<コラム>蘇州城内にある、愛と悲しみの「張香橋」と「胡廂使橋」

工藤 和直    2020年2月4日(火) 23時50分

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唐時代、白居易の漢詩には「紅蘭390橋」とあり、南宋時代「平江図」には蘇州城内359の橋が刻まれている。現在、筆者が足で調査するに172橋があり、現在も同じ位置に存在が確認できるのは85橋である。

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唐時代、白居易の漢詩には「紅蘭390橋」とあり、南宋時代「平江図」には蘇州城内359の橋が刻まれている。そして現在、筆者が足で調査するに172橋があり、現在も同じ位置に存在が確認できるのは85橋である。残念ながら、その多くは明・清・中国時代に改修が進み、当時と同じでないが、昔日の雄姿をわずかに残している橋もある。橋にはそれぞれ意味があるが、その中で“愛と悲しみ”に関係ある蘇州古橋を紹介しよう。

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蘇州城内は、大きくは三横四直の運河で構成されている。第一横河は西の閶門から始まる。人民路にかかる香花橋を東に行けば、臨頓橋で第三直河に合流、更に東進すると蘇州博物館や拙政園を見ながら華陽橋に至る。ここから北街河となり、東北街の婁門バス停南側にあるのが「張香橋」である(写真1)。この橋は唐時代(当時は木製)からある橋で、清康煕帝45年(西暦1706年)に改修、1956年に石段式から平橋に改築された。

唐時代、この橋の近くに“張”という名前の大家があった。そこの娘の名前は“香”という。その家には多くの下僕が居たが、その一人と“香”は相愛になった。何時の時代でも貧富の違いは結婚の阻害になるもの、恋仲のうわさはついに家中に知れるところになり、下僕の男子は家を追い出された。“香”にとって二人の別れは突然の出来事、毎日の心労が祟り、ついにこの橋から身を投げるという悲しい結末になった。その後、近所の者はこの橋を何時の日か「張香橋」と呼ぶようになった。宋時代になると次のような逸話が語られた。「月夜の夜になると、大きなウサギの化身がこの橋の上に現れる。その化身(兎仙)はだれも捕まえることはできない。きっと“張香”が橋の上で、戻って来ない愛しい人を待っているのだろう」と。今は平橋になっているが、かつては階段式でその一番上で遠くを眺めている兎の化身は“張香”に相違ないというのだ。

平江路にある胡廂使橋は宋代「平江図」にもあり、現在の橋は清乾隆帝9年(西暦1744年)に改修、1983年にも一部改装された(写真2)。宋時代の官職(廂使)から名付けられたが、廂使(Xiang Shi)は相思(Xiang Si)に通じ、“男女がお互いに思いやる”と言う意味になるので、七夕の時は橋の上で男女が密会する場所にもなった。今では、この橋の上で結婚式用の花嫁花婿の写真撮り光景が多く見られる。

明時代、隣接する胡廂使巷に富商人が住んで居た。そこに毎朝、葑門外から野菜を運ぶ青年がいた。彼は非常に学問好きで、同じく富商人の聡明で美人の娘と恋仲になった。これが父親の知る事になり、野菜を運ぶのが老女に代わった。娘は「終日思君不見君」と恋焦がれた気持ちを残し、庭の井戸に身を投げ短い一生を終えた。近隣の方は、いつしか廂使(Xiang Shi)橋と言わず、相手を思う“相思”(Xiang Si)橋と言うようになった。

■筆者プロフィール:工藤 和直 1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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