新型肺炎罹患後に治癒した24歳女性 「私が乗り越えられたのだから、他の人も大丈夫」

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2月8日夕方、河南省魯山県人民病院伝染病医院から退院した李霖琳さん(仮名)は、久しぶりに新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。

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2月8日夕方、河南省魯山県人民病院伝染病医院から退院した李霖琳さん(仮名)は、久しぶりに新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。新華社が伝えた。

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新型コロナウイルス感染による肺炎と診断されてから治癒して退院するまで、李さんは隔離病棟で焦燥と不安の17日間を過ごした。その間、呼吸困難に陥って、死ぬ前の別れのメッセージの動画まで撮ったという。新型コロナウイルス感染による肺炎患者として、同県で初めて治癒した李さんは、ウイルスとの苦しい闘いを振り返り、「私はまだ24歳。家族に誇りに思ってもらえるようなことも成し遂げていない。ここであきらめるわけにはいかない」と語った。

「なぜ私が感染する羽目に…」

発熱して隔離病棟に入った時、武漢大学医学専攻の大学院生である李霖琳さんはパニック状態になり、「なぜ私だけがこんな目に…」とやり切れない思いを抱いていた。

最初に症状が現れたのは1月16日だった。李さんは何人かの同級生と食事をした後、すぐに体調が悪くなり、体温を測ってみると37.2℃あった。李さんは、食べ過ぎたか赤ワインを飲んだからだと考え、あまり気にも留めず、新型コロナウイルスを連想することもまったくなかったという。なんといっても、当時発表されていた感染者数は数十人にすぎず、李さんは華南海鮮市場に行ったこともなかったからだ。

それから数日間は、何の異常もみられなかった。李さんは課題や論文に忙しく、そして例年と同じように年越しのために河南省魯山の農村の実家に帰省した。1月23日の昼、餃子を食べ終えた李さんは再び発熱し、筋肉も痛くなり始めた。

「どうしよう、感染してしまったかも?」李さんは怖くなり、1人で密かに泣いた。この頃、全国の感染者数は571人にまで増えており、李さんもすでに自発的に自宅待機し、夜だけ散歩に出ているような状況だった。

体温は38℃まで上がり、出る痰は透明で、泡を伴っていた。李さんは、医学的な常識から、これは間違いなく問題だと感じた。李さんはなんとか自分を落ち着かせ、痰をふき取ると、家族にゴミ箱に触らず、マスクをするように念を押し、それから120番に電話をかけて救急車を呼び、自分は新型コロナウイルスに感染した可能性が高いと相手に告げた。

「その時は心理的に『ネガティブフィードバック効果』があった。深刻な事態になったと考えるほど、病情がますます悪化した」。救急車の中で、李さんの体温は上がり続け、気分の悪さに嘔吐してしまったという。

李さんはこの小さな県の行政中心地で最初に隔離病棟に入院した人となった。CT検査や血液検査、アミノトランスフェラーゼなど各数値がどれも正常とは言えない結果で、免疫関連の細胞はかなり少なくなっていた。翌日夜、「咽頭スワブ検査」の結果が陽性となり、李さんは新型コロナウイルス感染による肺炎と診断された。

入院2日目は旧暦の大晦日にあたっていた。李さんは新年になればすべてが好転すると思っていたが、深夜12時、突然呼吸がしにくくなったと感じ、心拍も弱くなった。頸部動脈を触ってみると、脈拍がほとんど感じられなかった。李さんはすぐに低酸素になったのだと気づいた。緊張したことで酸欠がひどくなり、李さんは懸命に自分を落ち着かせ、看護師を呼んで酸素ボンベを持ってきてもらった。

それは李さんが最もつらかった時だった。大きく息を吸いこんでも、肺が思うように動かず、吸ったばかりの空気がまた直接口から吐き出されるような感じがした。李さんは自分の手と足の色が変わっていくのをなすすべもなく見つめていた。体温も下がり、自分はもうだめだと思った。

「私は自分に、今はどんなにつらくても眠ってはだめ、寝てしまったら呼吸をするのを忘れてしまう、と言い聞かせた」。李さんは懸命に息を吸い、手足が温まるように頑張って動かすと同時に、死を前にしたメッセージを入れた20分間の動画を少しずつ撮影した。万が一最悪の事態になった場合に、李さんは身内や友人たちに別れを告げずに死にたくないと思ったからだ。

数時間後、手足は徐々に温かくなってきた。李さんは眠ってしまうのが怖かったので、朦朧としながら夜明けまで耐え、ついに酸素ボンベがなくても自発呼吸ができるまで回復した。

李さんは九死に一生を得て、幸いにも持ちこたえることができた。李さんは、薬による治療の一方で、自分の身体と信念のおかげでもあり、リラックスした心の状態がとても重要だと確信している。

「光を灯し、暗闇を少しでも照らそう」

李さんの病状は徐々に回復し、体温は37℃まで下がり、肺の炎症は次第に収まり、帰宅できる日が間近に迫っていた。

李さんは隔離病棟にいたが、そんな中でもかなりの精力をパニック状態にある親しい友人や見知らぬ人を安心させることに注いだ。入院当日、李さんは7項目の注意事項を挙げ、家族に自宅待機するよう念を押した。李さんの家族のうち、後に母親も感染したが、間もなく治癒し退院する予定だという。

李さんは折に触れて、微信(WeChat)のソーシャル機能「朋友圏(モーメンツ)」で感染を防ぐための生活習慣をシェアし、関連する文章を専門知識を使って分かりやすく解説している。多くの友人が、心の安定を得ようと李さんとチャットでコミュケーションしている。

「すべての人に頑張ってほしい」と話す李さんは、今はもうこの病気自体はそれほど怖くないという。李さんは、時には意志の力で打ち勝つことが必要になることもあるとし、「私が乗り越えられたのだから、他の人だって大丈夫」と語った。(編集AK)

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