年中数箱常備されていたので、我が家の数箱を足して香港に持って行った。

友人は香港でマスクを購入することが大変困難で、売り切れの店があり、販売していても日本のネット通販の価格と同じくべらぼうな値段で販売しているとのことだった。

2月10日、香港空港に降り立った私は目が点になった。人がほとんどいなくてガラーンとしているような状況だった。こんなに人が少ない香港空港をかつて見たことがなかった。おそらくSARSの時も今回と同じような状況だったと推測する。

そのおかげか入国審査はとても早く済んだ。空港エクスプレスに乗り込むと、ここも人はまばらだった。空港エクスプレスの香港駅のタクシー乗り場も人がほとんどいないような状態だった。ホテルは香港島の湾仔の中心にあるのだが、ここの目ぬき通りを見ても車と人が少なくゴーストタウンのようだった。

ホテルにチェックインしようと入り口に入ると検温を余儀なくされた。これは実はあらかじめホテルからメールをもらっていて承知していたことなので従うしかなかった。チェックインして部屋に荷物を置き、外に夕飯を食べに行ってみたがレストランも人がまばら。香港人は普段は外食が多いのに、この状況下ではさすがの香港人も外出と外食を控えているように感じた。

翌日は香港人の友人と待ち合わせをしており、路面電車で目的地に向かった。路面電車から見る香港の街中はまさにゴーストタウンのようだった。待ち合わせ時間よりも1時間以上早く着いたので、周囲をぶらぶらしてちょうど買いたかったものがここにあるので行ってみた。周りを見渡すと、シャッター街のような通りもあった。

目的の店を発見し、品物を吟味していたら店の人が出てきた。開店の準備をしている最中だったが、私が買う意思があることを話すと丁寧に応対してくれた。値段の違いやどれがおすすめかなどを広東語でやり取りし、買うものを決めてお会計をしようとしたら、お店の人がサービスで麺を4つくれた。最後に私が日本人だと知って驚いていたが、買ってくれる客がいたのがうれしかったのかとてもサービスが良かった。

香港滞在中、おまけをつけてくれる店がほとんどだった。こうした状況下で買ってくれる客がいるだけでありがたいらしい。特に外国人がわざわざ香港に来てくれたことに驚いているようにも感じた。

香港にオープンして以来好きで買っている香港のブランドのショップにも行ってみた。地元や外国人にも人気の店なのだが、客は私だけだった。日本であらかじめこの店のホームページを見て買いたいものを吟味していたので、お目当ての品物を見つけて買った。店員から「以前ここで買い物をしたことがありますか?」と広東語で聞かれた。私は「あるけど、4年以上前だったと思うから、そちらに記録があるかどうか」と答えると、タブレットに名前を入力してくださいと言われた。入力すると、店員が「これですよね?」と言うので、確認すると私のデータだった。「えー!4年前の記録がまだあったんですか?」と聞くと、お店の人は「もちろんです。お客様が次に来ていただけるように記録は残してあります」と言っていた。さすがだ!ここでも客は私だけだったので、井戸端会議に花が咲いた。私が日本人だとわかると結構びっくりしていたが、私がこの店の品物が大好きだと話すととても喜んでいた。

香港滞在中、30年来の香港の友人とホテルでゆっくり話をする時間があった。今回の香港のデモやウイルス騒ぎを香港の人たちはどう思っているのかなど、2時間以上話しただろうか。いつもはスマホのアプリで話すだけだったが、やはり面と向かって話す方が相手の表情や言いたいことが伝わっていいと感じた。

