日本でミステリー映画が大人気の理由は?―中国メディア

人民網日本語版    2019年5月4日(土) 23時50分

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日本で最も人気があり、パワーもあるミステリー映画という商業映画のジャンルが、中国の観客にも徐々に受け入れられている。写真は中国でヒットしている東野圭吾の小説。

中国で上映中の日本のミステリー映画「祈りの幕が下りる時」は、興行収入も評判も上々だ。東野圭吾の同名小説が原作で、同じく東野作品原作のミステリー映画「マスカレードホテル」も中国での封切がり間近に迫る。こうして、日本で最も人気があり、パワーもあるミステリー映画という商業映画のジャンルが、中国の観客にも徐々に受け入れられていることがわかる。(文:劉起・映画学博士、中国文聯映画芸術センター理論研究処に所属。「文匯報」に掲載)

ミステリーはさまざまな映画のジャンルがある中、日本以外の国ではそれほど発展していない。日本での成功体験にはある種の独自性があり、複製は不可能だ。それでは日本はどうやってこの不人気ジャンルの弱みを強みに転換し、世界的にも例を見ない成功を収めたのだろうか。

■日本のミステリージャンルの隆盛——小説、映画、アニメ・ドラマがメディアミックスで協力

映画のさまざまなジャンルが最も成熟した発展を遂げる米国でも、ミステリー映画はこれまでずっと人気ジャンルではなかった。韓国は従来からさまざまなジャンルの発展を積極的に模索し、ハリウッド映画の経験を全面的に学んだだけでなく、韓国独自のジャンルにもいろいろチャレンジしてきた。しかしジャンルを映画工業の基礎ととらえる韓国では、ミステリー映画へのチャレンジはほとんど行われず、犯罪映画、アクション映画、サスペンス映画が主流だった。ミステリー小説が生まれた英国でも、ある時期にミステリー映画が制作されたものの数はそれほど多くなかった。

これはミステリーの世界をスクリーンに描き出すのが難しいことに原因がある。論理性が高く、ストーリーが複雑で、テンポも遅く、視覚的に弱いことから、ミステリーというジャンルは現代の観客の目には古くさいものに映る。ビジュアル効果が主導する現代の商業映画界で、ミステリーの世界を表現することは確かに難しい。

ミステリーというジャンルが衰退傾向にある現代の商業映画界において、日本でのみ発展し、強いジャンルになったことは、研究に値する現象だといえる。

日本のミステリー映画が安定的に発展を続けているのは、日本のミステリー文化の隆盛によるところが大きい。これは主にミステリー小説の流行によるものだ。日本のミステリーには本格派、変格派、社会派など多くの流派があり、優れた作者と作品が数多く生まれ、長い時間をかけて日本独自のミステリー文化を徐々に形成してきた。ミステリーというジャンルは日本の大衆文化を構成する最も重要な要素だといえる。

ミステリー小説の全面的な発展により、テレビドラマ、映画、アニメ、漫画などの分野でミステリー作品が生まれ、メディアミックスの協力が進み、ミステリーは日本によりしっかりと根を下ろし、整った作品-商品チェーン、すなわち小説-ドラマ-映画と作品が広がっていくチェーンを形成した。ベストセラーになったミステリー小説でなければ映画化されない。日本のドラマ界ではミステリーと医療ドラマが2大人気ジャンルで、何シーズンも放送され社会現象になった人気ドラマもたくさんある。「古畑任三郎」、「踊る大捜査線」、「相棒」などだ。高い視聴率を稼ぐミステリードラマは、第2シーズンが制作されたり、映画になったりする。

ミステリー小説からドラマへ、映画へと、商業化された視聴者の市場において何度もふるいにかけられた作品は、一定の観客数が確保されており、作品の質も保証されている。また、ベストセラー小説や人気ドラマをどのように映画化するかという話題性で引っ張ることもできる。

■推理だけではない——社会派の人間を描く力とドラマ力

日本の人気ミステリー映画には、初期の「砂の器」や「人間の証明」から最近の「容疑者Xの献身」、「白夜行」、新参者シリーズまでいろいろな作品がある。どの作品にも、親子の情、友情、愛情などからやむにやまれず起こしてしまった犯罪ドラマが描かれている。

