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〈一帯一路実践談1〉1972年香港から歩いて中国へ

配信日時:2020年1月25日(土) 16時10分
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2013年9月、習近平国家主席はカザフスタンで「シルクロード経済帯」構想を、10月にはインドネシアで「21世紀海上シルクロード」構想を提唱した。写真は広州交易会開幕式。

2013年9月、習近平国家主席はカザフスタンで「シルクロード経済帯」構想を、10月にはインドネシアで「21世紀海上シルクロード」構想を提唱した。合わせて「一帯一路」である。「一帯一路」は経済の道、政治の道であると同時に文化の道、国際協力の道でもある。「一帯一路」での38年にわたる国際協力実践を紹介したい。

筆者は「シルクロード経済帯」の中核地域である中国新疆ウイグル自治区を1982年以来、150回以上訪問し世界的文化遺産保護研究や人材育成など国際協力実践を通じて、ささやかながら日中間相互理解を促進してきた。

レコードチャイナとの不思議なご縁により、「一帯一路」での国際協力の一端を紹介できる光栄に浴し感謝しきれない。先ずは中国初訪問を記す。これまた不思議なご縁であった。

社長時代の店舗

1966年に起業したジュエリー専門店チェーンが軌道にのりつつあった1972年の春、友好商社「寺尾商会」の社長が飛び込んでこられた。当時、日本と中国は国交回復しておらず、貿易は中国側が認めた「友好商社」を通じて行われていた。寺尾社長から「広州交易会」で宝石を買い付けませんか、との誘いであった。チャレンジ精神旺盛な筆者は「行きます」と即答。といっても国交がないため、専用パスポートを取得する必要があった。肩書は寺尾商会顧問。「警察が近所でどんな人かと聞き込みに回っている」と継母は心配そうだった。

社内風景

1972年9月29日、日中国交正常化。その直後に香港(当時は英国領)の中国系ホテルにある中国出先機関で中国ビザを取得。香港と中国大陸を結ぶ鉄橋の手前で列車から降ろされ、鉄橋を歩いて渡り、中国へ入った。両側には着剣した解放軍兵士が並んでいた。入国手続き後、交易会へ参加する日本人諸氏と列車に乗り込むと『毛沢東語録』日本語版が配布され唱和。広州駅からバスでホテルへ。

部屋に鍵がない。人民服の服務員「中国には盗むような悪い人はいないから鍵はいらない」と。ホテル食堂では商社ごとにテーブルが決まっていて、持ち込まれた日本の調味料などが置かれていた。アイスクリームが超美味で、最初に覚えた中国語は「冰激凌」。

翌日から交易会場を回わり、翡翠などを買い付けた。休日には人民公社見学や抗日戦争映画鑑賞が手配された。昼休みに風呂へ入ろうとコックをひねっても湯が出ない。服務員に苦情を言うと、「昼から風呂へ入るとは何事だ」と叱られたことも。

■筆者プロフィール:小島康誉
1942年名古屋市生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、日中理解実践家。1982年より中国新疆を150回以上訪問し、世界的文化遺産保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。
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