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AIで修正した82歳院士の顔写真がネットで話題に

人民網日本語版    2019年6月13日(木) 22時20分

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最近、AIを駆使して修復した石油専門家である王徳民院士の顔写真を投稿した微博(ウェイボー)が大きな反響を呼んでいる。

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最近、AIを駆使して修復した石油専門家である王徳民院士の顔写真を投稿した微博(ウェイボー)が大きな反響を呼んでいる。人民日報公式微博が伝えた。

82歳になる王院士は、今も研究に取り組んでいる。また日々の暮らしでは自分を厳しく律し、毎日運動を欠かさず続けている。

整った顔立ちというのは表面的なものに過ぎないが、その格好の良さというものはそうした薄っぺらい表面だけでなく、内から滲み出てくるものだと言える。

では王院士の学術的業績がどれだけ素晴らしいものか、ここで紹介していこう。彼のその際立った貢献から国際天文連盟小惑星センター命名委員会は、国際番号210231番の小惑星に対し、「王徳民星」と命名することを決定したほど。

小惑星の命名は、国際性と永続性のある崇高な栄誉であり、過去には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニュートン、キュリー婦人らが同様の栄誉を受けている。

「明らかに見かけだけでも飯のタネになるのに才能で身を立てる」この男性は、スイス人と中国人とのハーフで、そのため流ちょうな英語を話せるという生まれながら恵まれている点はあったものの、中国語を話せなかったため、友達もできず、一人で黙々と勉強に励んでいた。しかし賢い彼はすぐに中国語をマスターし、中国石油大学に合格した。

大学入学後も、彼はずば抜けた才能を発揮して、どの科目でも満点、スポーツでも一番だった。文武両道に秀でたトップ学生は、入学するとたちまちそのずば抜けた容貌で人々を驚かせ、キャンパスの話題の人となった王徳民は、彼自身が定めた下記の2項目の恋愛条件のために、彼に思いを寄せる女子学生らを退けることになった。

1.2人が結婚することになっても、2人で公園を散歩する時間は取れない。

2.彼の勉学を妨げてはならない。

そして彼は、国に己を捧げようと決心し、卒業後は黒竜江省の大慶油田の職を希望した。

彼は末端の試掘井の職を得て、日々、圧力を測定するために作業員と一緒にウインチ(巻き上げ機)に乗り地下に降りた。そして彼は、当時の海外における理論と国内の実情が全く合致していない状況を目にし、根本的な改革を行わなければ発展は望めないと考えた。

100日以上に及ぶ探究の末、王徳民氏はついに、大慶油田の実情に見合う油井圧力の計算公式「松遼法」を導き出すことに成功した。この計算公式は、計算が簡単なもののその精度は高く、視察に来た外国人専門家から高く評価された。

1963年、周恩来総理(当時)は、「中国は今後、石油を基本的に自給自足する」と宣言。それを聞いた王徳民氏は、その場で感激の涙を流した。これまでの苦労や疲れ、個人的な屈辱は一度に吹き飛んでいった。

その後、王徳民氏は度重なる記録を更新を達成。1970年初め、400日余りにわたる1千回以上の実験を経て、20件以上の科学研究成果を得たほか、1986年には、相前後して任命され、実践による大慶油田の新たなブレイクスルーを実現した。それにより1996年だけでも500~600万トンの生産量を増やした。

優秀な学生から基層の作業員を経て研究者となるまで、王徳民氏が一貫して変わらず抱き続けたものは、決して諦めることなく、投げ出さない力と自分を鼓舞し続けた愛国心だった。(編集KM)

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