中小企業はいかにして「メード・イン・ジャパン」の革新の根幹を支えているか―中国メディア

人民網日本語版    2019年7月30日(火) 9時20分

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日本には100年以上になる企業が2万社以上あり、その大半が中小企業で、「メードインジャパン」の革新の根幹を支える存在だ。資料写真。

東京の繁華街である銀座ビジネスエリアには、「アジアで最も地価が高い場所」と呼ばれるブロックにフォーチュン・グローバル500に並ぶ日本企業が集まるだけでなく、百年の歴史をもつ老舗も数百店舗ある。日本には100年以上になる企業が2万社以上あり、その大半が中小企業で、「メードインジャパン」の革新の根幹を支える存在だ。統計によると、日本の技術革新の55%は中小企業が達成したものだという。南方網が伝えた。

300万社を超える日本の中小企業はいかにして製造業の革新のエネルギーの源となったのだろうか。その長寿の秘訣は何だろうか。

■100年の歴史ある中小企業それぞれに「得意技」

日本の長寿企業研究の第一人者である日本経済大学の後藤俊夫特任教授は、「日本には100年の老舗が2万5321社あり、その多くが家族経営企業だ。日本には100年以上の歴史をもつ企業が2万社以上あるだけでなく、1000年以上の歴史をもつ企業も21社あり、この数字は世界の他の国を大きく上回っている」と述べた。東京大学社会科学研究所の丸川知雄教授は別のデータを示し、「日本の企業125万社の平均年齢は40.5年で、ライフサイクルは世界の他国より遙かに長い」と指摘した。

後藤氏は、「こうした企業の多くが中小企業であると同時に、少なくとも1つの『得意技』をもっている。それが豆腐1丁だとしても、100年の時を経てきた企業にはみな生き残る上でのよりどころとなる「十八番」がある。

阪南大学の洪詩鴻教授(広東外語外貿大学広東国際戦略研究院客員教授)は、「『専念する』ことが日本中小企業の最も目立った特徴だ」との見方を示した。

日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の丁可副主任研究員は、「専念することにより、製造業の中小企業は日本の中小企業群の中で最も生命力にあふれた、最も競争力に富んだ集団になった。日本には358万社の中小企業があり、企業総数の99.7%を占める。過去20年間、日本経済の発展ペースは相対的に遅かったが、日本の小規模・零細企業の数は経済モデル転換期にも流れに逆らって増加を続けた。社員が1-9人の企業の場合、1969年から83年にかけて、こうした企業が企業総数に占める割合は73.4%から76.3%に増加した」と述べた。

丁氏は続けて、「産業の分業体制がますます細分化し、専門化レベルがますます向上したため、専門型の小規模・零細企業がますます多く誕生した。製造業の発展にともない、加工組立型の中小企業、すなわち専門的に特定の設備、特定の部品を製造し、特定の作業プロセスを備えた中小企業の数が増加し、『隠れたチャンピオン』が続々生まれている」と述べた。

丁氏は、「産業が盛んな省である広東省にも似たような状況がみられる。たくさんの『小規模だが強みをもった』中小企業がより多く育成され、産業の質の高い発展を推進する重要なルートとなっている」と述べた。

■大企業とともに利益共同体を構成

日本の中小企業はつまるところどれほど専念しているのか。東京都大田区にある信栄技研工業は社員10人ほどの町工場で、数十年にわたりひたすら板金に専念してきた。鉄、ステンレス、合金、カーボンなど各種材料に板金加工を施し、直径0.5ミリメートルのシャープペンシルの芯に直径0.3ミリメートルの穴を120個開けることもできる。その板金技術が精密さを増すのにともない、日本の大企業の液晶パネルや電子顕微鏡にとって同社との提携が不可欠になっていった。

丁氏は、「多くの企業は世間がまったく注目しない分野からスタートし、数十年にわたって日々研鑽を積み重ね、どこまでも精密さを求めて、ついにブレークスルーを起こすことが高く評価される。1つの分野に専念して競争力を構築したのは、日本の多くの優れた日本企業がみな、価格、生産規模、製品の種類では大企業と競争しても勝てないことをよく知っていたからだ。そこで生産技術のウェイトが低く、価格戦争に巻き込まれる可能性のある製品は避けた。一方、こうした企業は他企業が勝てないほどの専門的な技能を身につけるために努力を重ねた」と述べた。丸川氏は、「ここ数年、日本企業の国際特許出願件数はずっと世界2位であり、1位の米国にますます近づいている。出願の中心になっているのは中小企業だ」と述べた。

