拡大
「北京大卒で豚肉を売る秀才」、「億万長者」、「ネット有名人」、「豚肉ブランド創始者」これらは陸歩軒さんの持つさまざまな顔だが、彼に常について回るのはやはり何といっても「北京大学」という大学名だ。
(1 / 2 枚)
「北京大卒で豚肉を売る秀才」、「億万長者」、「ネット有名人」、「豚肉ブランド創始者」これらは陸歩軒さんの持つさまざまな顔だが、彼に常について回るのはやはり何といっても「北京大学」という大学名だ。なぜなら彼は、「北京大学を卒業しながら豚肉を売る仕事に就いた」ことで、一気にその名を世間に知らしめたからだ。このことは陸さんにとって長い間極めて神経に触る話題だったが、今ではそのモヤモヤは完全に吹き飛んだという。そして陸さんは、「今はまさに名実ともに豚肉を売ってビジネスをしていると言えるし、むしろこの仕事を恥じるところか、誇りにさえ感じている」とした。揚子晩報が伝えた。
【その他の写真】
■豚肉ブランドの年商は18億元、「陸歩軒現象」が再び話題に
今年の「ダブル11(11月11日のネット通販イベント)」期間中、かつて大きな話題を集めた「北京大卒で豚肉を売る秀才」こと陸歩軒さんが、再び世間の注目を浴びることになった。「20年たってもまだ豚肉を売る北京大卒の食肉処理業者の年商は18億元(約270億円)」というニュースが、2日連続で「記事検索」のホットワードとなり、16年前に大きな議論を巻き起こしたこの人物が再び人々の「話題の人」となった。
2003年に中国の多数のメディアが、「北京大卒ながら長安で豚肉を売る秀才」と題した記事を次々と掲載し、陸さんをめぐる状況について報じた。この「陸歩軒現象」をきっかけに人々は就職に対する観念や人材の基準、社会的な配分といったさまざまな問題を深く考えるようになった。さらには、「小卒だろうが北京大卒だろうが就くのは同じく豚肉を売る仕事」という問題について多くの人が議論を交わした。
それから16年の月日がたったが、陸さんは今でも豚肉を売っている。だが彼はすでに「小さな肉屋の店主」から、「華麗なる転身」を遂げ、高級豚肉ブランド「壹号土猪」の共同創始者となり、そのブランドチェーン店は、二十数都市に展開し、店舗数も約2000店まで増えた。現在、同社はさまざまな製品ラインナップを揃えており、生産・販売いずれも自社で行い、その年商は18億元に達している。
面白いのは、こうした内容が報じられると、ネットにおける意見に極めて大きな変化が生じ始め、16年前と比べて全く違う反応が見られたことだ。
ネットユーザーは、「学問は最良の投資」と主張し始め、「陸歩軒(ルー・ブーシュエン)さんの経歴から、『学問有用論』を見てとることができる」とする意見も出始めた。つまり、学歴がなく豚肉を売っている人は一生肉屋で終わるが、学歴があり学問に励んだ人は、豚肉を売ることで一財産を築くことができるという訳だ。
「ネットでは、私のことを億万長者としているが、そんなことはない。メディアが報じているのは昨年の年商が18億元だったということだけで、それがいつの間にか私の資産が10億元(約150億円)以上という話になってしまった」と陸さんはこの億万長者報道について断じた。
陸さんは大学卒業後、何年もの間、同窓会には参加せず、同級生と連絡を取り合うこともなかったという。なぜなら彼は「豚肉を売る仕事」は誇れるような職業とは思えず、また引け目に感じていたからだ。2013年に北京大から招かれて講演した際には、「私は母校の顔に泥を塗った。私は反面教師としての教材だ」と述べた。
「あの当時は、ひたすら母校に顔向けができないと感じていた。だが大学教育を受けたことは、一生影響を及ぼす。豚肉を売っていた当時、私は重さをごまかして売ることなど決してしなかったし、品質の悪い肉は決して仕入れなかった。こうして次第に評判が高まり始め、最高で1店舗1日あたり豚十数頭分を売ったこともあった。これは教育が私に誠実さや信用を重んじた経営と人となりの大切さをより理解させたと言えるだろう。学問をすることで運命を必ずしも変えられるとは言わないが、その考え方を変えることはできる。考え方が変われば、その視野は広がり、ハイレベルな思考は他人とは異なるビジョンを抱かせ、それにより競争できる資本を手に入れることにもなる。そしてそれがもしかしたら運命を変える一つの道になるかもしれない」とした。
