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矛盾した日本人像=礼儀正しく親切で、冷淡で不寛容?―中国メディア

配信日時:2013年9月29日(日) 9時30分
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27日、銭江晩報は中国人が見た矛盾した日本人像について伝えた。資料写真。
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2013年9月27日、銭江晩報は中国人が見た矛盾した日本人像について伝えた。筆者は中国のコラムニスト・陳言(チェン・イエン)氏。

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地位や年齢が低く、知識も不足している新参者にとって、日本の社会は寛容さやおおらかさに欠けている。この社会では、あらゆる人が属するそれぞれの団体の中で序列化されている。それは時に年齢、時に社会的地位によって序列化され、平等さに欠いている。そして、この平等が脅かされる時、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力でもって、人々を抑圧し息苦しくさせる。

■上下関係や親密さによって異なる二つの態度

印象:礼儀正しく優しい日本人

現実:冷酷で不寛容な日本人

東京駅から北に向かって電車で30分程行くと、埼玉県浦和市(現さいたま市)に到着する。30年前、この地で留学を始めた頃、日本語学校で中国人留学生のために日本語を教えていたことがある。その頃、日中関係は非常に良好で、日本に対しても非常にいい印象を持っていた。そして、これが日本留学を決意する後押しとなった。

かつて浦和市の駅前にあったこの日本語学校は現在すでになくなっている。日本語学校での記憶が再び蘇って来る。ここで私は日中両国の違い、そして抱いていた日本の印象と現実の日本がまるで異なることを思い知らされたのだ。

浦和日本語学校には一人の女性教師がいた。教師の名前はもう思い出せないが、職員室で激しい剣幕とどこか見下したような口調で私を叱責したこの女性教師の声が今でも脳裏にこびりついて、長い間忘れることができなかった。

この女性教師は私より少し年上で、長く日本語を教えており、学校では比較的経験豊かな教師であると同時に、若干人に威圧感を与えるベテラン教師でもあった。あの頃、この教師は30代で未婚だった。清潔感があり、有能だったこの教師に初めて会った時、一番上の姉に似ていたこともあって、好感を持った。

中国で多くの日本人と接した時と同様、私の中には上下関係や親密度による関係の違いというものが存在していなかった。この教師は正式な教師であり、私はただの留学生で日本語学校の代理教師だった。しかし、私は自分自身を正式な教師として考えており、ある意味平等な態度で日本人教師とつきあっていた。

日本に留学してから知ったのだが、80年代初めに中国に来ることができた日本人、特に私が中国で出会った人々の大部分は、少なくともテレビの中で見るような日本のエリートだった。中国では通常、このようなエリートとも平等に付き合ってきたので、日本語学校の教師たちと一緒にいる時はなおさら、社会的地位の差など意識していなかった。

普段話す言葉の中に無意識にこういった態度が現れていたのだろう。ある時、この女性教師が私に対して非常に不満を感じていることに気付いた。この教師は、代理教師が職員室にいる時は、正式な教師より下の立場としてふるまわなければならないという考えを持っていた。しかし、私はその頃20代と若く、こういった配慮に欠けていた。徐々にこの教師の私を見る目がとても冷たいことに気付き出し、この教師との間に距離を置かざるを得なかった。

「日本茶はお湯に直接浸したら駄目なの。誰が急須にお茶の葉を入れたの?」。私が急須に直接お茶の葉を入れたのを見たこの教師は、非常に大きな声をあげて詰問し、私が中国から来たばかりで、お茶の入れ方さえ知らない代理教師であることを意識させ、他の二十数人もの教師たちの前で私に屈辱を与えた。私は、お茶を入れたのは自分であり、日本茶を直接お湯に浸してはならないと知らなかったことを認めると、この教師は「こんな常識もないなんて、日本のことどれだけ知っているの?」とさらに屈辱的な言葉を口にした。

意識的に辱められたこの時から間もなくして私は日本語学校を辞めた。後になって私の中で常にある考えが浮かんで離れなくなった。かつて中国で出会った、あるいはテレビで見る日本人は皆礼儀正しく、親切で、配慮があったのに、なぜ日本に来ると、周囲の日本人の態度が突如横暴で理屈が通用しない、冷淡で非情なものに変わったのだろうか?

