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中国の「カッコイイ」毛筆に感じたこととは?作家・平野啓一郎氏

配信日時:2019年7月24日(水) 14時50分
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中国と日本の文学交流には、長い歴史があり、私自身も、この十年ほどは、主に東アジア文学フォーラムという中韓日三カ国の作家が参加するシンポジウムを通じて、様々な作家たちと親睦を深めてきた。

中国と日本の文学交流には、長い歴史があり、私自身も、この十年ほどは、主に東アジア文学フォーラムという中韓日三カ国の作家が参加するシンポジウムを通じて、様々な作家たちと親睦を深めてきた。(文/作家・平野啓一郎)

中国の現代作家の小説は、日本でも多く翻訳されており、莫言、鉄凝、残雪、余華、蘇童、閻連科…などは、私も一読者として愛読してきた。つい最近では、世界的なベストセラーとなったSF小説『三体』(劉慈欣)の日本語訳が刊行され、やはり大きな話題となっているところである。

中国の作家たちと共に過ごす時間は、いつでも非常に楽しいのだが、少々、戸惑うこともある。総じて、中国の作家たちが非常に達筆であるためである。

シンポジウムでは、よく会場に設置されたパネルや準備されたボードなどに、参加作家が寄せ書きをするのだが、出来上がったものを見ると、中国の作家のサインと日本の作家のサインとで、その歴然たる差に些か気が滅入ってしまう。前回、ソウルで開かれた東アジア文学フォーラムでも、私たち日本の作家は、中国の作家たちの字の立派なことに感嘆し、自分たちの字のお粗末なことに、顔を見合わせて苦笑したものである。

日本の作家も、揮毫を求められることはあるが、その価値は、その人が書いた、という事実にこそあり、書として優れて評価されている人は、特に若い作家の場合はほとんどいないと言っていいだろう。

日本の教育では、書道を学ぶ時間があり、私も中学時代には、王羲之や顔真卿の臨書をやったものだが、残念ながら、大して身にはつかなかった。ただ、大学時代に少し草書や行書を習っていたので、結局のところ、字は巧くないのだが、簡体字を理解するのに役立っている。

そう言えば、私が子供の頃には、左利きの子供は、右利きに矯正されるという悪習があり、箸も鉛筆も、右手で使う訓練をされられていた。

私は右利きだったが、左利きの友人は少数ながらクラスにいて、右手で字を書くのに慣れるまで、随分と苦労していた。

それでも、箸はともかく、字は右手で書く訓練をした方が合理的だろうと、私も納得していたところがある。「一」という字一つ採ってみても、左手で、押すようにして線を引くのは、難しいのではないかという感じがしていたからである。特に毛筆では。

ところが、以前、莫言氏が、揮毫しているところを間近で見ていて、私は目を丸くした。彼は、右手で非常に素晴らしい字を書いたあとで、今度は左手でも見事な、実に味わい深い書を披露したからである!

私は驚いて、莫言氏に、日本では――私が子供の頃には――左利きの人は右手で書くように矯正されていたが、中国ではそういうことはなかったのですかと訊ねると、それはない、という返事だった。私は、少し呆気に取られてしまった。日本のあの書道教育は、一体、何だったのだろうか?

昨今では、平均的に、日本人の字はかつてよりもヘタになっているように思う。

勿論、達筆の人もいるので、これはかなり乱暴な言い方がだ、「かつてより」と言えると思うのは、実際に字を書く機会自体が、パソコンやスマホのせいで激減しているからである。私自身、原稿はパソコンで書いているが、長い小説のゲラは、PDFではなく、紙で見直し、赤いボールペンで訂正箇所に書き込みをしている。そして、その度に、私自身、かつてより字がヘタになっている、という情けない自覚を抱くのだった。

日本で今日、手書きが必要になるのは、事務手続きに必要な書類の穴埋めする時か、さもなくば、大切な人に手紙を書く時くらいである。前者は、ぞんざいな、読めれば良い程度の字であり、後者はやはり特別に丁寧に書こうとする。その中間の、日常的な手書きの字を書く場所はかなり失われている。

中国といっても、私が知っているのは、主に北京や上海といった極一部の大都市だが、これほどのIT大国になっても、ここではまだ、日常の中に手書きの文字が生きている、という感じがする。それは、作家たちだけでなく、サイン会に並んでくれる読者が、為書き用に、自分の名前を紙に書き記した字を見ても思うことである。

それとも、単なる外国人の誤解だろうか? 中国国内でも、ITが手書きの文字に及ぼした影響は、夙に語られているのではないかと思うが。

現代中国と毛筆の書との関係で、もう一点、興味深いのは、看板の文字である。

日本も中国も、デザインに関しては、欧米の大きな影響下にあることは言うまでもない。そして、例えば日本のレストランが、「和モダン」などと称されるテイストの内装で、現代性と日本的な伝統(と認識される表象)の融合を図っているように、北京や上海の最新のレストランでも、「中華モダン」とでも言うべき絶妙なデザインが目につく。

しかし、日本の場合、街中の看板の文字は、すべてゴチック体や明朝体を中心とした印字体で、中国で、高層ビルに毛筆体で社名が書かれている、というのは、日本とかなり異なる風景である。

本の装幀に関してもそうで、私は『日蝕』や『一月物語』、『私とは何か――分人理論』といった自著の中国語版のタイトルが、いずれも「カッコいい」毛筆で書かれていることに感動した。

日本のグラフィック・デザインのタイポグラフィに於いて、毛筆の書体の存在感は非常に弱い。焼酎のラベルや和食レストランの店名、大河ドラマの題字など、ロゴに関しては、今でも毛筆がしばしば見受けられるが、それらは正統な書体というより、かなりコマーシャルなデザインになっている。

東京国立博物館の顔真卿展は、日本でも大きな話題となったが、他方で私は、現代中国の日常的な街並みの中の毛筆体の生かし方、人々の何気ない手書きの文字にも関心が尽きない。

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