「気持ちが人を感動させる」。これがミステリー映画が幅広く市場を獲得できた重要な原因であり、複雑で紆余曲折に富んだ事件の推理プロセスによるものではない。人気映画のほとんどが社会派ミステリー小説を原作とする。社会派ミステリーには感情、人間性、倫理観、社会の現実が描かれており、作品に深みを与えるだけでなく、一般の観客の心を揺り動かし共鳴させることができる。

ミステリー小説の別の流派の市場と比べるとこのことがよくわかる。純粋な本格推理小説とその後継である変格推理小説は、市場の規模が小さく、波及力にも限界があり、一部のマニアを引きつけるだけだ。

松本清張が確立した社会派ミステリーは、単純な「謎をちりばめ、誤った手がかりを与え、最後に探偵が謎解きをする」というミステリーの定石にとどまらず、ストーリーの中に社会の現実、人間の複雑さ、登場人物の感情を織り込んで、ミステリーファン以外にも読者の幅を広げ、物語の世界から抜け出せないほど虜にし、最終的にミステリーというジャンルを大いに流行らせた。松本清張の作品を通して、人々はミステリーのもつ文化的潜在力と潜在的波及力に気づき、ミステリーはこのように深いもので、これほど多くの読者を引き付けるものだと実感させてくれる。

今の日本で最も人気があるミステリーの書き手は東野圭吾で、本格派と社会派のよいところを取り入れている。東野作品で推理は容器に過ぎず、より豊かに質感をもって描かれるのは社会の現実だ。こうして謎解きと感情が密接に、より有機的に絡み合う東野ワールドが出現する。「祈りの幕が下りる時」などは、推理プロセスは忘れても、親子の深く無私の愛情や絆のドラマは記憶に残る。

こうした作品には決まって非常に魅力的なキャラクターと複雑な内面を備えた探偵役が登場する。

■ジャンルの融合とバージョンアップ——複雑な社会の現実を物語の中へ

ミステリーは昔からある映画のジャンルで、真剣で、緻密的、内省的、優雅といった特徴をもつ。ストーリーの中心はまとまりのある、密接に関連した事件の謎解きプロセスで、厳密な推理を展開するにはストーリーが一体感をもち、プロットが絡み合う必要がある。理性的で論理を重んじるという作風から、視覚的には単調なものになりやすい。また観客も謎解きに参加し、思考プロセスをたどるため、テンポがゆっくりになりがちだ。

こうしたわけで、日本の映画界は本格派より社会派のミステリーを好み、松本清張、東野圭吾、伊坂幸太郎などの作品の多くが映画化されてきた。「砂の器」や「容疑者Xの献身」などは何回も映画化されている。なぜなら、こうした作品は感情や人間そのものを描いており、人間ドラマが観客を引きつけるからだ。

また、現在主流の商業映画はアクションシーンや視覚的効果を重視する傾向があり、理性的で、知的なミステリーは時代遅れになってしまった。現代の観客は視覚的により刺激的で、テンポも速い商業映画をより好む。そこでミステリー映画の新たな発展の可能性として、アクションやサスペンスなどの視覚的効果をねらいやすいジャンルとの融合が現れている。こうしたジャンル融合型の現代的ミステリー映画は、犯罪映画、ホラー映画、アクション映画などさまざまなジャンルの要素を取り入れている。

ここから、ミステリー映画というジャンルの日本での発展繁栄ぶりには独自の原因があることがわかる。最も人気のある社会派ミステリー映画は、犯罪の動機を追及し、人物を描き出すことに主眼が置かれ、社会の現実、人間の欲望を架空の物語の中で描ききる力を商業映画に与えている。人間と犯罪が交錯するモデルがワンパターンに陥ることはあるが、推理プロットの緻密さ、登場人物の描き方の深さ、描かれた社会の現実のリアルさなどが、アクションやコメディなど他のジャンルの多くの商業映画には到底及ばない魅力をミステリー映画が備えている。

こうした理由から、ミステリー映画には視覚的に弱い、テンポが遅いなどさまざまな欠陥がありながら、社会派ミステリー作品ではそれがかえって強みになり、ミステリー映画を現代の日本文化の中で最も生命力にあふれた文化的リソースへと押し上げている。(提供/人民網日本語版・編集/KS)

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