「もし北京大学で学ばなかったとしても、きっと豚肉もそこそこ売れて、何店舗か支店を出して、衣食住に困らず一生暮らしていけただろう。だが、今は業界をリードするブランドを作ることを目指しており、資本を上手く運用させようとしている。この業界に足を踏み入れた以上、この業界でしっかりやっていきたい。これこそ北京大学の精神だと言える。北京大は、私にオープンな環境を与え、私に様々なジャンルの本を読むよう導き、さまざまな視点による講座を受講することを叶えてくれた。起業を成功させるには、こうした立体的な知識の組立てが必要となる」とした。
■彼の経た道
1985年、当時20歳だった農村出身の陸歩軒さんは、陝西省西安市長安区の全国大学統一入試の文系でトップという極めて優秀な成績を収め、北京大学中国語学部に入学した。4年間の大学生活を終え、故郷の西安に戻り、破産寸前の長安県にあるディーゼル・エンジン部品工に配属された。だが、彼は1日も出勤することなく離職。その後、約10年間、内装や金の採掘、小さな店を開くといった仕事を転々とした。当時、生活は困窮し、借金は増えていくばかりだった。娘の誕生をきっかけに、彼は将来について改めて考えるようになった。
1999年、窮地に陥った陸さんは、豚肉を取り扱う肉屋を始めた。
陸さんが北京大学を卒業したことを知る人などいなかったため、他人には自分は学の無い人間だと言っていた。他の肉屋と彼が唯一異なるのは、彼がかけていた牛乳瓶の底のような厚い眼鏡。そこで陸さんは自分の肉屋に「眼鏡肉店」と名前を付けた。
2003年、陸さんが西安の街頭で肉を販売していることがメディアで取り上げられ、人々は彼のことを「北京大肉屋」と呼ぶようになった。翌2004年、陸さんは西安市長安区地方志弁公室で働き始めた。
2008年5月、陸さんは広東省広州で同じ北京大学出身者で「肉屋」である陳生(チェン・ション)さんと知り合った。
その後数年間、先輩である陳生さんは、繰り返し陸さんに広州で一緒に仕事をしようと誘った。陸さんは熟考を重ねた結果、ついに辞職することを決めた。2016年8月、陸さんは地方志弁公室の仕事を辞めて広州に移り住み、オンラインで豚肉販売業をスタートさせた。
西安の仕事を辞職した陸さんは広東壹号食品股フン有限公司(フンはにんべんに分)に副董事長として入社。同社の主力ブランドである「壹号土猪」は陸さんの先輩である陳生さんが立ち上げたブランドだった。そして同社の経営に早い時期から深くかかわったこともあり、陸さんは後に共同創始者となった。
陸さんは、「会社は現在約1万人の従業員を抱え、主力ブランドは全国20以上の主要都市に展開している。さらに、現在開拓に大いに力を入れているコミュニティー向けの生鮮食品店とチェーン店は計2000店舗以上となっており、その年商は18億元に上る。以前と違うのは、今はまさに名実ともに豚肉を売ってビジネスをしていると言えるし、むしろこの仕事を恥じるところか、誇りにさえ感じている」とした。
■若者へのアドバイスは「職業選択が先で、起業はその後」
陸さんは、「大学教育は職業に就くための一つの準備だと思っている。多くの大学卒業生が、私と同じように、その専攻とは関係のない仕事に就いている」とし、起業が失敗したり、仕事がうまくいっていないといった苦境に陥っている若者に対しては、「自分自身の経験から、まず職業を選択して従事し、その後に起業することをアドバイスしたい。業界や職種には全てそれぞれのルールが存在する。まずはその道をしっかりと学び、経験などを蓄積してから、自分が得意とする分野の事業を選んだほうがいい」とした。
そして、「私は約30年の年月を費やして、ようやく自分は北京大卒なのだということに正面から向き合えるようになった。ここ数年、私は北京大卒業生のグループに参加し、自分にとっての大学の意義を新たに見つめなおすことを始めている。本業に集中することこそ、北京大の精神と言える。世界を変えることができないならば、目の前のことを一つ一つコツコツと着実にこなしていくだけだ」とした。
北京大学の強世功(チアン・シーゴン)教授が先ごろインタビューの中で語った「誰もがみな、北京大に愛着を抱いている。それは、この学校が素晴らしいからではなく、学生たちが卒業後に見せてくれる美しいもの、つまり品や徳、偉大ともいえる思いやり、創造力が私たちにこの大学のすばらしさを感じさせてくれる。そういう意味で北京大学は、卒業後も卒業生一人一人の中で生き続けている」という言葉は非常に興味深いと言えるだろう。(提供/人民網日本語版・編集/KM)
Record China
2019/11/11
Record China
2018/11/23
Record China
2018/9/7
Record China
2017/5/10
Record China
2019/10/30