在日華僑華人の「ゼロ」を突破―関 藤清 日中芸術交流協会会長

配信日時:2019年6月19日(水) 17時20分
在日華僑華人の「ゼロ」を突破―関 藤清 日中芸術交流協会会長
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日本で華僑華人によって立ち上げられた中日文化芸術交流団体は決して珍しくない。中でも、関藤清氏が会長を務める日中芸術交流協会は、設立から日の浅い生まれたての団体である。
日本で華僑華人によって立ち上げられた中日文化芸術交流団体は決して珍しくない。中でも、関藤清氏が会長を務める日中芸術交流協会は、設立から日の浅い生まれたての団体である。しかし注目すべきは、同協会が、ありふれた名称でありながら重量感を具えていることだ。東京でも極めて地価が高い六本木に、日本で初めて中国人が自主経営するギャラリー「清アートスペース」を開設し、中日の芸術家や新進気鋭の芸術家たちの展覧会を無償で繰り返し開催し、中日の文化芸術交流の潮流に一つまたひとつと勢いよく美しい波しぶきを上げている。30年以上にわたり、数多くの在日華僑華人を取材してきた記者として、私の主眼点は常に彼らの来日の由来にある。海外で活躍する華僑華人の業績は、彼らの渡航に際しての志と不可分である。私は取材に先立って、氏がかつてジュエリー業界の仕事に従事していたことを知った。傍から見れば、富の光に照らされた華やかな業界である。それがさらに記者の好奇心を駆り立てた。一人の宝石商は如何にして、しとやかな芸術の世界に足を踏み入れたのであろうかと。率直に言って、今日の中国社会においては、一部の人々は財を成すや、高尚なもの、優雅なものを追求しようとはせず、逆にそれらを自分の附属物にしようと必死である。では、関藤清会長はどのような道のりを歩んできたのだろうか。(文:人民日報海外版日本月刊編集長・蒋豊)  

▼人とは異なる経歴

瀋陽生まれの関藤清会長は、その時代の中国の多くの若者と同様に、早くから日本の漫画に触れた。ちょうど好奇心が旺盛な年ごろに趣味に目覚めるのは自然なことであった。

しかしながら、好きな事を仕事にすることは容易なことではない。15歳の関藤清少年は、既に人とは異なる特質を覗かせていた。仲間を率いて、1995年に漫画グループ『夢少年』を立ち上げ、同人誌も発行した。彼は人生のあらゆる段階で痕跡を残した。

成人してからはアート・ディレクターとして、この分野では他を圧する成果を上げた。彼が大きな誇りとしているのは、後に彼の作品の一つが香港で大賞を受賞したことである。これらの変遷は彼が自らの道を歩んで行く上での歩行器となった。

2004年、彼は瀋陽から北京へ移った。東北の中心から国の文化の中心へ移り、さらに大きな舞台を求めて、自身の理想に向かってさらなる一歩を踏み出したのである。

北京での紆余曲折の数年間は忘れ難いものとなった。そこでのプレッシャーは想像を絶するものであり、それらの経験は彼の記憶に色濃く刻まれている。彼は音楽の才能をレコード会社の社長に見出され、ミュージシャンとして2枚のアルバムをリリースしている。そこには個人の努力もあったに違いない。人は自分の好きなことのため、事業のために努力を惜しまない時、目標の達成と成功に一歩近づくことができる。
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