2002年日韓W杯はなぜ「サッカー史上の恥」と言われるのか―中国メディア

Record China    2020年2月1日(土) 19時0分

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29日、山東生活網は、2002年のサッカー日韓ワールドカップが「サッカー史上の恥」と称される理由について紹介する記事を掲載した。写真はソウルの日韓W杯記念館。

2020年1月29日、山東生活網は、2002年のサッカー日韓ワールドカップが「サッカー史上の恥」と称される理由について紹介する記事を掲載した。

記事は、02年W杯についてもともとは日本がホスト国として開催することが基本的に決まっていたものの、当時国際サッカー連盟(FIFA)副会長を務めていた韓国の鄭夢準(チョン・モンジュン)氏が日本の単独開催に異議を唱え、韓国も開催国候補として名乗りを上げたと紹介。両国による激しい誘致争いを経て、FIFAは日本と韓国の両方で大会を開催する決定を下したとした。

そして、「史上初めてアジアで開催される大会、そして2カ国がホストを務める大会として大きな意味を持った02年W杯だったが、多くのサポーターを憤慨させる大会になってしまった」とし、大会の運営にあたり種々の準備不足が露呈したと紹介した。

また、同大会が「史上最低の大会」と揶揄(やゆ)されるもう一つの理由として、「審判がホスト国である韓国をひいきしたことがある」と指摘。グループステージでポルトガルを破って決勝トーナメント進出を果たした韓国について、トーナメント1回戦のイタリア戦で韓国選手がイタリア選手の頭を故意に蹴るもレッドカードが出ず、イタリア選手が韓国選手に倒された別のシーンではイタリア選手がシミュレーションの反則を取られ一発退場させられるという事態を引き起こしたと紹介している。

さらに、準々決勝のスペイン戦でもスペインのゴールが無効と判定されたり、0-0で迎えた延長終了間際にスペインが得たコーナーキックを蹴る前に主審が試合終了の笛を吹いたりといった不可解な判定が相次ぎ、結局PK戦の末にスペインが敗れて韓国がベスト4に進出したと伝えた。(翻訳・編集/川尻

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