この友人だけでなく、多くの香港人は歴史に翻弄されて来た。長いイギリス統治下においては香港はイギリス、そして、97年は自分たちの為政者は中華人民共和国になった。長いイギリス統治下で生まれ育った香港人は独特の文化と風習をつくりあげ、多くの中華圏の良き手本となっていったと思う。同じ中華圏の台湾、大陸、シンガポールのほか、日本や他のアジアの国とも距離的に近く、情報を共有するのにふさわしい場所となり、アジアの経済を支えてきた。ところが97年の返還から数年たった香港に陰りや活気がなくなり、少し違う方向に行ってしまっているような、空気が変わったというか、だんだんエネルギーがどこかに吸い取られていくようなそんな印象もこの数年感じた。

そして、あのSARS、雨傘革命、昨年のデモ、極めつきが今回のコロナウイルス騒ぎだ。海を隔てた日本から見ていても確かにこのところの香港は災難続きだ。しかし、こんな苦境に立たされても自分たちの身は自分たちで守り、自分たちの自治は自分たちで守り、自分たちン苦境は自分たちで救うという不屈の精神が今の香港にもあるという印象を受けた。街にはコロナウイルスにかからないための自己防衛策などのポスターやチラシ、レストランには手洗いや衛生に関する啓発のポスターや注意書きが掲げられていた。やはり人の目につくところに貼るのが一番効果があると思う。

レストランのトイレに行って見てみると、香港人もしっかりと手洗いをし、ポスターに描いてあることを皆守っている。聞いたところによると、香港はSARSの時に痛い目にあったので、その時の教訓が活かされているそうだ。ただ、パニックになっている市民もいるようで、なぜかマスク以外にトイレットペーパーや米が軒並み売り切れの状態でびっくりした。さながら昔の日本のオイルショックの時のようだった。

こんな時に香港に行ったのが良いのかどうかはわからないが、それでも香港の人たちの温かい対応には本当に敬服した。友人たちは私を温かく歓迎してくれて、夕飯の場所をわざわざ下見に行ったそう。そして、今回一番会いたかった友人には残念だが会えなくなってしまったが、私が持って来たマスクを自分の友人に託して、受け取ってくれた。そしてホテルに帰ってみると友人からのプレゼントが届いていた。私が旅行中に困らないようにと自分がデザインした商品のモバイルバッテリーをくれた。しかも私と娘の2人分をくれた。実はこのモバイルバッテリーは私が日本にいるときにネットで注文したのだが、友人からこのバッテリーは郵便では送れないと返事が来て私が残念がっていたのを覚えていてくれて、今回マスクのお礼にとくれた。これだけでなくエッグタルトも一緒にくれた。

こうしたさりげない心使いができるのがさすが香港人なのかなと思った。苦境に立たされているときも遠方から来た友達にはとても心を配ってくれる。そうしたことができることがとても敬服するに値すると思った。

香港は返還されてから香港人としてのアイデンティティーが強くなっているように感じた。それは彼らの住むところの統治者が変わり、いつも歴史に翻弄されてきているせいなのかもしれないが、この数年は特にそう感じるようになった。今香港は苦境に立たされているが、今回香港に行ってみて自分たちで香港を守っていこうという意気込みも感じられた。

私はこうした状況の中、香港に偶然行ってしまったのだが、観光客もほとんどいないせいで、お店に行けば私は格好の話し相手だ。日本から来て片言の広東語を話す変な日本人。でも、私にはお店の人たちとの井戸端会議も大切な情報源であるし、香港人の現在の心境を知ることのできる貴重な体験とツールだ。私は私でお店の人たちが私の広東語学習の練習台になってくれたようなもので、私にとっては教科書で勉強するよりも一番の勉強ツールだ。

そんな私に付き合って話をしてくれた香港の皆様にこの場を借りて感謝いたします。そして、香港が現状を打破し、元の活気ある香港になってほしいと、香港オタクの私としては祈るばかりです。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子 1967年生まれ。千葉県出身。中国浙江省杭州大学(現浙江大学)漢語進修コースに1年留学。広西チワン族自治区外貿公司駐日本代表事務所に5年の勤務、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。 Facebookはこちら ※フォローはメッセージ付きで。

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