<コラム>ついに入手!中国の国民的カメラ「海鴎」

岩田宇伯    2019年8月4日(日) 14時0分

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中国の国民的カメラ「海鴎」をついに入手した。

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●絶滅危惧種フィルムカメラ

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最近のスマホカメラの性能はスゴイ。何かといろいろ話題の中国ファーウェイ、そのスマホ最新モデルP30Proにおいては、名門ライカのレンズを3つ搭載、画像処理エンジンも高機能と評判だ。

スマホカメラの性能向上でコンパクトデジカメの需要はすっかり無くなり、デジカメ市場の主力は一眼レフかミラーレスとなって久しい。そしてその前段階、00年代以来デジタルシフトでフィルムカメラは徐々に絶滅の道へ。いまや、マニアかデジカメに飽きた好事家のネタとなってしまった。当分絶滅はしないと思うが、肝心のフィルムがいつまで供給されるかが、運命を握っていると言えよう。

同じアナログ記録メディアの「紙」と違い、フィルムは生モノ、一昔前の気の利いたカメラ専門店では冷蔵ケースでフィルムを並べ販売していた。古いフィルムは温度や空気の影響により化学成分が劣化し、現像しても色抜けしたりと、いくら古くなっても上から字が書ける「紙」と事情が違うため、供給が止まったら絶滅は一気に進むだろう。

●かんたんに海鴎のあゆみ

1949年新中国誕生とともに、上海市政府は5か年計画のもと工業の振興をはかり、その中で1957年カメラ生産組織が発足、翌年「上海照相機廠」が誕生。これをルーツに中国を代表するブランド「海鴎」の前身がスタート、当時世界最高峰の135カメラであったライカ3のコピーを試作する。翌年このライカ3のコピー試作品は量産化され「上海58-1」として市販、その後いくつかのモデルチェンジを経る。当初は「上海」ブランドだったのだ。

1963年にはいわゆる「蛇腹カメラ」の「上海203」モデルが登場、こちらは6x6のブローニー版フィルムを使用する中判カメラだ。

1967年に「上海」は「海鴎」とブランド名変更。筆者の購入した二眼レフ「4」シリーズの生産が始まる。この二眼レフは大ヒットとなり、2010年代まで新品が販売されるロングセラーとなった。改革開放後は日本のミノルタと業務提携し、ミノルタSRT系やX系そっくりの一眼レフ「DF」シリーズがベストセラーとなる。

今世紀になってからはコダック倒産が象徴するように、写真業界全体のデジタルシフトに着いていけず業績が悪化、何度か倒産の危機に陥る。2011年に事業再編を行ったものの何をトチ狂ったのか「4」シリーズをオマージュした「二眼レフデジカメ」やムダに高価なレトロデザインコンパクトデジカメを発売したりと迷走を重ねる。この変わり種デジカメ、オリジナルフィルムカメラ「安原一式」の安原製作所が日本の代理店となったようだが、販売されたという噂を聞いていない。現在は光学や画像処理といった技術を生かした3Dスキャナーや航空測量など業務用途にシフトしているが、経営は苦しそうだ。(画像1 高級コンパクト海鴎CK101)(画像2 二眼デジカメ海鴎CM9)

●ついに「海鴎」ゲット

かつて写真趣味のあった筆者は、フィルムカメラ時代末期、50台ほどクラシックカメラを収集していたことがある、よくも無駄遣いしたものだ。

90年代後半から00年代にかけて、国産クラシックカメラの他、ロシア、東ドイツといった旧共産圏のカメラがマニアの間でけっこう流行った。とくに旧共産圏のカメラは、ナチスドイツが第二次大戦で敗北後、そのまま工場がソ連や東ドイツに接収され、当時最高水準の技術が東側に流出。それ以来、数多くのコピーカメラが技術アップデートなしで作られ続け、西側マニアもひそかに注目していた。ベルリンの壁およびソ連崩壊後、一気に西側諸国にこれらのレトロカメラが放出され、世界有数のカメラ帝国日本でもブームとなる。

マニア向けのライカコピーカメラ以外にも、前後して安普請のコンパクトカメラが主役の「トイカメラ」ムーブメントが起こり、オシャレな若者たちの間で「ロモ」などが世界的な流行となった。

