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尺八奏者の黒田鈴尊さんが6月上旬に中国を訪問し、北京、蘇州、青島で講義や公演を行った。
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尺八奏者の黒田鈴尊さんが6月上旬に中国を訪問し、北京、蘇州、青島で講義や公演を行った。黒田さんは日本の文化庁から2019年度文化交流使に指名されており、今回の中国訪問も文化交流使の活動の一環として行われた。各地で行われた講義と公演では、尺八の独奏のほかにも、簫や古筝など中国の伝統楽器や電子音楽とのコラボレーションも実現した。人民網は6月12日、中国公演を終えたばかりの黒田さんにインタビューを行った。黒田さんは、尺八との出会い、西洋楽器と伝統楽器の違い、伝統楽器の継承者問題、電子音楽や中国の伝統楽器とのコラボレーション、中国での尺八教授活動などについて語った。またインタービューの前に、尺八の伝統曲「奥州薩慈(おうしゅうさし)」(抜粋)の演奏を披露した。人民網が伝えた。
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人生をやり直す思いで始めた尺八
尺八は一本の竹から作り出されるシンプルな管楽器。しかしその音は実に多彩だ。時に物悲しく、時に力強く、時にかすれ、時に振るえ、時に長く伸び、時に長く沈黙して、聴く者の心を震わせる。袴姿の凛としたたたずまいで尺八を演奏する黒田鈴尊さんは、幼い頃から尺八の道をまい進してきたように見える。しかし、黒田さんと尺八との出会いは意外にも遅く、大学時代だったという。
「20歳の夏休みにCDで武満徹作曲の『ノヴェンバー・ステップス』という曲を聴いて、今まで味わったことがない、ものすごい感動を味わった」と黒田さんは当時の衝撃を振り返る。その時初めて聴いた尺八が黒田さんの人生を変えた。幼少期からピアノを習っていたが、「その曲を演奏したい一心で、人生をやり直す感じで」尺八に転向。人間国宝・二代青木鈴慕、三代青木鈴慕各氏に師事し、プロになることを目指して尺八の道を歩み始めた。その後東京芸術大学音楽科に進み、同大学修士課程を修了。尺八奏者として多彩な活動を続けており、2018年にはロンドンで開かれた国際尺八コンクールで優勝した。
「ノヴェンバー・ステップス」を演奏するという夢は、2016 年にベルギーでかなうことになった。2016年の国際現代音楽祭「アルスムジカ」にコンチェルトのソリストとして招請され、「ノヴェンバー・ステップス」を演奏したのだ。尺八奏者として「やり直した人生」は大きく花開いた。
西洋楽器であるピアノから日本の伝統楽器である尺八への転向は、確かに「やり直し」という言葉にふさわしい大きな変化だ。違いに戸惑うことはなかったのだろうか。ましてや、初心者には音を出すことすら難しいと言われる尺八である。黒田さんは、尺八を習うには「気や呼吸、姿勢など、音楽ではない側面の修練もすごく大きい。西洋音楽はほとんど作曲者が分かっていて、作曲者の指示があるが、尺八の曲は作曲者が分からないような曲がほとんど。だから、尺八は音楽以外のもっと根底にあるもの、なぜその音を出すのか、なぜその音をどのくらいの強さで、どのくらいの長さで吹くのか、ということを自分で考えないといけない」と語った。師匠と一緒に吹き、師匠の真似をすることから始め、真似しながら習得し、自分で試行錯誤していったという。
黒田さんは公演でよく「奥州薩慈(おうしゅうさし)」という曲を演奏する。「産安(ういあん)」、「神保三谷」とも呼ばれる東北地方に伝わる尺八の伝統的な楽曲で、物悲しさを感じさせる独特な節がある。黒田さんによると、この曲は哀切極まる曲調であるため、遊郭で男女が横死してしまう事件が増え、江戸時代に吉原で演奏することを禁じられていたという。自身は日々を楽しく幸せに過ごしているという黒田さんだが、「この曲を吹くと、『生きているだけで悲しい』という気持ちが実感できる。だからとても大切に思って、この曲を一生修行と思って吹いている」と語った。
