<コラム>日本と韓国のテレビドラマの違い

木口 政樹    2019年10月10日(木) 20時30分

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女性は日本に限らず韓国の女性もドラマが好きだ。新聞社の行なったある統計調査によると、日本よりも韓国の女性の方がドラマを好んで見ているようだ。写真はソウル。

女性は日本に限らず韓国の女性もドラマが好きだ。新聞社の行なったある統計調査によると、日本よりも韓国の女性の方がドラマを好んで見ているようだ。うちのかみさんもドラマが好きだ。ときおり画面を見ると、朝から不倫ドラマが流れていたりしていて驚く。すったもんだで大騒ぎしている場面がいつも見られる。大声を張り上げ、泣き、わめき、髪を振り乱して相手の女に食って掛かるような情景が繰り広げられる。朝一からこれではちょっとかなわんなと思い、それ以上は見ない。

泣く演技は、だから、こちらのタレントはものすごくうまい。ほとんど自由にいつでも涙の演技ができる。あんなに上手に涙が出せるものなんだろうか。ほとんど神業に近い。「チャングム」「冬のソナタ」を見ている方なら相づちを打ってくれることだろう。

韓国のドラマで面白いのは、視聴者の意見によって内容が変化してしまう点だ。最終回まで作ってからオンエアする日本のドラマ作り(日本はほとんどこのように作ると聞いた)と、根本的に違うのだ。あるワキ役が死んでしまいそうになると、視聴者から「どうか死なせないでくれ。もっと生かしてドラマを面白くしてくれ」などというメールや電話が局のほうにひっきりなしにかかってくるという。あまりにもそうした声が強いので、局としてもドラマの筋を変えて、このワキ役を生かすようにする。熱愛しているカップルがどうしても一緒になれない脚本があったとしても、その悲運は視聴者の声によって大きくかじ取られ、めでたしめでたしの結末になる。

こういうことが常だと聞くと、日本人としては、ほとんど「信じられない!」ということになる。月・火ドラマ、水・木ドラマ、土・日ドラマというように、2日連続でやられるドラマ形態が一般的だ。KBS、MBC、SBSとメジャーとしては3つのテレビ局があるが、3つともそうだ。メインは土・日ドラマ。韓国の中心チャンネルはKBSであるが、このKBS1の土・日ドラマは注目を集めることが多い。9時のニュースが終わる9時40分ごろから始まるゴールデンタイム・ドラマは、衆人の耳目が一気に集中する。

9時40分ごろの「ごろ」というのは、韓国の場合、時間がきちっと決まっていないのである。9時40分が9時35分ごろになることもあるし、9時45分ごろになることもある。そのときのテレビ局の都合によって違ってくる。5分ぐらいのずれは、こちらではごく普通。誰もそれに対してガミガミ言うような人はいない。従って予約録画のセッティングがなかなか難しいことになる。何としても録画しておきたい番組があったら、余裕をもってセットせねばならない。それによってテープが10分や15分ぐらい、無駄になることもあるが、それぐらいはドンマイドンマイでいかないといけない。始めの部分が録画されず途中から始まってしまうよりはいいではないか。

日本のNHKにあたるのが韓国のKBS。その土・日のゴールデンタイムのドラマは、ここ20年ぐらいずっと時代劇である。時代劇は私も面白く見ている。時代劇としては、朝鮮時代のものあり、高麗時代のものあり、さらにもっとさかのぼって三国時代(西暦400年~600年頃)のものありで、マンネリに堕すことがない。時代背景や日本・韓国・中国の関係、民俗的な側面、生活や慣習、服装などなど、当時のいろいろの側面が知られて興味がつきない。どの時代も基本は、王様を中心とした権力争いの話である。

朝鮮時代のものがどうしても多いが、この時代は王を中心に、王を支える官僚として文官・武官のいわゆるヤンバン(両班)がいる。ネーシ(内侍)といって宦官らも非常に重要な存在だ。ヤンバンやネーシにもそれぞれランクがあって、正一品、正二品、従一品、従二品…などとなっている。こうした官僚を従えて、王様は絶対的な権力を誇っている。王の命令は絶対服従である。それは日本と同じだ。徳川家康に逆らえるような人間はいない。

ところがである。韓国の時代劇には、日本では見られない光景が出てくる。それは、王の政策が間違っているとか、理不尽な命令を下した場合、部下のヤンバンたちが、王のいる建物の前の土間の広間に座して、「コドゥオ ジュシ オプソソ(どうぞ、取り消してください)」と言いながら、王に対して反対の意見を唱えることである。それは執拗(しつよう)に続く。土間に座して数十人のヤンバンが「どうぞ、取り消してください」と言いながら夜通しで訴える。「コドゥオ ジュシ オプソソー」「コドゥオ ジュシ オプソソー」。このような場合、王も静かに聞いている。カッと怒りにくるい、部下たちを殺しにかかるようなことはない。

日本で、徳川将軍にこういう形で意見を言ったり、戦争中、天皇に意見したりする光景が日本ではあり得るだろうか。ただ縮み上がっているだけじゃないだろうか。現代においても、社長なり総理なり、そういう権力者の前ではただ卑屈に縮み上がり、自分の考えや意見をしっかりと言えない雰囲気が日本にはないだろうか。

こちら韓国では、上の者に対してもけっこう自由に自分の意見を言う姿が見られる。会社では上司である部長に対しあるいは社長に対し、みずからの考えを堂々と披歴する。上の者も権力風を吹かせないで自然に聞いてやるという情景がよく見られる。見ていても気持ちがよくなるほどごく自然なのである。その源流はどこにあるんだろうか。

ずっと考えていたのだが、時代劇を見ていて突然ひらめいた。ヤンバンたちの「コドゥオ ジュシ オプソソ」こそ、その根っこなんだとひらめいたのである。王の時代からの伝統のなせる業なのである。そしてこのヒラメキは間違っていないというささやかな自信が、私にはあるのである。

■筆者プロフィール:木口 政樹

イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。

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