金銭が「愛情を決定づける資格」を得る日は永遠に来ない

人民網日本語版    2019年5月24日(金) 18時40分

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現在、どんなタイプの記念日が一番多いかという質問に対して、「恋人にまつわる記念日」と答える人がほとんどだろう。

現在、どんなタイプの記念日が一番多いかという質問に対して、「恋人にまつわる記念日」と答える人がほとんどだろう。いつの頃からか、「恋人にまつわる記念日」に対するコンセプトがだんだんと拡大し、その種類もどんどんと増えてきている。2月14日は、欧米の伝統的なバレンタインデーであり、旧暦7月7日は中国版バレンタインデーの「七夕」、3月14日は日本からやって来た「ホワイトデー」。そしてつい先日5月20日は「520」で、「あなたを愛している」に由来する「発音が似ているバレンタインデー」だった。中国青年報が伝えた。

毎年、「520」が近づくと、微信(WeChat)のソーシャル機能「モーメンツ(朋友圏)」は、若者たちにとって様々な「仲睦ましさをアピール」する場と化す。そしてそんな中で最も流行しているのは紛れもなく520元(約8270円)のお金を贈る「520紅包」に他ならなかった。この時期、恋愛中の若者たちは、自分が「520紅包」を送ったことを自慢したり、自分が受け取ったことを誇らしげに投稿するのだった。

本来、恋人同士でちょっとした「紅包」を贈り合うことは楽しみを感じるためで、愛情を深め合うためのちょっとしたきっかけでもあると言える。しかし、毎年「5.20」前後になると、一部の若者のカップルは「520紅包」をめぐって口論となるばかりか、それが高じて別れてしまうカップルすらいるというのは、思わず閉口してしまう。ここからちょっとした「紅包」が愛を深める接着剤から、愛を壊す促進剤に変わってしまったことが見てとれる。若者はどんな日であれ、恋人同士の記念日として過ごすことができるだけでなく、その記念日を「別れの記念日」や「縁切り記念日」にもしてしまうことができる点は、感慨深いとしかいえない。

「紅包」が原因で生じるトラブルはまったくもって泣くにも泣けず笑うにも笑えない。自分は相手にお金を送ったのに、相手からは送られてこないことで腹を立てる人がいれば、自分の恋人は52元しか送ってこなかったのに、520元も送ってもらった人がいることを知って怒り出す人もいる。さらには、「紅包」を送ることを思いつきもしていなかった相手に、自分から催促してやっと送られてきたことに腹を立てるなど。

結局のところ、「紅包」をめぐって喧嘩を始める若者はいずれも同じ過ちを犯していると言えよう。それは、「金銭は愛情の証」と考えている点だ。「好きな相手の誠意を確かめたかっただけ」や「相手は私をがっかりさせるべきではない」といった一連の理由は、一見すると金銭とは何の関係もなさそうだが、突き詰めてみれば彼らが辛いと感じた直接的原因は、「相手が私にお金をくれなかった」ことに尽きる。

「紅包」で愛情表現をすることを思い付いた人は、疑いもなく、心からの愛をこめて「紅包」を相手に送ったはずだ。そして最初に「紅包」を受け取った人も、相手に対する感謝と喜びで心がいっぱいになったことだろう。しかしこうした行為が模倣され続け、一種の習慣となってしまった時、人々の心に変化が生じることは避けられなかった。他人の行動の影響を受け、嫉妬や見栄の張り合いといった心理状態が芽生え、「紅包」の有無や金額が、そのような嫉妬や見栄を増長させる源となった。そして多くの人は、見栄によって心眼が曇ってしまい、もともと「紅包」に込められていた真実の愛を見ることができなくなってしまっただけでなく、かえって相手からのプレゼントは、当然の義務であると見なし、さらには結果を原因に置き換えて、プレゼントそのものを愛情の尺度としてしまっている。

実のところ、愛情であろうと、友情であろうと、人と人との間の感情と結びつきというものは、この世界で最も豊かでありながら、もっとも言葉では言い表すことが難しいものだ。運命の神様の計らいや予想もつかない相手との心の通じ合い、阿吽の呼吸や苦楽を共にするなど。これらの不思議でとらえどころのないものが、我々にとって最も尊い感情を構成している。一方、「紅包」の金額にいったいどれほどの意味が込められているというのだろうか?もちろん、金銭とは誰もが好み、それなしには生きてはいけない。しかし、金銭そのものが「愛情を決定づける資格」を得る日は永遠に来ることはない。(編集KM)

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