実際、日本の中小企業の位置づけは、日本の産業構造のモデル転換と関係がある。1980年代初頭、海外に工場を建設する各業界のリーディングカンパニーが増えるのにともない、日本の中小企業の受注量は減少を続けた。活路を求めて、日本国内の中小企業は「独自の道を切り開く」しかなかった。1968年創業の浜野製作所などは、大企業からの受注がなくなりモデル転換を迫られる中で、試作板金(製品の形状が確定していない時点で作成する原型となるサンプルの型や機械)に取り組み、引き渡しまでの期間を極限まで短縮して、顧客をそれまでの4社から1500社へと拡大する奇跡を成し遂げた。

日本での調査研究でわかったことは、中小企業が技術や製品に専念できたもう1つの重要な原因は、直面した市場環境と関係がある。富士インパルス株式会社の山田哲郎社長は、「研究開発と製品をしっかりやることだけ考えて、どうやったら売れるかということをあまり考えてこなかった」と述べた。中国企業からみると不思議に思えるこうしたやり方が、100年の歴史をもつ同社の経営の要諦だという。

洪氏は、「これは『下請け制度』と関係がある。『下請け制度』とは、大企業が市場と受注を掌握し、業務の一部を中小企業にアウトソーシングすることを指す。製品のスタイルや規格を指示するだけでなく、技術指導も行い、完成品は中核を担う企業によって国内外の市場に送り出される。こうした供給関係の下、企業間の取引関係は極めて安定し、川上から川下に至る企業間の協力は数十年の長きに及ぶことも、企業のトップ何世代に及ぶこともある。利益共同体の中で、大企業は人材を派遣して小企業の製造環境や品質管理システムの改善を支援し、新製品の共同開発を推進してきた」と説明した。丸川氏は、「こうしたモデルは中小企業が細分化された技術の研究開発に専念することを可能にし、ひいては技術変革の推進の中心になることを可能にした」と指摘した。

このような利益共同体は企業の海外進出時にも役割を発揮した。丸川氏は、「たとえば中国市場では、日系自動車メーカーと欧米の自動車メーカーでは部品の調達方法が異なる。欧米メーカーは現地で適切な部品企業を探すが、日本メーカーは現地で自社の供給システムを構築する」と指摘。洪氏も、「大企業の海外進出では、サプライヤーやサービスを提供する会社などの小企業を帯同することが多く、日本の中小企業に世界の産業チェーンに参入するチャンスを与えていた」と指摘した。

■中小企業には専門の「診断士」がいる

今年86歳になる日本の研究・イノベーション学会関西支部の大槻眞一支部長が退職後に従事した重要な仕事は、中小企業のためにより多くの政策的支援を獲得することであり、今年も中小企業の改善に向けた政策提言を数多く行っている。「日本の中小企業は政府から多くの支援を得ており、これもライフサイクルが長くなる重要な原因の1つだ」という。

「中小企業診断士」は日本政府が中小企業に支援を提供する1つのやり方だ。大槻氏は、「日本は整った中小企業向けサービスシステムを構築している。中小企業の資金調達難や資金調達コストの高さといった問題を解決するために、政府は中小企業向けサービスに特化した金融機関を設立し、低金利で長期の貸出を提供している。貸出期間は最長で20年になる」と述べた。

日本の全国信用保証協会連合会では、中小企業向けの各種政策金融商品のポスターを目にした。中には中小企業の継承者問題を解決するための特定金融サービスもある。大槻氏は、「中小企業の生存環境を改善するために、政策金融機関を設立して『輸血』して信頼を増進するほか、中小企業自身の『造血能力』も高める必要がある。多くの中小企業を抱える広東省は中小企業の指導システムを構築し充実させて、中小企業が自身の能力を自身で高めるよう手助けするべきだ」とアドバイスする。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

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