今年最も称賛を集めている卒業式スピーチ「弱者と同じ目線で世界を経験しよう」

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中国農業大学の人文・発展学院2019年度卒業式が23日に開かれた。

中国農業大学の人文・発展学院2019年度卒業式が23日に開かれた。葉敬忠院長が卒業生を送った言葉は、ロマンあふれる心情と素朴な思想に満ちており、卒業生が純真さと真実さを失うことなく、いつでも自分の本心に立ち返り、常に自分の良心が発する声に耳を傾け続けて欲しいという願いが込められていた。人民日報の微信公式アカウントが伝えた。

スピーチ全てが大変素晴らしく、細かいところまで鑑賞する値のある内容だったと言える。以下はスピーチの内容。

卒業生各位:

皆さん、こんにちは。

ご卒業おめでとうございます!

今この時、私はみなさんの学部時代や大学院時代の学習や生活ぶりについて総括をしたいとは思っておりません。というのも、最上の総括は、皆さん自身ですべきものだと考えているからです。

大学が学生に提供するのは、知識だけにとどまりません。より重要なのはその思想でしょう。知識と思想を比べてみると、知識は物質的なものである一方、思想は観念的なものです。知識は経験的なものですが、思想は哲学的です。知識は実用的ですが、思想は自由です。大学での学習は、知識を獲得することで運命を変えるだけではなく、思想を獲得することで自由を追求するためのものです。人文・発展学院で皆さんに伝えたかった思想のうち、重要な注意すべき視点のひとつに、「普通の人々」の視点があります。

この大いに発展する時代において、人々はつい高層ビルや高速鉄道・高速道路などに眼を奪われがちで、恐らくこうした大いなる発展の背後に存在する数億の普通の人々を目にすることはないでしょう。皆さんの卒業にあたり、私はいま一度、今後の仕事や生活の中で、社会のなかの普通の人々、特に普通の人々の中でも弱者に注目する必要性を皆さんに訴えたいと思います。

しかし、我々の社会において、誰もが強者になりたいと考えており、弱者になりたいと思う人など皆無です。というのも、強者は勝利のシンボルであり、弱者は失敗のシンボルであると考えられているからです。したがって、「弱者と同じ目線で世界を感じる」と言うことはたやすいが、本当に実践しようとすると、そう簡単にはいきません。特に、権力・資源・身分上の優位性を備えた強者に対して、弱者のメンタルを持ち続けることは、より難しいと思われます。

中国経済は、長年の間、急成長を維持し、物質・財産の蓄積は誰の目にも明らかで、ほぼ全ての中国人家庭がその恩恵にあずかっていると言えるでしょう。私たちの社会は、物質的に極めて豊かな時代となっていますが、同時に、中国社会にはまた「戻気(居丈高で荒んでいる心持ち)」も、急速に蔓延し始めています。これは、人を驚かせる目的で申し上げているのではなく、その深刻さは我々の想像をはるかに上回るまでになってしまっています。例えば、レストラン・バス・地下鉄・高速鉄道さらには航空機でも、座席の奪い合いで口喧嘩や殴り合いが始まり、医療機関へのクレーマー事件や学校におけるいじめ、家庭内暴力、列への割り込み、迷惑運転、さらには一目見ただけでいきなり他人を殴るといったような現象は、もはや珍しいことではなくなりました。また、サイバー空間では、こうした「戻気」はさらに充満しており、いわゆるハイソな人々が微信のグループトークでは互いに馬事雑言を浴びせ合っている状況すらしばしばみられるのです。

それでは、我々の物質的生活がますます良くなっているにもかかわらず、社会の雰囲気がますますこうした「戻気」に満ちたものになっているのでしょうか?当然のことながら、原因は一つではありません。けれども、私は、その原因の一つは、多くの人が常に強者のメンタルで社会や他人に向き合っていることにあると感じています。

このような強者のメンタルは、社会関係において、往々にして、他人のことなど眼中になく、自分を優先させ、他人の意見を受け入れず、他人が自分を越えることを受け入れられないといった態度に反映されます。このような強者のメンタルの中でも特に始末に負えないのは、強者による弱者いじめです。例えば、レストランの客が店員に対してののしり暴力をふるったり、マンションの住人が警備係を、男性が女性を、大人が子供や高齢者を、権力者が一般人を、そして金持ちが貧乏人をののしり殴るといった行為です。

このような強者のメンタル表現は、人と自然との関係においては、自然を征服し、自然を改造し、自然を搾取するというような形で現れ、自然を惧れ、自然を尊重するという態度では決してありません。このような強者のメンタル表現は、理性と感性との関係では、しばしば損得重視、効率至上主義、感性蔑視といった態度に現れ、体験や行動の意味に注目することはありません。このような強者のメンタル表現は、自然科学と人文社会科学との関係においては、つねに科学による排他主義、つまり科学の客観性・効用性を妄信する一方で、人文社会科学の批判性や情感を蔑視する態度に現れます。このような強者メンタル表現は、都市と農村との関係では、農村は都市至上主義を目標に据え、特に都市化建設と都市生活者の生活のためには農村と農村の利益を犠牲にしても厭わない、という流れとなります。

大学を巣立った後、どんな仕事に就くにせよ、これらのサービス提供者や清掃作業員、警備員の人々について理解しようと努め、権利やお金を持たない人々を理解しようと努め、高齢者や弱者、病人、身障者の人々を理解しようと努めて下さい。皆さんが、本当に彼らより崇高だと思うことのないように、皆さんが彼らにとっての救世主だと思い込まないように、気を付けてください。

貧乏や苦しみに満ちた生活を体験したことのない人は、それが一体どんなものかを永遠に理解することはできないということは知っておいてもらいたいと考えています。これまで一度も借金することが難しいという経験をしたことのない人は、他人に借金を申し入れる時の気持ちを永遠に理解することはできません。身体の不自由な子供を育てたことのない親は、身体の不自由な子供を育てる上で経験するさまざまな苦労や思いを本当の意味で感じることは永遠にできないでしょう。

人文・発展学院は、華々しい学科でもありませんが、我々には、ロマンあふれる感情と素朴な思想があります。同院の卒業生が、純真さと真実さを保ち、日々の仕事や生活において社会について考え、意義を追求し、常に自分の心の奥深くを見つめ、心が発する良き声に耳を傾けるよう、我々は切に願っています。

卒業生の皆さん、言葉には限りがありますが、気持ちは尽きることがありません。あなた方が、いつまでも、健康で、平穏で、楽しい人生を送るよう願っています。(編集KM)

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