地位や年齢が低く、知識も不足している新参者にとって、日本の社会は寛容さやおおらかさに欠けている。この社会では、あらゆる人は属するそれぞれの団体の中で序列化されている。それは、時に年齢、時に社会的地位によって序列化され、平等さを欠いている。そして、この平等が脅かされる時、不寛容さは冷淡な方法や凄まじい圧力となって、人々を抑圧し息苦しくさせる。

あの時、私は日本語教師になって間もなくしてすぐ日本留学に来たため、あまり日本語がしゃべれない学生とほぼ同じような感覚だった。日本の上司や同僚は、それぞれがまるで狼や虎、或は牛魔王や蛇神と同じような恐ろしい存在だった。職員室で私が遭遇したのと同様に、留学生たちもアルバイトの身分で正式社員と同じような平等を求めれば日本社会では徹底的に打ちのめされるだろう。この日本社会を理解しなかったことで感じた冷たさは、その後も皮膚感覚として記憶され、長く忘れることができなかった。

■規則をあまりに重視する国

規則を守らない、知らない人は日本社会で見下される

中国ではお茶の葉は直接お湯に浸して飲む。しかし、日本では茶葉を茶こしに入れてから、熱いお湯を注ぐ。あまり熱くないお茶は、お茶を入れて持って来た頃に茶葉の香りが広がる。これが一種の規則になっており、この規則を守らない、あるいは知らない人は日本社会で非常に軽蔑されるのだ。

日本では、規則を守ることを非常に厳格に要求される。日本でこのような体験をしたことがある。元物理教師だったある高校の校長が中国の古典詩歌に夢中になり、学校内に詩歌クラブを設立した。その校長が私をこのクラブに参加するように言ったので、ある時クラブ活動を見に行くと、韻脚(漢詩などの韻文で句末に用いる韻)の規則を収めた「韻脚大全」を手本にしていた。詩歌クラブの部員が詩歌を作る際、この韻脚の規定通りに押韻を行っていた。

しかし、日本語の漢字と中国語の読みは異なるので、詩歌の意味に斬新さを加えようとするのと同時に、唐の時代に作られた押韻で詩歌を作ろうとすると、非常に骨が折れる作業となった。しかも、中国語学者でもない高校の詩歌クラブの部員たちにとって、一つ一つ文字を探して詩歌を作ることは、どれほど難しいことかと実感させられた。私が学校に通っていた頃は文革時代だったので、学校は封建主義や資本主義、修正主義の文章を読ませなかっただけでなく、勉強自体が不要とされ、詩歌を作ることに関しても、毛沢東主席が詩歌をたしなむことを知っているのを除けば、中国に多くの詩人がいたことさえ知らなかった。ある人に、中国にはあんなにも美しい詩や曲があるのに、あなたはどうしてそれについてあまり知らないのか?と聞かれたことがある。文革を持ち出して説明することもできず、ただ自分は知らないのだと言うしかなかった。このことによって、日本人が何事に対しても真面目で、非常に厳格に規則を守るということを深く実感した。また、日本人は普通の趣味に対しても同様に一切おろそかにせず真面目に取り組む。

日本の書店に入ると、古い漢語の文献や書籍が中国の書店よりも多く置かれているのを目にする。しかし、中国の現代文学や歴史書は基本的にほとんど置かれておらず、中国脅威論や中国崩壊論といったジャンルの本になるといきなり多くなる。一冊ずつ読んで行くと、近代中国の規則の制定は、日本に比べてずっと速度が遅いと感じられる。また、規則が制定されても、中国人は自分たちでさえ真面目に守るとは限らない。だから中国の工業製品の多くは日本のものよりずっと劣っており、日本では中国崩壊論を説いた本が売れるのだ。

中国人は常に二つの日本を見ることができる。一つは古典中国文化を敬う極めて礼儀正しい日本であり、もう一つは中国の現況に対していくらか見下している日本だ。これらは日本においては決して矛盾しないが、中国人にとっては全く調和していないように見える。

礼儀正しいが、傲慢で冷たく、規則を厳格に守るが、変化や例外には対応できない。この二つの部分が現在の日本には共存している。我々はたまたまある場面でそのうちの一つを目にし、また違う場面でもう一つの完全に異なる日本を見るのだ。上下関係や親密さの違い、規則に対する見方などが、これらの矛盾を内包する背景を解く重要な要素であるはずだ。(提供/人民網日本語版・翻訳/MZ・編集/TF)

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