このトイカメラブーム前後、「ホルガ」といった中国生産のトイカメラに混じり、海鴎の二眼レフも日本に大量に流れ込んできた。前期型はヘッドマークが「海鴎」であるが後期は「SEAGULL」となっている。筆者はとうぜん「海鴎」マークのものを中心にヤフオクを漁る。いずれも古いものなので状態のいいものはあまりなさそうだ。レストア済み完動品は3万前後する。ひと月ほど様子を伺い、売れ残り回転寿司状態になっている送料込みの前期型ジャンク品を¥3800で即決、ネタで買うにはぎりぎりの値段であるが、晴れて「海鴎」オーナーとなる、ジャンク品だけど(笑)。同時に、これはいままで手を出すのを躊躇していた初の中国カメラなので対面が待ち遠しい。

2日ほど置いて出品者が発送したカメラが到着、さっそく開封の儀となる。一応革ケース付き、革ケースの状態は良さそうだが、なにせ、ジャンク品なので心配なのは肝心の本体だ。金属部分は年式なりの汚れ、凹み、革の剥がれは見受けられるが、これらは実用にはあまり影響ない、汚れは掃除したりすればすぐ直る。レンズもカビだらけというわけでもなさそう、各メカを全て点検、シャッタースピードが一部怪しい箇所があるが、とりあえず使用はできそうな状態である。(画像3 海鴎4B)

●クラシックカメラ専門店イエネコカメラにていろいろ聞いてみた

さっそく、知人の名古屋市中区新栄にクラシックカメラ専門店を構える山中氏を訪ね、このカメラを弄ってもらいながら、いろいろ教えを乞うた。この山中氏の経営する「イエネコカメラ」、名古屋の大手カメラ店が中古フィルムカメラから撤退する中、数多くのユーザーやコレクターに支えられている。また、かつての「トイカメラ」ムーブメントのごとく、デジカメに飽きフィルムカメラに興味のある若者にも注目されている店だ。(画像4 イエネコカメラ)

いろいろ「海鴎」をはじめとする中国カメラに関し、インタビューしたところ、やはり「一昔前にくらべ流通量は激減、コレクターの手元から離れず、なかなかこちらの店にも入荷はない」とのこと。

状態をチェックしながらメカを観てもらったところ、「構造が単純なのでかえって壊れる個所は限定される」ということなので、変な安心感はある、クラシックカメラ「あるある」だ。ただし、今までこの店で扱ってきたロシアカメラやごく少数の中国カメラを総括すると、「部品精度なのか組み立て精度の問題なのか、切り分けはは難しいが、国産の古いカメラでは考えられないほどガバガバな精度」ということ。とりあえずメカが動くというレベルで考えた方がよさそうだ。(画像5 チェックするイエネコカメラ店主)

また、この手のカメラのオーナーとなるには「ある程度の覚悟と割り切りが必要」である。故障はつきものだが、カメラ店では修理不能の場合が多く、自力でドナーを見つけニコイチするなど、オーナーにもある程度技術が要求される。クルマでいうと古いVWビートルやミニのオーナーと同じような話となる。とりあえずは、フィルムを買って新栄の中国人街を撮影してみようかと思う。

中国カメラはかつて大ブームとなったロシアカメラと違い、取り組んでいるマニアも少なく、まだまだ謎が多いため、これから極めようとするにはブルーオーシャンだ。フィルムカメラに興味はあるものの、人とは違う、ちょっと変わったどころではない変態カメラを探しているという方には絶好のネタとなること請け合い。おひとついかがだろうか?

そして海鴎の変わり種デジカメは日本のユーザーレビューがまったく見当たらないため、さらにマニアックだ、挑戦者を募る。

■筆者プロフィール:岩田宇伯

1963年生まれ。景徳鎮と姉妹都市の愛知県瀬戸市在住。前職は社内SE、IT企画、IT基盤の整備を長年にわたり担当。中国出張中に出会った抗日ドラマの魅力にハマり、我流の中国語学習の教材として抗日作品をはじめとする中国ドラマを鑑賞。趣味としてブログを数年書き溜めた結果、出版社の目に留まり『中国抗日ドラマ読本』を上梓。なぜか日本よりも中国で話題となり本人も困惑。ブログ、ツイッターで中国ドラマやその周辺に関する情報を発信中。

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