<コラム>パチンコ文化圏、日本

石川希理    2020年1月26日(日) 14時50分

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パチンコは日本独特の娯楽、博打である。

パチンコは日本独特の娯楽、博打である。

正月に開いているのは、パチンコ店に映画館だけだった。

60年前である。

コンビニもスーパーもなかった。神戸市では市場が各所にあったが、正月は長いところでは元旦から数日は休みであった。

「あ、テレビもなかった」

と思い出すと、小さい頃は初詣か、あとは近所の子どもと遊んでいた。団塊の世代が小学校の高学年になりだして、白黒テレビが普及し出すと、紅白から始まって、行く年来る年を見ていた。

元旦になると静かなものである。神戸市でも、車というものがまだ普及していない。未舗装の道路ばかりである。

正月はじめの数日間は、何もかもがお休みで「しん」として「ほんわか」と空気が弛んでいた。

パチンコ店は賑やかだった。大きくなって出かけるようになった。

左手にパチンコ玉を掴み、親指でひと玉ずつ、パチンコ台の右に空いた穴へ送り込む。右手は台の右下にあるバネで跳ねるレバーを握っている。微妙にバネの力を加減しつつ、パチンコ玉を弾きあげる。

半世紀前、青年時代のパチンコ台の様子である。店内は軍艦マーチなどが流れ、タバコの煙で「ごわっ、むわり」としていた。

パチンコをしている間は「無念無想」である。ただ、上手く球を弾き、たくさん球が出るように心がける。「浮かせうち」なんていう技術? もあった。弾く力を加減してタマが上手く真ん中など狙ったところに落ちるようにする。

何も考えないというが、その底には「遊びつつ上手くいけば金儲け」という「欲」がある。

だからまあ、精神的には勝っても負けても「意地汚い」心に汚染されている。

このパチンコ、20代以降72歳までは、1、2度しか入ったことがない。電動パチンコとかで、タマを一つずつ入れなくても、弾かなくても、丸いハンドルを回せばよい。あっという間にタマがなくなる。

「浮かせうち」が出来ないと思っていたら、この電動でも色々とコツがあるのだそうな。でもまあ、もう全く興味がなくなった。

欲につられて遊びつつ自分の世界に浸れる面白い遊戯だ。

但し、これで破産する人もいる。基本的に負けるようになっているのだが、たまに勝ったり、あるいはパチンコで生活する「パチプロ」がいると聞くと、「勝てるのだと」自分で思い込むらしい。

日本中の至る所にあるが、韓国・台湾などでは、禁止されたり、或いは形を変えたりして、存在している。メジャーでなくマイナーな遊びだ。欧米では全く根付かなかった。

お隣の中国は「賭博禁止」である。もし解禁されても韓国・台湾のような様子になると予想される。

狭い店内の小さな椅子にひしめき合い、最早音楽ではなく騒音レベルの音に包まれ、ひたすらパチンコ玉の行方を追い、トータルでは結局負けるゲームに夢中になるのは、日本ならではの事のようだ。

ひしめき合って狭い島国に暮らすからこそ、狭い店内に閉じ込められて、肩の触れあうような空間の中で自分だけの世界に浸ることが、解放になるのかも知れない。

パチンコ文化圏は、この日本だけの範囲であろう。不思議なことだが、我が国のユニークさが現れているのかも知れない。

だがパチンコは、どうも身体も心もそして「金」も疲れる遊びである。

■筆者プロフィール:石川希理

1947年神戸市生まれ。団塊世代の高齢者。板宿小学校・飛松中学校・星陵高校・神戸学院大学・仏教大学卒です。同窓生いるかな?小説・童話の創作と、善く死ぬために仏教の勉強と瞑想を10年ほどしています。明石市と西脇市の文芸祭りの選者(それぞれ随筆と児童文学)をさせていただいています。孫の保育園への迎えは次世代への奉仕です。時折友人達などとお酒を飲むのが楽しみです。自宅ではほんの時折禁酒(笑)。中学教員から県や市の教育行政職、大学の準教授・非常勤講師などをしてきました。児童文学のアンソロジー単行本数冊。小説の自家版文庫本など。「童話絵本の読み方とか、子どもへの与え方」「自分史の書き方」「人権問題」「瞑想・仏教」などの講演会をしてきました。

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