「尺八の今と無限の可能性」を追求する
しかし現代社会においては、尺八のような伝統楽器は身近な存在とは言えない。そんな中、黒田さんは「奥州薩慈」のような伝統的な楽曲を演奏し続けるほかにも、自分たちの世代が新たに音楽を生み出していくことにも力を注いでいる。「もちろん古典を継承していくことは何よりも大事なことだが、誰かが今新しく曲を作らないと新しい『本曲』(尺八の伝統曲)が生まれない。同じ今の時代の空気を吸っている作曲者とコラボレーションし、相談しながら新曲を作っていくことをもう一つのライフワークと思っている」と黒田さんは語る。今回の中国公演でも、古典的な曲と新作を同時に披露した。
また、伝統楽器にとっては継承者問題も深刻だ。黒田さんも、日本ではそもそも少子高齢化の問題に直面しており、習う人が少なくなりつつあることを認めている。それだけに、演奏者としての使命感も大きい。「我々が良いものを提示できてなかったら習う人も少なくなってしまう。我々当事者がアピールして、少しでも知ってもらうように、好きになってもらえるように努力するしかない」と黒田さんは言う。
そうした努力の一環が、さまざまな音楽や楽器とのコラボレーションだ。オーケストラとの共演、西洋楽器や日本の伝統楽器とのアンサンブル結成など、意欲的な活動を続けている。今回の中国公演では、電子音楽とのコラボレーションや、中国の伝統楽器との共演も行った。これについて黒田さんは、「尺八は伝統的な楽器である前に、一つのとてもユニークで大きな魅力を持った管楽器。この楽器の音を使って、どうやって面白い音楽、自分が好きな音楽をやれるのか、というところにフォーカスしている。だから特に西洋楽器とやりたいとか、電子音楽器とやりたいという意味ではなく、こういう音楽をやるには、誰とやったらいいのか、という思考回路で動いている」と語った。黒田さんは「尺八の今と無限の可能性」を追求し続けている。
「中国の人と一緒に尺八の音楽を盛り上げていきたい」
黒田さんが中国を訪れるのは今回が4回目。中国での公演回数は7回を数える。公演では、中国の聴衆との間で通い合うものを感じたという。黒田さんは、「尺八は音が始まる前と終わってからの間もすごく大事。その部分もお客さんと一緒に味わい、共有できたという実感があった。幸せな経験だった」と中国での公演を振り返った。
黒田さんはチェロ奏者のヨーヨー・マさんから強い影響を受けており、中国出身の音楽家としての哲学を感じさせる演奏に強い憧れを抱いているという。さらに今回の中国公演では、簫や古筝、琵琶などを演奏する中国の音楽家たちとの共演を果たした。特に、琵琶との即興演奏共演は黒田さんに強い印象を残した。一つ音を出しただけでたちまち中国らしさを感じさせる琵琶の音色、奏者の情熱、音のクリアさや静かさを感じつつ、中国の楽器と日本の楽器の違いを超越して一緒に音楽を作り上げるコラボレーションが実現したという。
尺八の起源は中国で、唐代に日本に伝わった。現在、中国には簫など尺八とよく似た楽器はあるものの、尺八自体は失われ、今では日本にしか残っていない。それにもかかかわらず、5月に中国で「尺八・一声一世」というドキュメンタリー映画が公開され、静かなブームになった。これについて黒田さんは、「尺八が今、中国の人に『再発見』されたことに、大きな時間や歴史、文化の流れを感じる」と感慨を込めて語った。しかも中国では尺八を習う人が増えつつあり、「若い人が尺八に取り組みたいという感じが今の日本より中国のほうがあるような気配がする」と黒田さんは感じている。尺八は国際フェスティバルが世界各国で開催されるほど世界的な楽器になりつつあるというが、「その大きなエネルギー源を中国が今持っていると思う」と黒田さんは言う。実際、尺八の団体「鈴慕会」が上海に支部を設立しており、黒田さん自身もすでに教授活動で3回上海を訪れている。稽古は4日間にわたって行われ、参加者は10人ほど。1人毎日2時間ずつみっちり稽古するという。中国の尺八愛好家から中国に稽古場を作ってほしいという要望も出ており、黒田さんも中国での教授活動に意欲的で、「一緒に尺八の音楽を盛り上げていけたら幸せだ」と語った。(文・勝又あや子)