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中国における白湯がどんだけスゴイものなのかようやくわかった」と、卒業式で流ちょうな中国語を披露したイタリア人留学生はこのように中国における不思議な「白湯」に感嘆した思いを語った。
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「熱を出したら、白湯を飲む。胃が痛くなったら、白湯を飲む。ストレスを感じても、白湯を飲む。中国における白湯がどんだけスゴイものなのかようやくわかった」と、卒業式で流ちょうな中国語を披露したイタリア人留学生はこのように中国における不思議な「白湯」に感嘆した思いを語った。中国日報が伝えた。
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「熱いお湯をたくさん飲むと、身体によい」というこの話題は、中国で広く知られているだけではなく、現在は海外にまで広がっている。
米国の質問サイトの「Quora」では、中国人が白湯を飲むことに関するトピックが少なくない。このうち、「あなたが中国人が行う最も『中国的』だと思う行為は?」という質問に対する回答の中で、400票以上の「いいね」を得たのが、「白湯を飲むこと」だった。
多くの外国人にとって、お茶でもなくコーヒーでもなく、単に水を沸かしただけの白湯を飲む行為は全くもって理解しがたいことのようだ。
〇「白湯を飲む」ことは中国文化のひとつに?
米ロサンゼルス・タイムズ紙には、「嘘のようなホントの話 中国で飲み物と言えば白湯だけ」と題する文章が掲載されたこともある。著者は自分自身の経験にもとづき、白湯を飲むことは中国ではどれほど重要なことなのかを詳しく紹介している。
多くの欧米人にとっては、「ただの白湯を飲む」というのは非常に奇妙な行為である一方で、多くの中国人にとってもゴクゴクと冷たい氷水を飲むアメリカ人の習慣は非常に奇妙に感じられるばかりか、極めて不健康な行為だと感じている。
「白湯を飲む」ことは、実はすでに中国人一人一人にしっかり根付いている中国文化の一種であると言ってもいいかもしれない。
〇中国人が白湯を飲むようになった起源とは?
「孟子」には、「冬には湯を飲み、夏には水を飲む」と記載されている。ここでの「湯」とは白湯を指している。ここからも古代の人が白湯を飲むことには健康を維持するとても優れた機能があるとみていたことが分かる。
しかしこうした白湯を飲むという習慣は決して幅広く普及したわけではなかった。なぜなら湯を沸かすには、大量の薪が必要だが、ほそぼそと農業を営み経済を成り立たせていた古代においては、薪もまた貴重品だったからだ。一般の人々は食事を作る時だけ、大切に使っていたとみられ、湯を沸かすというような贅沢なことはほとんどできなかったのではないだろうか。
「宋人攆茶図」
しかし時代が進み近代になると、西洋から細菌学が中国に伝えられ、科学的な知識として水を煮沸すると殺菌効果があるとしており、ここから人々に白湯を飲むことを推奨した。1936年、当時の民国政府は、「新生活運動」を展開し、全国民に対し白湯を飲むことを全面的に普及させはじめた。しかし実際には、その頃の社会は不安定な状態にあり、この奨励政策も効果的に普及されなかった。
国民に白湯を飲むことを奨励した「新生活運動」
新中国成立後、政府は全面的に、「白湯を飲む」の宣伝・普及活動を強化した。1951年、全国規模の「愛国衛生運動」が勢いよく展開された。
1954年に作成された「白湯を飲もう」宣伝ポスター
「生水は飲まずに白湯を飲もう」とPRする愛国衛生運動ポスター
国民に対する呼びかけのほか、政府は一連の措置も講じた。工場や学校の給湯室は、この時代に誕生した。さらには、非常に長い期間にわたり、新婚カップルが新居に準備すべきものの一つとして、新品の魔法瓶がマストアイテムだった。
米ロサンゼルス・タイムズ紙の記者は、愛国衛生運動の経験者を取材し、「どの職場にも給湯室があっただけでなく、各世帯にお湯を配る人すらいた。彼らは白湯を飲むのが衛生的で健康的であると信じていて、毎朝とても早い時間にドアの外に置かれた魔法瓶を白湯で満たしてくれていた」と報じた。
1997年、全国の魔法瓶の生産量は2億6600万個に達した!つまり、1990年代になって白湯を飲む習慣は中国各地の隅々にまで普及したことになる。
21世紀に入ると、魔法瓶はじょじょに人々の視界から消えていった。それに代わり、偉大なアイテムが登場した。それは、片手で持てるステンレスボトルだ。ステンレスボトルが登場すると、人々はいつでもどこでもそれを持ち歩き、より便利に白湯を飲むことができるようになった。(編集KM)